三章幕間 リーシアの初恋
雪が積もるテチュカの街で一人の美しい少女が顔を赤くしながら歩いていた。少女の足取りは自然なものだったが、少女自身はまるで自分の足が宙に浮いているように感じられた。
少女――リーシアは上気する心を抑えられていなかった。初めて味わう感情が彼女の心を大きく揺らしていた。
「どうしよう…………私……」
リーシアの小さな呟きは誰にも拾われることなく雪へと溶け込んでいく。
彼女の頭の中は一人の男のことでいっぱいになっていた。ロランという名前の男。その姿が、表情が、優し気な言葉が、些細な仕草が頭から離れなかった。体を震わせるような大きな熱情がリーシアの中で暴れ出す。そのせいで、自分の足が地面をしっかりと踏んでいるのかも分からない。
そんな中でもリーシアは一歩一歩進み、旅の途中で借りている部屋に戻ることができた。
リーシアが部屋に入るとすぐに中から可愛らしい少女が出迎えた。
「おかえりなさい、リーシア様! 会えましたか?」
愛嬌溢れる少女は少しばかり奇抜な髪を持っていた。ショートヘアのその髪色は一部は白く一部は黒い二色髪であった。
また彼女の腰には黒い細長い板のようなものがぶら下げられていた。もし藤ヶ崎戒がこの場にいれば羽子板のようだと表現したかもしれない。この板のようなものが、この少女とリーシアを繋ぐ絆の一つだ。
「ルミちゃん……」
透き通った声で呟くリーシアの顔は赤く、目は潤んでいた。
「リーシア様?」
部屋の中にいた可愛らしい少女――ルミと呼ばれた少女は、リーシアの異変にすぐに気付いた。それ故、疑問の言葉を口にした。
「えっとね…………ロランっていう人には会えたわ。バスケットも渡したの……でもね、……、何て言えばいいのかしら………」
リーシアは頬を赤く染めて目を伏したまま、ゆっくりと一つ一つ言葉を紡ぐ。
「何かあったんですか、リーシア様? 何でも言ってください。私、リーシア様のためなら何だってできますから!」
少女にとってリーシアは敬愛する相手だった。その相手が辛そうにしているように見えて、何かをしなくてはという使命感に駆られた。
「うん…………、あのね……驚かないで聞いて欲しいんだけど…………たぶん、私、恋をしたんだと思う……、一目惚れっていうのかしら……よく分からないわ…………」
「――え?」
そしてリーシアの告白を聞いて、少女は固まった。そして数秒ほどして、ぎこちなくだが思考が動き始めた。
「リーシア様が……一目惚れ……? 相手は誰ですか!?」
少女は驚きリーシアに詰め寄る。
「……相手は、…………その、……ロランって人よ。さっき会って……それで、……たぶん。恋をしたのね……言葉にすると他人事みたいだわ」
リーシアはそんな少女の振る舞いに少し困りながらも一生懸命、答えを口にした。
「そうですか……リーシア様が、恋を…………なんだか、凄くビックリしました。えっと、そのロランさんって人はどんな感じの人なんですか?」
「ロランは……優しい人だったわ。心も、言葉も、態度も、見た目も全部」
確信をもったかのようにリーシアは呟いた。
――リーシアとロランと呼ばれている人物が接した時間は、ほんの僅かだ。その僅かな時間で全て知ったかのように語るのは、件の人物である藤ヶ崎戒が知ったら不思議に思っただろう。藤ヶ崎戒でなくとも、二人の些細なやり取りを見た人間であればリーシアの言葉を強く信じることは難しいだろう。勿論、このリーシアという人物がたとえば洞察力に長けていたり、自分の意見に常に自信を持つ人物であるという可能性を考慮することもできるかもしれない。しかし、先ほどの藤ヶ崎戒とのやり取りを見た人であれば、多くが今のリーシアの状態を次のように説明するだろう。恋は盲目と。
けれど、リーシアの目の前にいる少女は、肝心のやり取りは見ていないし、そして何より、リーシアの言葉を重要視していた。
「優しい人なんですねっ! それなら良かったです。やっぱり優しいリーシア様には、同じように優しい人じゃないと私も納得できませんからっ!」
「…………ルミちゃんは応援してくれるの……?」
不安そうにリーシアが尋ねた。ルミと呼ばれる少女がリーシアを尊敬しているのと同じように、リーシアもまた少女のことを好ましく思っていたからだ。そしてリーシアは、好ましいと思った相手が自分の行いには肯定的であって欲しかった。
