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二章58話 聖具室


 『スイリラグメム』のあった地下室から、さらに階段を二階から三階分ほど地下へと進み――リデッサス大聖堂の奥深く、金属製の扉の前にたどり着いた。


「この部屋は、聖導師の間では聖具室と呼ばれています。その名の通り聖具が保管されているのですが……実を申しますと、一般的な聖具は今では宝物庫の方に保管しています。ですので、聖具室で保管している聖具は特殊な用途に使うものばかりです」


 扉の前に立つリュドミラが、扉の向こうについて解説する。


「特殊な用途に使う聖具を保管している場所が聖具室で、一般的な方が宝物庫に保管されているんですね。なんだか不思議ですね」


 疑問を挟む俺とは裏腹に、ユリアは固唾を飲んで状況を見守っている。そのことを不思議に感じながらも、リュドミラの答えに耳を傾ける。


「ええ、確かに不思議に思われるのは当然でしょう。ですが、昔は逆だったのです。この聖具室に保管されている聖具は、今では滅多に使われません。しかし、数十年以上前は最もよく使われていた聖具なのです。歴代のリデッサスの聖導師たちが愛用した聖具がこの扉の向こうにあります。フジガサキ様に喜んでいただけると良いのですが……」


 そう言って、リュドミラは重い扉を開けた。今までよりも扉が分厚い気がする。リュドミラは簡単に開けているが、これはたぶん元の世界だと一流アスリートでも開けられないのではないだろうか。とても重そうに見える。やはり、リュドミラも身体能力に関して言えば、かなり上位の存在なのだろう。


「どうぞ、中へお入り下さい、フジガサキ様」


 リュドミラの言葉に従い中に入る。背後からユリアがすぐに入って来るのが気配で分かり、そして直後、背後で扉が閉まる音が聞こえた。一瞬、通路から入っていた明かりが遮られ、部屋の中が暗闇になる。しかし、すぐに部屋の中の照明が光り、内部を明るく照らす。光源ができたおかげで、部屋の中が……


――え?


「フジガサキ様。『七色草(スイリラグメム)』よりも驚かれていますね。やはり、こちらの方がフジガサキ様にとっては珍しかったでしょうか」


 平然と声をかけてくるリュドミラの言葉が左から右へと流れていく。目の前の光景が中々に力強く、頭の中で処理が遅れている。決して処理できないというわけではないのだが……この部屋は聖具室で本当に良いのだろうか。俺にはこの部屋の名前は別の名前だと思う。そして同時に、なんで部屋の扉があんなに頑丈だったのかを理解してしまった。


「リュドミラ様、その、この部屋は?」


「聖具室です。聖導師たちの間ではそう呼ばれています。ですが、教会は、この部屋の事を時に審問室と呼ぶようです……ふふっ、世俗では、拷問室と呼ばれることもある、とか」


 妖艶に微笑むリュドミラの声に、ぞくりと背中が寒くなる。『呼ばれることもある』とリュドミラが言ったが、これはどう見ても拷問室だろう。

 拷問室は大部屋とそれに繋がるいくつかの小部屋に分かれていた。大部屋と小部屋の間には鉄格子があり、鉄格子の扉には錠前がかかっている。小部屋の中は暗く中の様子をよく見ることはできない。

 一方で、大部屋は照明のおかげで、様子がよく分かってしまう。大部屋には至る所に拘束や拷問に使うと思われる道具が並べられている。鎖や枷、縄、檻、鞭、短剣、針、金槌、その他にも用途が分からない金属製や木製の物が多数ある。中には布製や革製に見えるものもあった。どれも用途は分からなくても、道徳的に好ましい事には使われないということは分かった。


 唯一、この拷問室の良いところを挙げるならば、人――生きている人も死んでいる人もいないところだ。まあ、暗い小部屋の中に死体があって、それに俺が気付けていないという可能性もゼロではないけれど……


