三章プロローグ 使徒
カテナ教。
この宗教は『聖なる術』と呼ばれる特殊な力とともに社会に浸透していった。そのため、『聖なる術』を扱える者――『聖導師』は、その強力な力により、尊敬を集め、権威と権力も得た。
しかし、聖なる術を使える期間は短い。概ねニ十歳になる前に、聖導師は聖なる術が行使できなくなる。以前は『元聖導師』は力を失うとともに権威や権力も失うことがあった。しかし、長い歴史を経て、現在では、元聖導師もある程度の権威や権力は保証されるようになった。
では、ニ十歳を超えても、なお聖なる術を使うことができ、それも通常よりも強力な聖なる術を行使できる存在はどうなるのだろうか?
それが、『聖女』である。聖導師は、極稀に『特殊な祝福』を神とされる存在から与えられる。その祝福を帯びた聖導師は、聖女と呼ばれ、他の聖導師を大きく超えた存在になる。聖なる術の出力や精度が急激に上昇し、また、聖女それぞれが固有の術を持つ。
そして、さらに恐ろしいことに、聖なる術を使える期間が大きく延びる。故に聖女は聖導師以上の権威と権力を得る。時に神と同等の存在のように崇められることすらあった聖女、しかし、それは過去に大きな禍を呼んだ。
『冠動乱』と呼ばれる聖女による負の遺産。二百年前に起こった、宗教的に重要な意味がある四つの『冠』を奪い合う聖女同士の醜い争い。それはカテナ教を一度は引き裂いた。様々な人物の貢献により、動乱は鎮められた。しかし、原因となる冠は残り続けた。
そして冠は相応しい者が手にすることになった。それが『使徒』と呼ばれる存在だ。
カテナ教は、聖女の中で最高位の力を持つ者を使徒と定義した。
ほとんど強さのみで決まる恐ろしい存在。圧倒的な力を持っていた聖女たちを認めさせるには、聖女たちの中でも抜きんでた強い力の持ち主である必要があったのだ。しかし、使徒は、あまりにも強すぎて誰も管理することができなかった。
四つの冠、『力』『癒し』『光』『導き』に対応した四人の使徒――強大で危険な力を持った恐ろしい怪物たちが、カテナ大陸には存在するのだ。
※
薄暗い地下室で、風を切るような鋭い音が響いた。
その音に続くようにくぐもった音がする。さらにほぼ同時に鎖の音が流れる。音の発生源の近くに立っていた少女が冷たい視線を目の前にいた人型に向けた。
「手間をかけさせた割に……悲鳴の出し方は他の悪魔憑きと変わらないのね」
少女の声は氷のように冷え切っていた。
「――! ――!」
くぐもった音を人型が出した。それは人の言葉にはなっていなかった。なぜなら、人型は口枷を嵌められていたからだ。
人型は人間の女のように見える。しかし、冷たい視線を向ける少女は人型を人間と――カテナ人と見なしていなかった。
それ故だろうか、女はあまりに酷い状態だった。
身に着けているのは口枷と首輪だけであり、しかも首輪は強く締め付けられ、首が強く圧迫されていた。首輪には鎖が取り付けられていて、鎖の先は天井に設置されているフックに繋がっている。
しかも長さを間違えたのか、それとも少女の残酷さか、女が自然に立っているだけでも首が絞まるほどに鎖は短かった。そのため、女は常に背を伸ばした上でつま先立ちの姿勢を強いられていた。鎖はピンと張られていて、首輪が強く締め上げられていることもあり、少しでもつま先立ちを止めれば首が締め上げられる状態だ。
故に女はその場でから動けなかった。暴れようものなら、すぐに首が絞まるだろう。
さらに女の全身には無数の火傷の痕があった。太腿よりも下には、多くの円形の火傷の痕があった。不思議と、無数にある円形の火傷の痕はどれも同じ大きさだった。そして太腿より上にも多くの火傷の痕があった。こちらの痕はまるで炎が這ったかのように独特な弧を描いていた。
