二章64話 逃亡計画
一通りマリエッタと雑談した後、彼女と別れ宿へと戻った。その際、俺はマリエッタに、
「……今日は残りは部屋でゆっくりしようと思っていますが、ああ、えっと監視ってことだとそれだと怒られますか?」
と告げると、マリエッタは、
「いいよいいよ、戻って戻って! ロビーにいるから外に出る時呼んでよ!」
と明るく答えた。なんとも大雑把な監視だ。これはありがたい。たぶん、マリエッタは俺のことを疑っていない。今までのが全て俺を油断させるための演技という可能性もゼロではないが、それをするのは……いや? 流石にその可能性はゼロでいいか。フェムトホープ側に益が無さすぎるし、もしそうならマリエッタの行動が不可思議だ。とすれば疑っていないと置いていいだろう。
アーホルンの宿の部屋の中で思考を巡らしていく。
アストリッドはどうだろうか?
彼女もそこまで疑ってはいない気がする。
これに関してはかなり感覚的なものだが……強いて言えば、彼女が残りの二人ほど教会色が濃くないという点と、フェムトホープのメンバー入りを断った点だ。少し前に、ルティナが俺を加入させようとして、アストリッドが断っていた。あれは今考えると、結構『罠』だったのかもしれない。フェムトホープのメンバーとして俺を監視下に置こうとルティナは考えていたという可能性がある。
これに関してはルティナについての考えを深める必要があるので、一旦置いておきアストリッドの対応のみを考える。アストリッドは断ったのだ、それが重要な気がする。あの時点で、既にユリアは俺を疑っていたはずだ。そしてユリアと再会した時の状況から考えると、ユリアは俺を疑っていることをフェムトホープのメンバーに既に伝えていた可能性が高い。もしアストリッドがユリアに強く協力的だったり、俺の事を悪魔憑きだと疑っていたのならば、俺を監視下に置くためにも、あの場でフェムトホープ入りを断らないはずだ。
だから、想像になるが、アストリッドはそこまでユリアに協力的でないし、俺の事を疑っていないと考えられる。それに、あの時の雰囲気からして……たぶんだが、アストリッドは俺に対して一種の罪悪感を持っていたのではないだろうか? 彼女はリデッサスで再会してから妙に歯切れが悪かったし、俺の監視も殆どやっていない。俺の事を疑っていないのに、残りの二人が疑っていて、かつそのことを隠しているという状況が罪悪感を持たせのかもしれない。
次はルティナについて考えよう。正直彼女は一番難しい。
基本的に、俺はフェムトホープと再会してから、毎日必ず誰かと会っていたが、その殆どはユリアかルティナだ。俺のことを積極的に監視していたと考えていい。実際この二人は今も俺の向かいの部屋に泊っている――これも監視の一環だろう。彼女たちが向かいの部屋になった時は、偶然だと考えたが、何らかの作為があったのだろう。教会の権力者であるユリアの力を持ってすればそれも可能だろう。
俺の事を積極的に監視していたこと、教会色が強いこと、そして先ほど考えたフェムトホープ入りの件、これらを踏まえると、ルティナはだいぶユリアに協力的である。実際ルティナはユリアと仲が良いみたいだし、分からなくもない。もしかしたら、彼女の立場――聖従士というものも影響しているのかもしれない。
それ故、俺は本来ルティナのことを、ユリアと同じように警戒するべきなのだが……なんだろうか、何か歯車が噛み合わないのだ。ルティナの態度が妙に親しいというか、親切といういか、演技っぽくないというか……いや、でもそれを考え出したらユリアも……あー、駄目だ。上手く纏まらない。何と言うか、ルティナは俺に対して親しさを持っているような気がしたのだ。特にクリスクにいた時はそうだった気がする。
もしかしたら、ユリアに協力的であることと俺を疑っていることはイコールではないのかもしれない。ユリアには協力的だが、一方で俺の事はそこまで疑っていないという可能性も……ああ、いや単にユリアが疑いを仲間に共有したのが俺がクリスクを出てからというだけの気もするし……というか、ルティナの感情がどのようなものだったとして、ユリアに対して協力的だという一点だけで、今の俺にとっては脅威であると考えるべきか。とりあえず、ルティナ警戒だ。
