3章20話 なにか、いるわ……
結論から言うと、勝負は普通に勝った。危げなく勝利といった感じの勝利だ。どうやら、リーシアと違いルミはそこまで強くないようだ。初めての勝利が嬉しい一方で、悔しがるルミを見ていると、ちょっと悪かったかなという気分にもなる。
漠然とルミを宥めてから、二人で感想戦を行った。初めて勝った側で行う感想戦というものに苦戦しつつも、お互いの手を振り返って、考えを深めていく。
そうして、一通り考えの交換を終えると、ルミが「今度は勝ちます! もう一回お願いします!」と声を上げ、二回戦が始まった。
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結論から言うと、二回戦も普通に勝った。
同じように感想戦を行った後、「ぐぬぬ」と顔を歪めるルミを眺めていると玄関の方から音が聞こえた。誰かが来たのだ。
「リーシア様です……!」
瞬時にルミが立ち上がり、廊下の方へと駆けていく。俺も慌てて彼女の後を追う。俺が玄関に着いた時、ちょうどルミが玄関の扉に手をかけた。
扉が開く前に玄関に到着できたことに俺が安心していると、扉は開かれる。
そこには、予想通り、儚く美しい少女――リーシアが立っていた。儚さに反して明るい長髪が少しだけ揺れていた。外の風が少し強いようだ。
「おかえりなさい! リーシア様!」
「ただいま、ルミちゃん……ロラン、今日も来てくれたのね…………」
リーシアはルミに優し気な笑顔を向けた後、俺の方を見て嬉しそうな表情を見せてくれた。
「あ、うん、今日もお邪魔しちゃってます。おかえり、リーシア」
「ただいま、ロラン……何だか、凄く気分が良いわ……」
「そうなの? それは良かった」
調子が良いのだろうか? この寒さで良いというのは中々健康なことだ。
「うん……だって、私が帰ってきた時に、大切な人が二人も出迎えてくれたんだもの……うふふ、今日は特別な日ね」
美しく儚げに笑う――いや、今回は、それだけではなかった。リーシアの笑みにはどこか妖艶さのようなものが混ざっているように俺には感じられた。デジャヴだ。誰かの笑みに少しだけ似ていた。
それが誰かは、すぐに分かった。ただ、なぜ彼女の笑みを思い出したのかは分からなかった。
「私はいつだって出迎えますよ!」
「あー、そこまで喜んでもらえるなら、なによりだよ。そこまで喜んでもらえるなら、こっちも凄く嬉しくて光栄な気分。俺もこの屋敷にいて、リーシアを出迎えるような状況になったら、これからもずっと出迎えるよ」
元気よく答えるルミに続いて、俺もできる範囲の言葉を口にする。
リーシアは俺たちの言葉を聞くと、安らかな表情を浮かべた。そして、一瞬だけ遠い目をした。
「なんだか、ロランがお家に住んでくれたみたいね…………」
そして、ぼんやりとリーシアはそんな言葉を呟いた。しかし、すぐにハッとした顔になると、慌てて、
「――あ、今のはね、ロラン……変な意味じゃないのよ……ただ、その、ロランなら住んでも良くて…………その、最近、凄く寒いから……その、よかったら、ね……」
リーシアは俺から視線を逸らして、恥ずかしそうに頬を赤くした。
「えっと……」
とんとんと横から小突かれた。見るとルミが何か手で合図をしてきた。よく分からない合図だ。ただ、なんとなくだが、『行け!』みたいなニュアンスを感じる。俺は反応に困り、ルミとリーシアを交互に見る。リーシアは未だに頬を赤くしている。ルミは俺の停滞気味の態度を見て、少しだけむすっとした顔になったが、すぐに笑顔を作り、リーシアに話しかけた。
「リーシア様、外はどうでしたか?」
ルミが問いかけると、リーシアは自信を落ち着かせるように、ルミの方を見た。その頬はまだ少しだけ赤かった。
「そうね……たぶん寒かったわ。あと、広場の方が賑わっていたわね。今日は定期市だったかしら……?」
広場の方を見たのか。それに定期市……、ふむ、リーシアは貴族街ではなく普通の街の方へ行って来たのか。やはり、リーシアの工房は貴族街には無さそうだな。
「そういえば今日でしたね!」
「うん……それと、ルミちゃん、これ、貰ってきたわ」
そう言って、リーシアはポーチのようなものをルミに渡した。