そして、女にとって最大の傷は両手にあった。いや無かった。女にはあるべき両手が既に無かった。左手は手首から先が、右手は肘から先が無くなっていた。さらに断面にも大きな火傷の痕があった。女は元から両手が無かったわけではない。少し前まではあったのだ。ただ、目の前の少女により切断され、さらに傷口を焼かれたのだ。
「どうして、悪魔憑きって皆、同じように囀るのかしら」
少女は呆れたように呟いた。先程から少女が口にする言葉――『悪魔憑き』、それが少女が女に対して残酷に振る舞える理由だった。この少女にとって悪魔憑きは憎むべき存在だった。そして、少女が所属している組織――『カテナ教』において、少女の行動は正当な行為だと定義されていた。
「――! ――!」
また女がくぐもった音を出した。その音色は許しを懇願するかのようであった。
「囀らないで」
そう言って少女は手を振った。少女が手を振ると同時に、その手から炎が現れた。そして少女の手の振るう先に誘導されるように炎が動き、女の上半身を撫でた。
まるで、それは炎でできた鞭だった。炎の鞭は、弧を描く火傷を女に刻んだ。それと同時に苦悶の音が大きく漏れた。口枷をしていても大きく音が漏れるほどの絶叫であった。女は痛みで藻掻いた。
しかし、それがまた女を苦しめた。首輪に繋がれた鎖はしっかりと張られていて緩みはない。そして、そもそも女がつま先立ちをしなければいけない程に鎖は短い。鎖が鳴る音とともに女の首が絞まった。女は必死に痛む体の動きを抑えつま先立ちを維持しようとする。そのおかげでどうにか呼吸できるようになった。
けれど、すぐにまた少女が炎の鞭を振るった。先程と同じことが繰り返された。苦悶の音、藻掻く音、鎖の音、締め上げる音、そしてそれを抑える音に、必死に呼吸を整える音、そして再び炎の鞭が振るわれる音がした。
その繰り返しを数度した後、少女は一度手を止めた。今の残酷な行いにより、女の上半身の火傷痕はさらに刻まれた。
少女が鞭を振るうのを止めると、女は必死に痛みを紛らわせ、何度も首を絞められ遮られていた呼吸を整えた。そして懇願するように少女を見た。今度は音は出さなかった。できるだけ少女を刺激しないように、それでいて、憐みを誘うように必死で懇願の視線を送った。しかし、少女はそれを冷淡に見返した。
「今更そんな目をするの? 私、言ったわよね、『抵抗しないで、全部差し出しなさい』って」
少女が告げた言葉――それはこの悪魔憑きと呼ばれている女と少女が初めて会った時の話だった。少女はこの悪魔憑きに会った時に次のように告げた。『これからお前を捕まえて聖なる罰を与える。抵抗せずに、命・権利・財産およそ持ちうる物全てを差し出せば、罰を与える時に手心を加えても良い』と。
気が狂ったような要求だった。抵抗してもしなくても拷問を行うという宣言は、断られること前提の要求のように見えてしまう。当然、女は少女の言葉を相手にせずに逃げた。しかし、少女は女の行動に怒り狂った。なぜなら、少女は、自分の懇願が無視されたと考えていたからだ。
そう、懇願だ。少女にとっては前述の横暴な要求は懇願のつもりだった。少女にとって悪魔憑きという存在は好きに拷問していいし殺していい存在だった。だが、自身を優しい存在だと思っている少女は、憎むべき悪魔憑きであったとしても痛みに悶える姿には僅かばかりに憐みを感じ、慈悲の心から先ほどの懇願をしたのだ。
「その腕だって抵抗したから切り落としたの。最初から言う通りにすれば良かったのに」
あまりに理不尽な言葉だった、思わず、女が少女を見る目に力が入る。少女はそれを見逃さなかった。
「悪い目つきになったわ。まだ反省が足りてないみたいね。そうね……せっかくだから長さ、合わせようかしら」
