二章61話 加護をその身に宿す者
「自分とリュドミラさんの関係、ですか」
彼女の蠱惑的な紫の瞳を見てしまったせいで、オウム返しのような言葉を口にしてしまう。
「ええ、そうです。フジガサキ様は、私の事を――いえ、違いますね。そうですね……以前、フジガサキ様のことを『特別な方』とお話したことを覚えていますか?」
リュドミラは少し言葉に悩むように過去の出来事を口にする。彼女が言ったことは、よく覚えていた。『フェムトホープ』の面々がリデッサス遺跡街に来る少し前、大聖堂であった事だ。リュドミラに『特別』だと言って貰えたことに心を大きく揺さぶられたのは俺の記憶にはっきりと刻み込まれている。
「確か、そう仰っていましたね」
できるだけ自然な口調で言葉を返すことができたと思う。もし気持ちと口が連動していれば、声を大にしてはっきりとした口調で『覚えている!!』と答えたであろう。
「今は、あのとき以上に特別に思っています」
じっとこちらを見つめながら紡がれた言葉に、以前と同じように、いや以前以上に心が揺さぶられる。リュドミラに強く惹きつけられる。拷問道具を嬉しそうに解説したり、穏やかじゃない冗談を言ったりする少女であるが、それでも、つい惹きつけられてしまう。初恋だからだろうか? それとも俺は恋に落ちると盲目的になる人物なのだろうか?
「その、特別とは、どういう……?」
勇気を出しながら、言葉の意味をリュドミラに問うた。こんな誰もいないところで、二人っきりになる状況を作り、リュドミラは喋っているのだ。それはそういう意味なのではないだろうか。頭の中が有り得ぬ期待で膨らみ、弾けそうになる。
「私にとって特別という意味です」
甘く囁くような声が頭を貫いた。声が上手く出ない。いや、リュドミラと話しているときはいつも声が上手く出ない気がするけど。それでも今はいつも以上に喉が詰まるような感じがする。
俺が黙っていると、リュドミラが語り始めた。
「初めて会った時から、あなたか他の人とは違う……特別な人であることは分かっていました。ですから、友好を深めたかったのですが。どうやら無駄に言葉を弄してしまったからでしょうか、やはり隠し事をするのは良くありませんね」
自嘲するかのようなリュドミラの言葉を聞き、複雑な思いが頭の中を巡る。初めて会った時から特別な人だと思う? 友好を深めたかった? それは、そういう意味でいいのか? 俺と全く同じ思いをリュドミラも初めて会った時からしていたという解釈でいいのか……? 本当にいいのか? 間違っていたら大変だぞ……いいのか、この解釈で……?
「話がだいぶ逸れてしまいましたが……私は、フジガサキ様ともっと親しくなりたいのです。フジガサキ様はどうお考えですか?」
俺が考える巡らせていると、リュドミラが問いかけてきた。
……えっと、これは、どうなんだ?
これは俺の事が好きって事でいいのか……? え、いや、違うのか? まずは友達から始めましょうという提案か? いやいや、本当に言葉通りで友達から初めて友達で終わりましょうって意味なのか?
ぐるぐると頭の中が回っている。でも何か言わねばならない……ええい!
「それは……自分もそう思っています。リュドミラさんともっと友好を深められればと――常にです。常に思ってました。ただ、恥ずかしながら……中々自分からを言えず。でも、今も思っています」
自分の中で精一杯を振り絞り、彼女に言葉を投げつける。
体が震える。じっとリュドミラを見る。彼女の様子からできる限りを読み取ろうとする。
しかし、リュドミラはいつもと同じように穏やかに微笑むだけだ。よく分からない。
「そうでしたか。それはそれは……フジガサキ様にも同じように思っていただいていたとは。ふふっ、では、親しさの証も兼ねまして、これからは……二人だけの時は、カイ様とお呼びしてもよろしいですか?」
二人だけの時に、名前で……?
