三章7話 触り心地がよくて、つい……
目の前のリーシアを見る。彼女の明るい色の長い髪も風でゆらめく。
なるほどね。ヴィシニェフ家の方でしたか……これは引っかかった。美人局……じゃないと思うけど……旅人というのは嘘か……? ああ、いや、リーシアの雰囲気は嘘って感じじゃなさそうなんだよな。うーん。
「この立派な屋敷ですか。凄いですね。ここで暮らしてるんですか?」
「…………えっとね、いつもは…………あのね、ここは、その、貸してもらったの……それで、ロランも来るから、こっちの方がいいと思ってね…………」
リーシアは俯きながらもこちらをチラチラと窺いながら言葉を舌に乗せる。
なんか言い方からすると、普段は別の場所で暮らしてるのか? それとは別にこの立派な屋敷を借りていると……?
うーん、よく分からないな。まあ屋敷の持ち主でないというのは、なんとなく納得できるし、精神的にも良い情報だと思う。
ただ、借りたとすると、それはそれでよく分からないな。こんな立派な屋敷は借りるだけでも大金が……ん? いや、今の言い方、もしかして、好意や善意で貸してもらったって感じか? 見返りなし、もしくは金品による見返りはなしって感じなのかな? 何か特殊な事情で借りている? いや、そもそもこの家って借りれるのか? 都市の支配層の紋章が掲げられている家だ。そんな家を貸し出すだろうか……?
「なるほど……」
「……駄目だったかしら…………いつも……やってる…………、作業……? 作業してる所は…………暗いし、あんまり良いところじゃないから……それで、こっちにしたんだけど、ロランは嫌だったかしら……?」
俺の声色から細かなニュランスを読み取ったのかリーシアが不安そうに俺に尋ねてきた。
……いや、駄目というわけではないし、リーシアには全然悪意とか無さそうだから良いんだけど。なんか色々と分からなくて不安なのだ。
「いえ、駄目ということでは全然ないです。でもなんでしょう……えっと、リーシアさんが貸してもらった屋敷がとても立派で、ちょっと気圧されちゃったんだと思います。すみません、何かと小心者なもので……」
「えっと……ごめんね……? でも、嫌じゃないのね……?」
心配そうにリーシアがこちらを見た。
「嫌じゃないです。というより、えっと、そうですね。あ、目的を忘れそうでしたけど、今日はとても楽しみで来たんでした。えっと、なんかその、お弟子さんの料理を頂けるとか……」
これ以上話すとリーシアを悲しませそうな気がしたので、無理やり話題を変えることを試みる。
「……そうだったわね。ちょっと忘れてたわ……………………ロランと一緒に、…………歩いたり、したから、かしら……」
自信無さげに喋るリーシアの言葉の意味が上手く読み取れない。俺と一緒に歩くと忘れる……? 俺の話題チョイスが無茶苦茶だから本題が逸れるみたいな感じなのだろうか? うーん? まあ、確かに、そういう面はあるかも。というか、クリスク遺跡街とかリデッサス遺跡街にいた時に、それが原因でよくルティナにぷりぷりされていたと思う。反省しよう。
「えっと気を付けます……」
「うん……?」
反省の言葉を告げる俺にリーシアは不思議そうな顔をした後、再び歩き出し、屋敷の扉を開けた。それと同時に屋敷の中から声がかけられた。
「お帰りなさい。リーシア様!」
屋敷の中には可愛らしい少女がいた。可愛らしく、元気があって、あと何だか素直そうに見える少女だ。あえて気になる点を挙げるとすれば、髪色だろうか。黒色と白色が同居している。白髪というわけではない。黒色と白色がはっきり分かれているのだ。二色髪と言うんだっけ……? 染めているのだろうか……?