そう言うと少女は右手で、女の左前腕を掴んだ。女の左手は既に無い。女は嫌な予感がした。そしてそれはすぐに、当たっていたと証明された。
唐突に女の左前腕が燃え始めたのだ。驚愕とそして鋭い痛みから女は自身を締め上げる首輪を忘れたかのように暴れ出す。
「暴れない」
少女は空いている自身の左手を振るった。自然と現れた炎の鞭が女の両脚の脛に当たり、そのまま抜けた。今度は皮膚や肉を焼くだけには留まらなかった。
炎の鞭は女の皮膚と肉と骨を一瞬で焼き切った。女の脛から下が床に落ちた。傷口は炎によって焼かれたため出血はない。あまりに突然なことで、両足を失った女はそれに気付くことはなかった。
ただ、脛から下を失い、体の支えがなくなったため、首輪が残酷に女の首を締め上げた。両手も両足もない。体は宙に浮き、首輪と鎖により天井から吊るされている。女は首を絞められる苦しさと、前腕を焼かれる痛みで悶え苦しんだ。
一連の動作をしている間も、少女は女の前腕を焼き続けていたのだ。手首から肘にかけて少しずつ炎が広がる。ただただ皮膚が、肉が、骨が溶けて消えていく。生物が燃えることによって発生するはずの煙も臭いもない。あるのは溶けていくという事実と、生きたまま体を焼かれる痛みのみ。本来ならば絶叫するほどの痛みだ。しかし口枷を嵌められた上で首も絞められている状況では、その音も無理やり抑えられてしまう。
一通り、肘から先を溶かし終わると少女は、片手で女の胸を掴んだ。女の体を支えたのだ。支えを得たことで、鎖が緩み首絞めが一時止まった。少女が女の瞳を見た。女は既に事切れていた。痛みのショックか首が絞まりすぎたことが原因か。どちらにしろ、それはあまりにも惨たらしい死に方だった。
少女は亡骸を冷たく見た後、女の胸を掴んでいた片手に『癒し』を込めた。莫大な出力――通常の聖導師、いや聖女でさえも不可能な程の『癒し』の術が女の亡骸に強制的に注ぎ込まれた。数秒後、女の体は大きく痙攣し、女は目を開け、そしてくぐもった音を出し始めた。
「死んで逃げられると思わないで」
女は少女――『光の使徒』の言葉を聞き、痛みと恐怖そして絶望から体を震わせた。
※
それから数時間、少女が飽きるまで悪魔憑きへの拷問は続いた。拷問が終わると、少女は悪魔憑きの体を最低限『癒し』で無理やり直した後、拘束を施し、地下室を出た。地下から階段を上り聖堂の地上部に出たとき、少女は窓の外に白い粉のようなものを捉えた。
「あら……?」
不思議そうに少女は白い粉を見つめた。そして長い時間――十数秒ほどたっぷりと時間をかけて結論を出した。
「雪ね。少し温度が下がってたとは思ってたけど……これは、結構積もりそうね」
白い粉は微かに見える程度だ。雪が大量に降り積もるようには見えない。しかし少女は、この雪は積もると考えた。
「この時期はまだ積もらないってサラは言ってたけど、きっと外れね」
「メヘラ様、呼びましたか~?」
呟くような少女の声に反応して、別の少女が音も無く現れた。新たに現れた少女は、『光の使徒』である少女よりも少し年上に見え、それでいて朗らかな笑みを浮かべていた。
「――その呼び方やめて」
突然現れた少女に対して、冷たい声が刺さった。
「えぇー、いいじゃないですか~。メヘラ様、メヘラ様~」
『光の使徒』である少女を何度も『メヘラ』と呼ぶ声には、どこか不真面目さが混じっていた。
「やめて」
「……ごめんなさい使徒様。ついつい師匠の口癖で。許してくださーい」
「…………別にいいわ。それで、サラ、何……?」
『光の使徒』は、悪戯気に笑う少女――サラに対して淡々と問いかけた。要件を確かめたかったのだ。
「使徒様、ヒストガの貴族たちが騒いでますよー。シェルニツキ家の傍系までいるみたいです。どうします? ヤっちゃいます?」