「勿論です!」
少女はリーシアの不安を振り払うように元気よく答えた。
「…………ありがとう、ルミちゃん」
リーシアは弱弱しくも、どこか嬉しそうな、そんな曖昧な表情で少女に応えた。
※
それから、リーシアと少女はテチュカの街で人気の料理を口にした。数口ほど口に含んだあたりで二人は無言になった。少女は黙ったまま悩まし気に料理を見つめた。一方でリーシアの口は自然と開いた。
「……ルミちゃんの料理の方が美味しいわ」
リーシアの明け透けな言葉に、少女は少し気まずく感じて曖昧な笑みを浮かべた。
「やっぱりヒストガは食べ物がいまいちみたいですね」
「そうね……せっかく行ってみたけど……次はどこを探そうかしら……?」
人気の料理でも満足できなかった。どこならば美味しい料理があるだろうかとリーシアは思案する。
「うぅ、リーシア様ごめんなさい。昼ごはん探してもらって」
「いいのよ……ルミちゃんは今大事な事をしている最中だもの……それに、このおかげでロランとも会えたし……」
初恋の相手の名前を口にした時、またしてもリーシアの頬が薄っすらと赤くなった。
「うーん、でも、これ以上リーシア様の苦労をかけるわけには……それにリーシア様には美味しい物を食べて欲しいですし、やっぱり私が作ります……! 三食全部……!」
「……ルミちゃんが……? そうしてくれるなら、嬉しいわ。でも、大丈夫かしら? 今、溶かしてるところよね? 上手くいくといいんだけど……」
『溶かす』――リーシアが口にした言葉はある物の製法に関わることだった。
「だ、大丈夫だと、思います。あ、でも、その、もし失敗したら……えっと、リーシア様、今使ってる材料って、再入手できたりしますか?」
少女は不安げにリーシアに尋ねた。
「だいぶ珍しい材料だったから簡単には手に入らないと思うわ」
「そうですよね……」
リーシアの答えを聞き、少女は肩を落とした。今、彼女たちが話していたのは、アーティファクトの材料とその扱いについてだった。
――アーティファクト、それは古の技術によって作られる特殊な道具だ。魔道具よりも遥かに希少であり、魔道具とは比べ物にならない程に性能が高い。そして現在では再現不能の技術が使われていたり、技術的には再現可能であっても、実際に製造しようとすると途方もない程の予算や非常に精巧な技術を持つ職人が必要になる。
そして、そのような職人はこの世界では稀少だ。リーシアはその一人だった。
さらに付け加えるならば、彼女はアーティファクト作製における天才であった。本来アーティファクトの作製は、非常に精巧な技術を持った職人が数十年かけて行うものだ。リーシアは、僅か十七歳という年齢でありながら、既に作製したアーティファクトの数は十を超える。世界の常識を大きく塗り替えるような存在だった。
黒と白の二色髪の少女はそんな偉大なリーシアの弟子だった。しかし少女はリーシアに比べれば凡才であった。アーティファクトもまだ一人で作れたことはない。いくら修行をしようとも、偉大な師のようになれないことは、少女も分かっていた。それでも少しでも師に近づきたい、そしていつか師を支えるようになりたい。そんな想いを少女は抱いていた。
リーシアは少女がアーティファクトを作れるようになりたいという言葉を尊重した。そして何度か材料に触れさせ、製法を教え、自分が作製するところを見せ、少しずつ少女を導いていった。少女が腰に付けている黒い細長い板も、リーシアが与えた道具――アーティファクトを作製するために使われる特殊な加工用道具だ。この加工用道具もリーシアの天才的技量により作られており、この世界に二つと無いものだ。
そして今、リーシアは偶々入手した希少素材を少女に与えた。できるだけ助言は少なく、少女が一人でどこまでやれるかを見るためだ。勿論、師匠としての心配から難しい下処理は既にやってしまっていたが、このくらいなら問題無いだろうとリーシアは思っていた。リーシアは、ちょっとだけ過保護なところがあった。
一方で、少女はリーシアからの期待がとても嬉しかった。過保護なところも自分に向ける優しさのようで好きだった。けれど、同時に不安も感じていた。今自身が扱っている希少素材を、もしリーシアが加工すれば、それはきっと尋常でないモノに、世界で一つだけのアーティファクトになるだろう。そんな素晴らしい傑作が生まれるチャンスが、自分の修行のために潰えていいのだろうかと思ったのだ。