「ちょっと、その、驚きがいっぱいです。まさか、教会の……祈りを捧げる場所の地下にこんなところがあったとは……」


 驚きのあまり本音が出てしまう。カテナ教は結構平和的な宗教に見えたのだが……こんな一面があったとは。


「祈りを捧げる場所だからこそです。純真なカテナ教徒は地上部の暖かい聖堂の中で、不純な者たちは地下の冷たい檻の中で、主に許しを乞うのです。ふふっ」


 普段と同じように、いや普段以上に楽しそうにリュドミラが微笑んだ。

 ぞくりと独特な感覚が体を走る。リュドミラの姿と今の態度は蠱惑的(こわくてき)で美しく、俺の心を()き乱す。愛おしい人の普段とは違う態度に魅了され惹きつけられるという思いと、意外な一面を知ってしまった驚きと、そして僅かな恐怖が心の中で複雑に混ざり合う。

 感覚が上手く掴めず、頭が驚いている。たぶん、この独特で衝撃的な場所の変な空気に当たってしまい頭の処理が追いつかず、さらに初恋の人の意外な一面を知ってしまい、頭や心の処理能力が限界を超えてしまったのだろう。


「それは、なるほど……」


 上手く言葉を作れず、適当な相槌が口から漏れる。

 リュドミラは、じっとこちらを見つめると、複雑な表情をした。それは困っているように俺には思えた。


「怖がらせてしまいましたか……? フジガサキ様に珍しいものをお見せしたいと思ってご案内したのですが、あまり楽しんではいただけなかったようですね」


 リュドミラは先ほどの発言を悔いるように小さく自嘲した。

 怖いか。確かに、そういった感情も今の俺の中にはある。ただ、それよりも驚きとか、変に惹きつけられてしまうという思いの方がきっと大きい。まあ、うん、この部屋はちょっと人に紹介するにはどうかと思うけど……


「ええっと、その、まあ楽しいというか、少し驚いてしまって、こういったものを見るのは初めてですし、なんか、その……まあ、ちょっと怖い感じもしますし……ああ、でも、まあ、その珍しいとは思いましたよ」


 頭の中がまだ少し混乱しているので、上手く自分の気持ちを説明することが難しい。けれど、リュドミラの態度を見るに、彼女に悪意は無さそうだし、それに、何となくだが、先ほどまでの言動は、もしかしたら彼女なりに面白い事をしようとしたつもりなのかもしれない。

 ゆえに、舌を回し言葉を選びつつ話す。リュドミラに対して『彼女自身をあまり責めてほしくない』という思いが俺にあるのだ。まあ、いくら珍しいからといって、この部屋に人を招待するセンスは独特な気がするけど。


「気を遣わせてしまい申し訳ございません、フジガサキ様。それと、どうかご安心ください。私の知る限り、教会が本格的な拷問を行っていたのは、ずっと昔のことです。この拷問室も本来の用途で使われていたのは十年以上前になります。今では、当時使われいた拷問具――聖具の一部を保管する場所としての役割しかありません」


 リュドミラは、こちらを安心させるように穏やかな口調で言葉を紡いだ。彼女なりに俺を怖がらせないようにしようとしているみたいだ。


「ああ、なるほど……それは良かったです。なんだかこういう道具は怖い感じがしますし、使われないに越したことはないでしょう」


「ええ、私もそう思います。基本的に、ここにある聖具が使われることは無いでしょう。勿論、悪魔憑きでも出れば話は変わりますが」


 ……ん?


「悪魔憑き……?」


 なんだろうか、どこかで聞いた事があるフレーズだ。たぶん宗教的な単語だから、ユリアと一緒にクリスクで勉強した時に聞いたと思うが……?

 俺が悩んでいると、リュドミラは笑みを濃くした。


「はい、悪魔憑きです。フジガサキ様はご存知ですか?」


「ええっと、すみません。どこかで聞いた気がしますが……」


 何となくユリアの方に視線が向かう。ユリアはじっと見つめ返してきた。えっと……これは、覚えてないといけない感じのやつなのかな……?


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― 新着の感想 ―
[良い点] 先が気になる!気になり過ぎる!こんなタイミングでおあずけとは… 作者様は実に焦らし上手ですね! [一言] リュドミラさん絶対主人公とユリアさんの反応見て楽しんでるでしょ! そんなお茶目なあ…
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