二章76話 勝手なことしないで欲しいかな……
リュドミラとの別れを告げた翌日、ついに決戦の日だ。今日、俺はホフナーと一緒に遺跡に潜り、返す刃でリデッサス遺跡街から脱出する。
この宿とももうお別れだ。今から部屋を出たら二度と戻ってこない。故に、必要な荷物は既にバックパックに纏めた。
僅かに息を吐き、緊張を和らげる。そして扉を開ける。案の定ユリアがいた。怖い。
「……フジガサキさん、おはようございます」
ユリアは俺を見ると小さく頭を下げた。彼女の持つ特徴的なピンクブロンドの髪が小さく揺れた。
「おはようございます。ユリアさん」
できるだけ自然に挨拶をする。ただ、それでもやはり緊張してしまう。今日、高飛びしようとしているからだろう。ユリアに露見しないか、ひやひやしている。いや? どちらかと言うと、本当はもう露見していて、泳がされているのではないかとピリピリしているのかもしれない。
そんな風に思っているからだろうか。視線がついユリアの腰のホルダーに納められている鞭にいきそうになる。
「……えっと、今日の鞭も一番短い鞭です。あ、その、遺跡とかに潜る時、特に狭い遺跡だと、この鞭をよく使うんです……えっと、フジガサキさんは、今日はもしかして遺跡ですか……?」
俺の視線にユリアは気付いたのか、片手を鞭に触れながら、彼女の武器について言及した。
……相変わらず、禍々しい武器だ。いや、まあ、たぶん、俺の感じ方の問題もあるだろう。今日逃げる予定だからこそ、ユリアや彼女の使う武器に対して強く警戒してしまうのだ。
「ええ、実は潜ろうと思っています。昨日言ったかもしれませんが、ミーフェさんと一緒に組むことになって、それで何日か組むので、とりあえず今日潜ろうという話になって。結果にもよりますが、上手くいけば何日か連続で潜ることになりそうです。久々なので、少し気分が高揚しています」
ユリアに言葉を返しながらも、ホフナーと何日か組むかもしれないアピールをしておく。こうすることで、ユリアも俺が数日は遺跡に集中するのだと誤認してくれるのではないかと思っている。そうすれば、少しは油断するのではないだろうか? 今日は脱出決行日なので、少しでもユリアの警戒を解きたい。まあ、今の俺の言葉でユリアに影響を与えられるかは分からないが、やれるだけやっておきたいのだ。
余談になるが、この宿も安全のため一週間分は金を払い確保している。もうこの宿を使う予定はないが、ユリアに予約状況を確認されると不審に思われる恐れがあるからだ。まあ、恐らく確認はされないと思うが、念のためだ。
「そうですか、ミーフェちゃんと…………その、朝ご飯は地上で食べていきますか……? もし良ければ、一緒に、どうでしょうか……?」
ユリアはおっかなびっくり俺に提案した。
「すみません、実は朝からミーフェさんと一緒なので、難しいかと。また今度機会があれば、ぜひユリアさんとご一緒したいと思っています。すみません……」
適当な言葉を口にし、ユリアと一緒の時間を避ける。これを乗り越えれば、もうユリアと会うことはない。故にさっさと終わらせたいのだ。勿論、いつボロが出るか分からないので早く終わらせたいという理由もあるけれど。
「い、いえ……私の方こそ、すみません。その、いつか……」
「ええ、いつか。それでは、すみません、ミーフェさんを待たしてしまうと悪いので、これで一旦失礼します」
適当に言葉を告げユリアと別れ、宿の入口へと向かう。後ろから、ユリアがついてくる足音が聞こえた。別におかしくはない、ユリアも宿の外に出るならば同じ階段を使うのだから。でも、ユリアから逃げようと計画している状況だと、後ろからユリアが来るという状況がどうにも怖く思えてしまう。
後ろからついてくるユリアに怯えながら、階段を下り宿の受付前へとたどり着く。探すまでもなくホフナーがいた。彼女はいつも偉そうにしているので、雰囲気ですぐ分かる。いつもは、『この人と一緒にいるのはやだな』と思うところだが、今日ばかりは助かる。ありがとう、ホフナー。
俺はこれ幸いとホフナーに近づき挨拶をする。ホフナーも俺を見て強気な笑みを浮かべて――直後に固まった。
なぜだか違和感を覚える。ホフナーは俺を見て固まった。より正確に言うと、俺を見て少ししてから固まった。俺の後ろを見て固まった……?