「ただいま、ルミちゃん……」
リーシアの透き通った声が耳を撫でた。
ルミという名前からして、おそらくリーシアが何度か口にしていた弟子のことだろう。
この少女か……なんというか、ちょっとイメージと違うな。何というか、リーシアの雰囲気もあって、同じような静かそうなタイプを想像していた。
あと、想像よりずっと若かった。いや、若いというか幼く見えた。まあ、見た目だけで実年齢は分からないけど……見た目的にはホフナーより少し上くらいだろうか。ユリアよりは下に見えるけど……まあ、ホフナーは18歳ないし23歳らしいので、見た目は参考にならないか。
「料理の準備は殆ど終わっています……! えっと、そちらの方がロランさんですか?」
屋敷の中に俺が入るとリーシアがゆっくりと扉を閉める。おお、この屋敷の中、結構暖かいな。外がとても寒かったので大変助かる。暖房的なものでもあるのかな?
「そうよ」
「あ、どうも、ロランです。よろしくお願いします。あなたが、リーシアさんのお弟子さんのルミさんですよね?」
リーシアが少女の言葉に肯定したので、慌てて名乗り、ついでに相手の確認をする。まあ、今までの会話で俺の名前は向こうは知ってるし、俺も向こうの名前を知っているので特に情報量が増えない会話だが……まあ、それでも一応やっておいた方が良さそうなので、やっておくのだ。
つまり特に問題がないやりとりのはずだが……なぜだか少女は一瞬固まった。そして俺を見た後、一度リーシアの方を見て、それから再び俺の方を見た。はて?
「…………はい! 初めまして! リーシア様の弟子のルミです! ロランさんですよね。よろしくお願いします!」
少しだけ言葉に詰まったが、すぐに少女は明るく可愛らしい笑顔を俺に向けた。
なんか、良くないことをしたかと心配になったが……大丈夫なのかな? なんか俺の挨拶変だったかな? あー、やっぱり情報量が全然増えない事を言ったからダメだったかな?
「今日の事はもうリーシア様から聞いてます! もうすぐ料理の方はできますから、中でリーシア様と一緒に寛いでください。リーシア様、私は料理の方を見てくるので、ロランさんの案内をお願いします」
「うん……ありがとう、ルミちゃん」
「はい!」
明るい笑みを絶やさぬまま少女は屋敷の奥――美味しそうな料理の匂いがする方へ消えていった。
「ロラン……こっちの方に良い部屋があるわ。暖炉もあるから暖かいはずよ……」
暖炉か……俺の泊っている部屋にはついてない機能だ。やっぱり立派な屋敷だな。
「おお! いいですね。ぜひ行きます」
この玄関でも外よりはだいぶ暖かいが、それでもまだ少し寒いので、さらに暖かい空間に行けるなら大歓迎だ。ぬくぬくしたい……なんだかクリスク聖堂のヘルミーネ礼拝堂を思い出してしまうな。スイは元気にしているだろうか……元気でいるといいな。
僅かな罪悪感を覚えながらもリーシアに付いていき屋敷の広間のような部屋へと辿り着いた。
「ここよ……」
おお……暖炉がある。そしてかなり暖かい。ぬくい……!
暖炉に目が行き感動している中、視線を感じリーシアの方を見た。少し得意げな顔をしていた。不安そうだったり弱そうだったりする顔が多いので、珍しい顔だ。
「良い部屋ですね……!」
とりあえず思った感想を述べる。リーシアは俺が声をかけると急に照れたように視線を彷徨わせた。
「…………うん。気に入ってもらえたなら、良かったわ………………えっと、……そうね、ちょっと座ったりしようかしら……ロランも……」
リーシアはそう言うと、暖炉の近くにあるソファーに腰かけた。たぶん俺にも座ることを勧めてくれたのだろう。どこかのホフナーとは天と地ほど違う。素晴らしい人だ……!
言葉に従い、俺はリーシアの向かいのソファーに座る。お互い暖炉に近い位置だ。良い感じに暖かい。それにソファーの座り心地も良い。外が寒い中、暖炉の傍のソファーに腰かける、とても良い……
俺が満足感に浸っていると、またしても視線を感じたのでリーシアを見る。リーシアは少し残念そうな顔をしているように見えた。ん?