「ありがとうございます。リーシア様。では、さっそくお昼の準備に入りますね……! ロランさん、あとはお願いします……!」
ルミは丁寧にポーチを受け取ると、それを持って、台所へと向かっていった。なお、台所へ向かう前に俺にキリリとした顔を向け、じっと俺の方に圧のようなものを飛ばしてきた。おそらく、ちゃんとリーシアの相手をするようにということだろう。問題ない。俺がここに来ている理由の多くはリーシアへの配慮だ。
「リーシア、お疲れ様。ここは寒いし、暖炉の方はいつも通り、火が入っているから、もう広間に――」
俺が全てを言い切るよりも早くリーシアが動いた。
ぼんやりとした動きだったと思う。けれど、その動きは尋常ではない速さだった。ぼんやりとしているのに機敏というべきだろうか。
不思議な動きで、リーシアは俺の近くまで急接近した。そして、わちゃわちゃと手を動かした。俺の横の何もない空間でリーシアが何かを掴むように手を動かし続けた。
俺は突然のリーシアの謎機敏・謎行動に茫然としてしまう。そんな俺になど構うこともなく、ひたすらリーシアは虚空の空間でわちゃわちゃと手を動かし続けていた。まるで、その空間に何かがあって、それをもみほぐしているようだ。いや、別に何も無いけど……ああ、いや、まあ空気とかはあるだろうけど……
しばらくの間、無言で、それど真剣に空気と格闘を続けるリーシアを眺めていると、急にリーシアは動きを止めた。
「あら……?」
そして不思議そうに呟くと辺りを見た。そこでようやく、不審すぎるリーシアの動きを見つめる俺と目が合った。リーシアは頬を赤くした。
「違うの……なんか変な気がしたの……」
「えっと……もしかして、虫でもいた……?」
正直、羽音は聞こえなかったし、それにこの寒さじゃ虫など見かけないと思うが……もしかしたら、リーシアは、何か空中の埃とかを虫と勘違いしてしまったのかもしれない。
「そ、そうかもしれないわ……でも、もう大丈夫よ。どっかいったわ……」
どうやら、リーシアは空中の埃を追い払うことができたようだ。
奇抜なリーシアの行いに少し驚いたが、よくよく考えなくてもリーシアは少しぼんやりしていて変わったところがある。あまり気にすることではないだろう。
「えっと……とりあえず、広間に行く?」
俺の問いかけに対して、リーシアは頬を赤くしながら頷いた。埃と格闘したのを恥じたのかもしれない。
どこか惚けているリーシアの格闘劇については指摘せずに、彼女と一緒に広間に入る。リーシアはゆっくりと、何事もなかったかのようにソファーの定位置に座り、それから、何か考え込むように、数分間無言で虚空を見つめていた。しかし、ある時、ふとテーブルの上を見てハッとしたような顔になり、口を開いた。
「二人で遊んでたのね……」
呟くリーシアは、羨ましそうにテーブルの上に広がった盤を見ている。先程ルミと遊んでいたものだ。
「え、ああ、その、ちょっとね……えっと、ごめん、勝手に遊んじゃって」
「……ううん、いいのよロラン、謝らないで……ロランとルミちゃんが仲良くするのは良いことだもの……」
弱弱しい声でリーシアは呟いた。しかし、その目はじっと盤上を羨まし気に見つめている。
「あ! えっと、もし良かったら、今から、一回どうかな? ああ、でも帰ってきたばかりだから、お昼ご飯の後の方がいいかな?」
「やるわ」
俺の問いかけに対して、即座に反応が返ってきた。その反応速度に驚く間もなく、リーシアがてきぱきと駒を動かし初期配置を整えていく。俺もそれに釣られて少し慌て気味に駒を動かし、ゲームを始める準備をする。
どうやら、リーシアはだいぶ遊びたかったようだ。
まあ、俺も少し遊びたい気持ちはある。今まで俺はリーシアには一度も勝てていない。いつも良い勝負にはなっていた。良い勝負からギリギリ負けてしまうのだ。もう少し、もう少しで勝てそうと思っても、いつも負けてしまうのだ。だが、今回は勝てるような気がするのだ。やはり、ルミに連勝したからだろう。いつも以上にやれる気がする。たぶんだが、ルミに勝ったことで、今の俺はある程度勝ち筋のようなものが見えているのかもしれない。
よし! 今日こそ勝つぞ!