「えっとね、ルミちゃん。前にも言ったけれど、無理しなくていいと思うわ。今回は偶々珍しい材料だったからルミちゃんにやってみて欲しかったけど、難しいみたいなら、いつもみたいに私がやるわ」
そして、そんな不安を、師であるリーシアは読み取った。リーシアとしては、この可愛らしい弟子を不安にさせる気はなかったのだ。というより深く考えてなかったのだ。
ただ、なんとなく希少な素材が手に入ったから弟子に渡しただけだ。アーティファクトなど、その気になればいくらでも作れる。愛しい弟子がアーティファクトを作れるようになりたいと言うならば、希少素材の一つや二つどうでもよかったのだ。天才故か、ある種の傲慢さをリーシアは持っていた。
さらに傲慢さの他にも天才故にリーシアは特殊な価値観を持っていた。リーシアにとって、アーティファクトを作れることもどうでもよいことだった。弟子がやりたいというならば希少な素材も惜しみなく渡すし、一方で弟子が嫌な思いをするなら、アーティファクトを作れなくても全然良いと思っていたのだ。
「でも、それだとリーシア様のお役に立てませんし……」
「そんなことないわ。ルミちゃんはいつも私の役に立ってるわよ。美味しいご飯もそうだし、普段の素材の調整もとても助かってるわ…………ううん、本当は役立つとか、そういうのじゃなくて、ルミちゃんが一緒にいてくれるだけで私は嬉しいわ」
リーシアは偽りない気持ちを口にした。リーシアは、思った事をそのまま口に出すことが、稀によくある。弟子が作る料理はとても美味しくリーシアを満足させていたし、アーティファクトの作製は完璧にできなくとも素材の扱いは十分に上手かった。そして孤立気味だったリーシアにとって少女は重要な存在だった。
勿論、利益だけでリーシアは判断したわけではなかった。人の困った顔や不安な顔、悲しそうな顔を見るとリーシアもまた悲しくなるのだ。楽しそうにしていたり喜んでいてくれる方がリーシアは嬉しかった。
天才で無自覚な傲慢さを持ちながらも、リーシアは優しい心を持っていた。
素直で優しい天才美少女。それがリーシアだった。
「――それに今回の素材は扱いが難しいと思うの。だから、やっぱり私がやろうと思うわ」
師の優しさが籠った言葉と、それに続くような真っすぐな言葉を聞き、少女は複雑な気持ちになりながらも師の言葉を尊重することにした。
「はい、分かりました……リーシア様」
内心の悔しさを少女は隠した。
「……えっとね、ルミちゃん。本当のことを言うと……ルミちゃんの手料理をまた食べたいって思っちゃったわ。だから、私が加工している時は、また作ってくれると嬉しいわ……」
まるで少女の心を読み取ったかのようにリーシアは少女に役割を与えたのだ。
白と黒の二色髪を持つ弟子は師をじっと見つめた。師であるリーシアは小さく微笑んだ。優しさと儚さが同居しているような、そんな笑みであった。
「……! 任せて下さい!」
リーシアの優しさを感じ少女は師への尊敬を新たにした。勿論、少女はリーシアのことを既に誰よりも深く尊敬しているつもりではあったが。ただ、それでも尊敬に上限はなく、最大をさらに更新したのだ。
なお、当のリーシアは思った事をそのまま口にしただけだった。リーシアの心には優しさもあったが、美味しい弟子の手料理を食べたかったという気持ちも大いにあった。
「あ、でも、やっぱり明日は私がご飯を探してもいいかしら?」
そして、大きな恋心もあった。
「はい? 大丈夫ですけど、何か……あっ! さっきの人のことですか」
少女は先ほどのリーシアの言葉を思い出した。初恋の人ができたという話だ。
弟子の言葉を肯定するようにリーシアは顔を赤くした。
「…………うん、また会える気がするの。だからそれまでは素材の加工は一旦休止で。もしできそうなら、ルミちゃんがやれる範囲で調整して。あんまり真剣にならないでいいと思うわ。材料を壊さない程度にゆっくりやればいいと思うの」
リーシアは恥ずかしくなり目線を逸らし、少し早口に弟子へと指示を出した。
「はい! 調整頑張ります!」
師の可愛らしい一面を見て、少女は微笑んだ。
この後、少女は気合が入り、愛用の道具が熱くなるまで素材の調整を行った。