「えっと、リーシアさん、すみません。もしかして、何か間違えましたか。あ、その、ちょっと自分、作法とか全然で……」
とりあえず言い訳を並べる。実際、作法とかはあんまりできてないと思う。
それに恐らくだが、リーシアはかなり上級階級だろう。旅人という立場なのが少し分からないが、それでも何かしら上級階級と繋がるものを持っているだろう。ということは作法に関しても詳しい可能性が高い。作法の差は時に些細ながらも大きな問題になることがある。なので、言い訳をしておく。
いや、まあ本当を言うと、そもそも上級階級っぽい人とは関わらない方が良いと思っているのだが……
「……作法は、私も良く分からないわ」
ぼんやりとした表情でリーシアは告げた。嘘がないように思える。うーん? 駄目だ。全く分からない。この少女の立ち位置はいったい? 今までの雰囲気から豪商や名家の娘みたいな人が何らかの理由で旅をしているという説を考えたが、『弟子』という要素がよく分からない。
あと、なんか豪商や名家の娘にしてはぼんやりし過ぎている気がする。気が抜けているというか、……でも所々で凛とした雰囲気にもなったりするので掴みどころがない。うーん。あ、このソファー座り心地がかなり良いな。手でこすった感じの肌触りも良い。それに何となく見た目も良い気がする。立派なソファーなのかもしれない。
ふと、俺も結構ぼんやりしてるから、同じようにぼんやりした人が名家の娘とかでもいいんじゃないかという気がしてきた。いや、社会の中流階級出身者と上流階級系の人を同じ基準で測るのは違うか……?
「そうでしたか、それなら……ああ、えっと作法じゃなくても何か問題があったりしますか? できれば直したいので、何かあれば教えてください」
リーシアに問いかけながらも彼女の様子を見る。リーシアも片手でソファーの肌触りを確認していた。俺とリーシアは結構似てるところがるのかもしれない……
「……えっとね。ロランがね………………、やっぱり、いいわ」
リーシアは目を伏せて言葉を途切れさせた。
気になる……しかし、催促するのも難しそうだ。なんとなくリーシアの方を見つめてしまう。
リーシアは視線を下に伏せたまま、それでも手だけは動かしソファーの肌触りを確認していた。触り心地が気に入ったのかもしれない。気持ちはとても分かる。このソファーはとても良い。
ふとリーシアは驚いたような顔をした。それからソファーを触る手を止め、一度わなわなと震えながら自身の手をじっと見つめ、それから俺に鋭い視線を向けた。
「ロラン……見てた……?」
衝撃的な事実に気付いたような、絶望したような顔でリーシアがこちらを見る。
「えっと、何を、ですか?」
彼女の突然の変化に驚き、俺も恐る恐る言葉を選ぶ。
「あのね……違うの…………ちょっと、気になったの…………いつもはしないの………………でも、ロランもしてたから……そうよ、ロランもしてたもの……私、知ってるのよ……?」
ゆっくりと悩み苦しみながらもリーシアは言葉を口にしていく。そして少しだけ、本当に少しだけだが俺を咎めるように見た。
「えっと、えっと、すみません、何か、悪い事をしてしまいましたか……?」
用心深くリーシアから言葉を引き出すための言葉を作る。何か気に障ってしまっただろうか? 推定上流階級らしき人を怒らせたくない。
「悪い事じゃないわ。でも、ロランがずっとソファーを触ってたから……私も気になったの……そしたら…………でも、ロランも触ってたから…………」
…………?
……
!
分かった!
「あぁ! なるほど……! それは、失礼しました。すみません、あまり作法――いえ、ちょっと気になって、つい……。肌触りがとても良いソファーでしたから……!」
リーシアは恐らく『ソファーの触り心地を楽しんでいた事』を見られた事を気にしている。恥ずかしかったみたいな感情を持っているのだろう。分からなくもない感覚だ。まあ、俺はあんまり気にしない方だが……恥と感じる人もいるだろう。
「…………そうね。肌触りが良かったから、しょうがないわね……」
自身に言い聞かせるようにリーシアは呟いた。
「しょうがないと思います……!」
「……私も、そう思うわ」
呟くリーシアの声が空気に溶け、それと同時に会話が途切れる。暖炉のぱちぱちとした音が響く。
……なんか気まずい。