「ミーフェちゃん、久しぶりだね」
俺の後ろから、ユリアがホフナーに声をかけた。その声音はとても優しく、慈愛に満ちているように俺には感じられた。
恐らく、気が短いホフナーを相手するためのものだ。敵意や害意が無いことを示すことで、ホフナーが怒り狂う可能性を下げようとしているのだろう。いや、だがしかし、なぜわざわざホフナーの相手を? 無視して一直線に宿から出てしまえば良かったのに。ユリアはホフナーのことが苦手なのだから。
「――っ!」
固まっていたホフナーはユリアに声をかけられると急に飛び跳ねるように体を動かした。
「? ミーフェさん……?」
状況が読めず、ホフナーに疑惑の視線を向けてしまう。
俺の記憶ではユリアはホフナーを苦手としているはずだが……? なんだか、まるで逆みたいだ。いや、まあ、冷静に考えればそんなことはないだろう。
ホフナーを苦手とする人が多いのは自然だ。一方でユリアのことを苦手とする人はかなり珍しいだろう。ユリアは優しく真面目で誠実な少女だ。まあ、俺のような特殊な立場の人間にとっては苦手な存在だが。いや? ユリアが苦手というより、悪魔憑き故に聖導師が苦手になっただけか? ユリア個人は……いや、でも、今は苦手か。真面目で使命に誠実な聖導師というのは悪魔憑きから見ると恐ろしい要素なのだから。
まあ、もし捕まることがあったら、その時は彼女の優しさに縋ることになるだろうから、ありがたい面もあるのかもしれないけど。
「ミーフェ、迷惑、かけてないから」
ホフナーは何かに緊張しているのか、強張った声を出した。
なんというか、ホフナーらしからぬ仕草だ。緊張しているのか? ユリアに対してか? いや、ホフナーは鋭いところがあるから、もしかしたら何か察したのかもしれない。実際ユリアは俺を疑っているし、俺はそんなユリアを恐れている。俺もユリアもそれを相手に察知されないように振る舞ってはいるが、何か変な雰囲気を僅かに出してしまっているのかもしれない。その『僅か』を鋭いホフナーは自然と嗅ぎつけ、緊張したのかもしれない。
――そうなると、ホフナーをこの場に長々と置くのは危険だな。
『ホフナーの緊張を俺が読み取った』とユリアが気付くと、良くない流れになるかもしれない。
「ミーフェさん、あの――」
「――じゃ、じゃあ、まあミーフェはカイと遺跡行くから。ほら、カイ、行こうよ」
ホフナーと一緒に早く宿から離れようと思い、彼女に声をかけるが、それとほぼ同時にホフナーが声を出した。そしてその言葉はまるでユリアに対して言い訳するような言葉のように俺には思えた。疑問を感じるが、ホフナーが俺を引っ張って宿の外に出ようと動き出したので、それに従い宿の外へと向かう。結果的にユリアと別れられるならば、好都合だ。
複雑な表情でこちらを見つめるユリアに別れの挨拶を告げた。
たぶん、上手くいけば、これでユリアとは最後の別れになるだろう。ふと、どうしてか、クリスクにいた時、ユリアが何度も俺の調べ物を手伝ってくれた事を思い出した。当時から俺の事を疑っていたのかもしれないが、それでも当時の彼女の振る舞いは親切で……優しい少女だったな。
ホフナーに引っ張られ宿の外へと連れ出され、ユリアの姿が見えなくなる。ほんの少しだけ残念だという想いはあった。あったが、目を瞑り、数秒ほどして、首を小さく横に振り、その想いを掻き消した。自分の身の安全と自由の方が大事だと分かっていたからだ。そうして再び目を開き、今の自分にとって重要なパートナーとなるホフナーに意識を集中させることにした。
そう。重要なパートナーだ。たとえ今日限りに関係だとしても、お互い命を預けることになるのだから――まあ、実際はそんなに危険な層には行かないので、命を預けたりはしないし、仮に預けるような関係になったとしても、お互いではなく、俺がホフナーに一方的に預ける形になるだろう。俺が戦闘でホフナーを助けられるとは思えないので。
とりあえず、ホフナーに遺跡のことでも話すかと思い口を開く。
「ミーフェさん――」
「――まあ、実力ではミーフェが『上』だから」
しかし、俺がホフナーの名前を呼ぶや否や、またしてもホフナーが俺の言葉に言葉を重ね妨害した。今日はなんか全然上手く喋れないな。
「……はい。その、ミーフェさんほど強い探索者はいないと思われますから。実力でミーフェさんに敵うものもいない。つまり常に『上』かと」
とりあえず、ホフナーの言葉に追従する。元となるホフナーの『上』とかいう話はよく分からなかったが、まあ強い弱いの話だと思うので、適当な言葉を並べておく。
「うん、そう。まあミーフェ知ってたけど。てか、これ見よがしに鞭とか触れてたけど、まあイキってるだけっていうか。こっちをビビらせようとか思ってたのか丸わかりっていうか。まあミーフェはビビって無いけど」
……?
えっと。鞭ってことはユリアのことだな。ということは話題はユリアの件だ。ホフナーはユリアの事を気に入っていなかったみたいだが……うーん? よく分からない無い。なんか俺の知らないところで何かあったのかもしれない。
「なるほど……確かにミーフェさんを怖がらせる存在がいるとは考えられませんね」
とりあえず適当な言葉を口にしておく。
本当の所は、何かユリアに関して知っているなら聞いておきたかった。しかし、聞いたらホフナーは怒るだろう。ユリアの情報は知っておいた方が良いが、今は本日背中を預けるホフナーの気分を良くした方が行動計画全体のパフォーマンスが良さそうだ。故に、聞かないでおいた。
ただ薄っすらと記憶の片隅にある点と点が線で結ばれそうな感覚があった。いや、流石にそんなことはないだろうけど……いや、今はホフナーに集中しよう。
「本当に強いヤツは、むやみやたらに武器に触れないから」
ホフナーは初対面ですぐにナイフに触れてたことを、何となく思い出したが、口には出さなかった。