「え、ええ、もちろん」
慌てるのを抑えながら、言葉を返す。
二人きりの時、名前で……そういうことでいいのか? いや、別に名前で呼び合うというのは友人同士よくやる感じがするし、そこまで特別ではないだろう。でも二人きりの時だけに限定にするのは、その意味は……いや、リュドミラは聖女で権威を持つ存在だ。俺のような非信者相手に馴れ合うのは良くないのかもしれない。だから、友人だろうと、人目のあるところでは、仲良くし過ぎてはいけないという事かもしれない。
「ふふっ、カイ様。どうか、これからもよろしくお願いしますね?」
――頭に電撃が走ったような気がした。
今、リュドミラに名前で呼ばれたのだ。考えていたことが全部頭から零れ落ちそうだ。とりあえず、友人でも恋人でもどうでもいい。今は名前で呼んでもらったことを喜ぶ時だ。
「勿論、よろしくお願いします――あ、あの、リュドミラさんの名前を聞いてもいいですか?」
リュドミラに言葉を返しながら俺は閃いた! これはリュドミラの名前を呼ぶチャンスだと!
「ふふっ。リュドミラが名前なのです。聖導師は苗字を持たないのです」
ん、あ、あ、あ、そうか。そうだったか。そうか……
「ですから、私たちはもう既に名前で呼び合う関係なのです」
微笑むながらリュドミラがまたしても俺を惑わすような言葉を口にする。
「なるほど……友人みたいな感じでしょうか。いえ、その、聖女であるリュドミラさんに軽々しく友人などと言うのは失礼かもしれませんが……」
「――友人ではなく、私はもっと特別な関係になりたいです」
じっとこちらを見つめながらリュドミラが言葉を紡ぐ。
思わず息を呑む。これは決まりでいいはずだ。リュドミラも、少なくとも今は、俺と友人以上の関係性を期待している可能性があると。今はまだ友人みたいな関係だが、その発展性に関して期待する所がリュドミラにあるのだ。あるのだ……!
※
それから、リュドミラと共に聖具室を出て大聖堂の地上部へと戻りユリアと合流した。
ユリアと合流するまでの間――リュドミラと移動している時は、どうにもこうにも心がざわついてしまったが、ユリアと合流するとその気持ちも薄れていった。
なぜなら、ユリアもまた心をざわつかせているように見えたからだ。合流した直後はチラチラと俺とリュドミラを見ていた。『なぜ彼女が、そこまで俺とリュドミラが二人きりになっていたのを気にしていたのか』までは頭が回らなかったが、それでも自分以上に心をざわつかせている人を見れば、自然と自分のざわつきも抑えられた。何というのだろうか、焦ってる人がいると、逆に自分が冷静になるみたいな気分だ。
合流後は、少しの間、三人で話をした後、ユリアとともに大聖堂を後にした。そしてユリアに誘われ、この日は夕飯までユリアと一緒に過ごした。ああ、いや、厳密に言うと部屋に戻るまで、だ。夕飯を一緒に食べ、一緒の宿へ戻り、部屋の前で分かれた。俺は俺の部屋へ、ユリアはユリアとルティナの部屋へと入っていった。
今日は色々な事があった。ユリアとリュドミラの何とも言えない関係性を見たり、綺麗な草を見たり、恐ろしい聖具を見たり、リュドミラの意外な一面を見たり……そして、リュドミラとの関係を一歩進めることができた。まだ少し頭が混乱しているが、それでも今日は総合的に考えて善き日であったと思う。
願わくば、もう一段リュドミラとの関係を進められないか、などと不相応な考えが頭を過る。
俺は首を横に小さく振り、思わず苦笑した。
――考える自由くらいは誰にでもあるだろう。だから、今は少しだけ考えよう。
少しだけ少しだけと時間は長引き、結局は夜寝るときまで、この日はリュドミラの事を考えるのだった。