ここヒストガ王国において、貴族たちは大きな権力を持っている。中でも王家であるシェルニツキ家の権力は飛び抜けている。カテナ教の影響力が薄いヒストガ王国では、聖導師が好き勝手にすることは許されないのだ。
――ただそれは、『光の使徒』であるこの少女には関係のない話だ。
少女は殺したいと思えば貴族だろうが王族であろうが容赦なく殺すことができる。何なら拷問、場合によっては生きたまま解体することすら可能である。勿論、自分を優しいと考えている『光の使徒』はそのようなことをしようとは思わない。しかし、一方でサラはそうは考えていなかった。付き合いは長くはないが、それでも、この凄まじい怪物が、短気であり、必要であれば、誰であろうと監禁、拷問、殺害、等を厭わない人物だとサラは考えていた。
「なんで?」
『光の使徒』は問いかけた。貴族たちが騒いでいる理由が気になったのだ。ただ一方で、サラは問いかけの意味を誤解した。
「邪魔で煩い貴族は全員ヤっちゃうのがメヘラ様流かなーって思いまして。実際メヘラ様が、本気になればこの国滅びますし。ていうか、私だけでもこの都市くらいは滅ぼせると思いますよー」
そう言うと、サラは自身が纏う聖なる力を濃くした。戦闘態勢の時の出力に切り替えたのだ。サラが纏う聖なる力は、並の聖導師を遥かに凌駕しており、聖女級にも比肩するほどの出力であった。
ただ、その出力と比較したとしても、先程の『光の使徒』が行った悪魔憑きを蘇生した時の出力には及ばない。いや、全く及ばない。比較にならない程に。百倍以上の出力の差があった。聖女が百人束になっても敵わない存在、それがこのメヘラと呼ばれた少女――『光の使徒』だった。
「やっちゃう……? ……ううん、そうじゃなくて、どうして貴族は騒いでるの? あと、その呼び方やめて」
『光の使徒』は頭に疑問符を浮かべるが、すぐに自分の質問が正しく伝わっていなと気付くと、サラに再度問いかけを行った。『光の使徒』は別にヒストガの貴族たちをヤっちゃおうとは思っていなかった。今は。
「使徒様が沢山暴れたからびっくりしたんだと思いまーす」
「暴れてないわ……それにあの人たちはサラに会いたいって言ってたわよ。五年前の『借り』を返したいんじゃないかしら……?」
サラは五年前、『大きな事』をヒストガ王国内でやってのけた。それはカテナ教の影響力を増す行為であり、つまりはカテナ教の楔をヒストガ王国に打ち込む行為であった。
「ええ~。それはちょっと困りますねー。使徒様の方で、何とか言い訳してもらえませんか? あの時の事は反省してるんですよ~」
しかし、当のサラ本人はカテナ教の躍進など考えていなかった。何となく行動した結果、大事になってしまったのだ。故に、サラは少しばかり過去の行いを悔いていた。そして、偉大な『光の使徒』に執り成しをお願いした。一介の聖導師に過ぎない自分よりは、使徒からの言葉の方が遥かに良いだろうと思ったのだ。
「私は悪魔憑きを裁かないといけないから……」
しかし、『光の使徒』は自然体で断った。ヒストガの貴族たちと馴れ合うよりも悪魔憑きを拷――いや、『光の使徒』が好む適切な表現で言うならば、悪魔憑きに裁きを与えたかったのだ。
「えぇ。うーん、分かりました! ほどほどに頑張りまーす……あ! そうだ! メヘラ様、これから紅茶淹れようと思ってるんですけど、飲みますか? ブランデーもありますよ」
「飲まないわ。サラの紅茶、少し変な味がするもの……あとその呼び方やめて」
「はーい、分かりました、使徒様。ブランデー紅茶は一人でちびちび飲みまーす」
そういって、去っていくサラの背中を見て、それからもう一度、仄かに降る粉雪を見た。
「白いわね……」
ヒストガ王国の早い雪を見ながら、『光の使徒』は当たり前の感想を呟いた。
三章スタートです。よろしくお願いします!