最後はユリアだ。
まあ、彼女が俺の事を疑い始めたのが全ての始まりだ。絶対俺の事を疑っているし、そして、俺が悪魔憑きである確度がかなり高いと考えているのだろう。これはユリアの性格と行動からの予想だ。
ユリアは慎重な人だ。過ちを犯さないようにしていると言い換えることもできるだろう。そして判定具は確か貴重な物だとリュドミラが言っていた気がする。それを使う申請をユリアはリュドミラに出している。ユリアの性格だと、これはかなり確信が無いとできない行動だ。ユリアは滅茶苦茶俺を疑っているのだ。そして、たぶんそれは大当たりだ。うぐぐ。
そして、特に問題なのはユリアは『追いかけて来る少女』という点だ。たぶん俺が高飛びしても追いかけて来るだろう。そうすると、とりあえず高飛びというのは危険だ。ユリアは追いかけて来るだろうし、それに一度高飛びすれば、それは半ば悪魔憑きだと認めているようなものだ。高飛び後に捕捉されればユリアは強硬手段に及んでくるかもしれない。
故に、確実にユリアから逃げれる高飛び先を考える必要がある。ただ、制限時間――ユリアが判定具をリュドミラから貰うまでの時間は、あまり長くは無いだろうい。制限時間は数日でいいのか……? ユリアが言っていたとマリエッタが言っていたが、果たして信じていいものか。一応そこに策略があるという可能性はそこまで高くないし、仮に策略があったとしても対応が困難だし、一応真実だと仮置きしておこう。
よし! 数日だ。数日以内に高飛び先を決め、高飛びの準備をして、高飛びする。高飛び、高飛び、高飛びだ……!
計画を練るためにも地図を開く――『巡礼地図』を買っておいて本当に良かった。元々はリュドミラから意識を逸らすために買った物だったが、人生とは何が役に立つか分からないものだ。
そんなことを思いながらも、カテナ大陸における国の位置関係を見る。
以前見た通り、リデッサス遺跡街があるミトラ王国は大陸中部に存在している。西側には大陸を東西に分ける大山脈、東側には大陸東部を南北に分ける山脈がある。
そして、ここリデッサス遺跡群はミトラ王国の中でも北端かつ東端に位置する。地図に書かれているクリスクとリデッサスの位置関係から考えて、馬車で一日以内で東の国境線を、二日以内に北の国境線を跨げると思われる。まあ、地図の縮尺が正しければだが。
これだけでも何となく東に抜けたい気持ちだが、一応、一つずつ逃走先について考えてみることにする。東西南北それぞれを見ていきたい。
まず南だが……これは避けなければいけない選択肢だ。国境線までの距離が遠く、何よりカテナ教の影響力が強すぎる。カテナ教はカテナ大陸においては南部、特に中央南部から南東部にかけて強い。現状リュドミラやユリアが権威的に振る舞えるクリスクやリデッサスよりも、力が強いのだ。俺に不利で聖導師に有利だ。故に避けなければならない選択肢だ。これから来る冬を考えると気持ち的には南に行きたいが、仕方がない。
次は西だ。これも採用しにくい選択肢だ。ミトラ王国の西側にはアルティトゥード王国がある。アルティトゥード王国のカテナ教の影響力はミトラ王国と同じくらいらしい。つまり逃げてもユリアが追いかけて来た場合さらに逃げる必要がある。
しかし、アルティトゥード王国の西には大陸を分ける大山脈がある。故にさらに西に逃げることはできないのだ。そこから先、逃げるとすれば山脈に沿って北か南だ。まあミトラ王国に戻って、いたちごっこをするという手もあるが……いや、一度逃げる以上ミトラ王国に戻るのは危険か。ユリアが罠を仕掛けているかもしれない。
考えを戻そう。アルティトゥード王国で追い詰められた場合は大山脈に沿って北か南に行く必要がある。南に行くのは先ほど考察したように駄目だ。ということは北に行く必要があるのだが……これに関しては別の問題もあるが、それは一旦置いておく。置いた上で、まあ北回りを成功させて大陸西部に落ち延びたとする。
