二章50話 約束守ってほしかったな
その後もホフナーの話を適当に聞き、時には彼女を賞賛して、昼飯代わりの軽食を食べたりして、気付けば時間は夕方に近くなっていた。
ホフナーが満足したあたりで俺は帰らせてもらうことにした。お疲れ様でした。ちょっと大変だったが、まあ、あと少しの付き合いだ。リデッサスでやるべき事を終わらせたら、さっさとクリスクに帰還しよう。スイとホフナーなら断然前者が良い。
そんなことを思いながら自分の部屋へ向かうと、俺の部屋の扉に背を預けていたユリアを見つけてしまった。
はて? 彼女とは朝を一緒にしたが……こんな微妙な時間になぜ部屋の前にいるのだろうか。これがユリア・ルティナ側の部屋の扉に寄りかかっているなら分かるのだが、なぜ俺の部屋に……ああ、いや、ルティナが何らかの理由で部屋を占拠し、ユリアは彼女を外で待っているのかもしれない。そうすると向かいの部屋――というか俺の部屋の扉に背を預けるのは納得できる。知らない人の部屋ならダメかもしれないが、今日予定があると告げた俺の部屋なら、内部に人がいないことが確定しているので問題がないな。
俺が考えている間にユリアはこちらに気付いたのか、じっと見つめて来た。そして数歩こちらに近寄ると、急に優しく微笑んだ。うん?
「フジガサキさん。奇遇ですね」
優し気な表情を浮かべながら、ユリアは言葉を発した。なんだ……なんか変な感じがする。
「ユリアさん。お久しぶり、ってほどでもないですね。朝ぶりですね。ルティナさんを待ってる感じですか?」
「違いますよ、フジガサキさん」
「あ、そうでしたか……」
何となく会話が途切れてしまう。少し困ってしまい、ユリアにお辞儀でもして、部屋に入ろうかと思った。しかし、俺が行動に移すよりも早くユリアが口を開いた。
「フジガサキさん。どこ行ってたんですか? 今日は一人で行動するんでしたよね」
にっこりと微笑むユリアの言葉が耳に入り、少し気まずくなる。そうだった。今日はそう言ってユリアの誘いを断ったのだ。でも実際はホフナーと一緒にいた。当然ユリアはその事を知らないのだが、なぜだろう、なんだか責められているような感じがしてしまった。たぶん俺の自意識過剰なんだろうけど。
「ああ、そうですね、今日はまず、市場の方を見て、その後はギルドの方をちょっと見て、それで、えっと他には……」
とりあえず嘘にならないようにホフナーに会うまでに巡った場所を振り返る。いや、まあ正直にホフナーと一緒にいましたって言ってもいいんだけど、ユリアはユリアでホフナーをあまり好きじゃないだろうし、ユリアの誘いを断ってホフナーと一緒にいたと言うのは、俺が気まずいだけではなくユリアも不快にさせてしまう気がする。うーん。
何となく視線が揺らぎ、ユリアが身に着けている鞭が目に入った。偶々目に入ったそれが、何故だがとても禍々しく思えてしまった。なぜだ? 最近いつも見ているのに……何だか今は危険で悍ましいものに見えてしまう。
「フジガサキさん。私の鞭、気になりますか?」
ユリアは突然、予想外のことを聞いてきた。
「え……」
思わず口から音が漏れる。なぜ、一瞬だけ見たものが分かったのだ……?
「今、見てましたよね。誰かに何か聞きましたか?」
優しい笑みを浮かべながらユリアが一歩こちらに踏み込んだ。淡い赤色の瞳がこちらを捉える。
ぞくり、と悪寒が走った。なんだ。何かよく分からないが、よくない方向に物事が進んでいる気がする。
「えっと、聞く、というのは?」
とりあえず、正直に答えつつ情報を集める。五感をユリアに集中させる。勿論、彼女には悟られないように気を付けて。
ユリアは無言でさらに半歩距離を詰めた。そして、じっと俺の方を見つめた。まるで何かを探すように。俺は半歩下がりそうになるのを堪えてユリアと向き合った。
数秒ほどして、ユリアがにっこりとした表情のまま口を開いた。
「急に変な事を聞いてごめんなさい、フジガサキさん。少し気になることがあったんです。でもフジガサキさんも知らないなら、別にいいんです」
こちらの緊張をほぐすように優し気な声が耳を撫でる。
「あ、いえ、お役に立てず、すみません。あと、その目に入ったのは偶々です。あまり持ってる人がいないので気になってしまったのかもしれないです」
唐突な出来事故、少し混乱してしまったが、ユリアが良いと言うなら良いのだろう。
それからユリアと少し話をしてから別れた。誠実で優しいユリアとの会話はホフナーとの会話で疲れた俺の心を少し癒してくれた。最初は、なぜだかユリア相手に緊張してしまったが、終わってみれば別に問題は無かった。
むしろ、なぜユリア相手に悪寒が走ったのだろうか……? うーん、何となく思い浮かんだ妄想のような予想があるが……いや、止めよう。流石に妄想が過ぎるな。それにユリアはそんな人ではないはずだ。
俺はそう自分に言い聞かせて、妄想はすぐに忘れ、夕食までの間、別の事について考えるのであった。