しかし、ここから先も問題があるのだ。大陸西部はカテナ教の浸透が薄い。これだけ聞くと、とても良いのだが……『巡礼地図』によると、大陸西部はどうも戦争が起こっているらしい。権力者たちが小競り合いに興じているようだ。戦争は危険だ。いや、上手く利用すれば隠れ蓑になるかもしれないが、それでも危険すぎる。戦争中の国家は、軍隊が暴れているし、何より都市の治安が悪いことが予想される。ユリアから逃げ延びても死んでしまったら意味がない。
その次は北だ。
まず長所を挙げると、カテナ教の影響力が薄いという点だ。これはユリアの優位性の一部を剥ぎ取ることができる。そしてこれが、たぶん唯一の長所だ。
短所は単純に寒いことだ。最近では、随分気温が下がり、寒くなってきた。リデッサス遺跡街の時点でこんなに寒いのだ。さらに北となると移動にも影響が出るだろう。というより、あと一か月もすればこのリデッサス遺跡街周辺でも移動が大変になってくるらしい。
故に、北で活動できる期間はかなり限定されるだろう。何処かの都市で足止めにされているところでユリアが来たら最悪だ。まあユリアも寒さで動けなくなるという可能性もあるか……あ、いやユリアには『光』があるか。それに魔術師のマリエッタもいる。俺よりは動きやすいかもしれない。うーん、やはり北も難しいな。
最後は東だ。というか、ここまで碌な結果が無いので、実質ここ一択だ。だが念のため考察しておきたい。
ミトラ王国の東、というかリデッサス遺跡街から東に馬車で一日の距離でヒストガ王国がある。
ここは逃亡先としていくつかの長所がある。
まず第一に、大陸北部と同じでカテナ教の影響力が薄いという点だ。ただ、完全にカテナ教の影響が無いわけではなく、聖堂などは散在するようだ。まあ、それでもミトラ王国よりはマシだろう。
第二に、国土が広く逃げ回りやすい点だ。地図で見た感じミトラ王国の二倍はある。細かく分けると、北部の森林部、中部の高原部、南部の平野部に分けられる。
そして第三の長所としては、ヒストガ王国の中部と南部にはそれぞれ東西に大きな街道がある点だ。この街道を使うことで大陸の東側に一気に進むことができる。冬が本格的に始まる前に、追いかけて来るであろうユリアと距離を開くことができれば、かなり優位に立てるだろう。
一方で、短所もある。まず、ヒストガ王国の南には大陸東部を南北に分ける山脈がある点だ。一度東側に移動すると、ヒストガ王国の南に行くのは難しくなる。ヒストガ王国もミトラ王国に比べれば北側にあるので、わりと寒いはずだ。つまり街道を使い、一度東に移動すると山脈の切れ目までは南下できないので温かくならないのだ。これからやってくる冬期には移動の制限がかかるかもしれない。タイミングが変に噛み合うとユリアに追いつかれた都市で足止めを食らってしまう可能性があるのだ。できるだけ距離を稼ぐならば、急いでヒストガ王国を横断する必要があるだろう。そして、そのためにはより移動がしやすそうな二つの街道のうち南部の街道を使いたいのだが……ここで二つ目の短所が関わってくる。
二つ目の短所、それは、ヒストガ王国の南部の街道は巡礼用という点だ。南部はカテナ教の影響力がヒストガ王国の中では強く、聖堂の数が中部や北部よりも多い。そして、その聖堂を結ぶように東西に立派な街道が伸びている。移動速度や冬期の移動難易度を考えれば南部の街道を進む方が良いが、安全性を考えるならば中部の街道を使った方がいいかもしれない。
ただし、逆に言うと、この移動の動きは読まれやすいかもしれない。俺はたぶんユリアほど賢くはないので、読み合いはちょっと自信が無い。実際、今回もマリエッタの情報漏洩が無ければユリアに捕縛される可能性が高かった気がする。
うーん。いや、まあそこは一旦置いておいていいか。兎に角、結論は東だ。東のヒストガ王国へ逃げ込もう。そのための準備を明日から整える必要があるだろう。




