二章幕間 もう悪い事したらダメだよ
幾度の鞭打ちでミーフェは、もはや虫の息だった。途中、ミーフェは何度もユリアにひれ伏し命乞いをした。許してもらえるように恥も外聞も捨ててユリアの足元に縋りつき懇願した。靴も舐めた。そんなミーフェの態度にユリアが返したのは優しい表情と言葉、そして鋭い鞭打ちだった。
何度も何度も鞭で打たれ、最後の方はミーフェの反応も鈍くなり、路地裏には肉を打つ音だけが響いていた。
倒れ伏し動かなくなった瀕死のミーフェを見下ろしながら、ふとユリアが何かを思い出したかのような表情をした。ユリアは鞭をホルダーに戻すと、一度ミーフェの元から離れ、路地裏の奥の方――ミーフェとユリアが会話を始めた場所へと向かった。
そして落ちていた壊れかけのナイフを拾うと、それを持ち再びミーフェの傍まで寄って来て屈んだ。ユリアは左手でナイフをミーフェに見せ、そして右手はホルダーに納められた鞭を触った。ミーフェは激痛から意識が遠のき、ただただそれを茫然と見ていた。
「ミーフェちゃん、やっぱり鞭の方が強かったね」
そう言うと、ユリアはナイフをミーフェの近くに置いた。ミーフェは何も言葉を返さなかった。ぼんやりとした意識のまま、路地裏に転がったまま動かない。そんなミーフェを見て、ユリアは優し気な笑みを浮かべた。
「分かってくれたってことで、いいかな……それじゃあ、体、治してあげるね。加減はしたけど、全身鞭で打ったから、凄く痛いよね。でも、安心して。今から全部治してあげるから、後遺症とかも無いようにするからねっ」
ミーフェを安心させるように、声音を明るくさせながら『癒し』の術を施し始めた。ミーフェの体中の傷が治り痛みも引く。聖なる波動がミーフェを包んだ。しかし、先ほどとは違いミーフェは無反応だった。ただただ、されるがまま治療を受けていた。幾度の鞭打ちでミーフェは体だけではなく心もボロボロだった。
「ミーフェちゃん。約束は守ってね。フジガサキさんに迷惑かけちゃダメだよ。私、明日からずっとフジガサキさんと一緒にいるから、悪い事したらすぐ分かるからね?」
治療中にユリアは慈愛の籠った表情でミーフェに言葉を発した。ミーフェは茫然としたまま反応を示さなかった。しかし、それは許されなかった。ユリアは数秒ほどミーフェを見つめ、彼女がうわの空である事に気付くと、指を傷口に押し込んだからだ。
「――アァ! アァァ!!」
一瞬遅れミーフェが苦痛の叫び声を上げた。
「ミーフェちゃん。私の話、聞いて欲しいな」
ユリアの言葉を受けて、ミーフェは何度も首を縦に振った。それを確認すると、ユリアは傷口を抉るのを止めた。
「ありがとう、ミーフェちゃん。それと、…………今あったことは他の人には内緒だよ。特にフジガサキさんには言ったらダメだよ。心配させちゃうからね」
笑顔で見つめてくるユリアに対して、ミーフェは何度も首を縦に振った。幾度の鞭打ちでユリアに逆らう事はできないとミーフェは思い知らされた。
そうして、再び意識が戻ったミーフェは、ビクビクと震えながらユリアの治療を受けた。
しばらくして、治療が終わった。ミーフェは完治した自分の体に対して僅かな喜びと深い恐怖を抱いた。あれほどまでにボロボロだった体を、こんな短時間で綺麗に治したユリアの癒し手としての高い技量と、癒し手でありながらあれほどまでに他者を痛めつけられる精神性に恐怖したのだ。
「ミーフェちゃん、まだ痛かったり、動かしにくい所はあるかな? あったら教えてね。すぐ治してあげるから」
恐怖で固まるミーフェに対してユリアは先ほどまでと同じように優し気な表情で、ミーフェの状態を確認した。純粋に体調を慮るようなユリアの仕草に、ミーフェは気持ち悪さを感じた。
「ない、です。ち、治療してくれて、あ、ありがとう、ございます……」
震えながらミーフェはユリアの質問に答えた。
「それなら良かったよ。それじゃあね、ミーフェちゃん」
そう言ってユリアはミーフェに背を向け大通りの方へと歩き出した。ミーフェはようやく恐怖から解放されたと思い、胸をなでおろした。そして、背を見せるユリアに恐怖と怒りを感じて目を伏せた。早く視界からいなくなれと祈ったところで、ユリアが足を止めた。
「一個、大事な事、やってなかったね……」
呟くユリアの声がミーフェの鼓膜を震わせ、直ぐに体も震わせた。ユリアは踵を返し、再びミーフェに近づいてきた。ミーフェは立ち上がり逃げようとした。しかし体が動かなかった。ユリアから逃げ出せばどうなるか、それはミーフェの頭以上にミーフェの体が分かっていたからだ。
ミーフェは動くこともできずに近づいてくるユリアを見つめた。恐怖から呼吸が早くなる。にっこりと笑みを浮かべたユリアが膝をつくミーフェの前に立っている。
「な、なに……?」
ミーフェが口を動かした。ユリアを無視すれば大変な事になると分かっていたからだ。
「――ぺっ」
ユリアが、またしても可愛らしくも慣れない仕草で唾を吐いた。唾はミーフェの頬――先程ユリアが踏みにじった頬とは反対側の頬に当たった。
「これで、おあいこだね」
ミーフェは訳が分からずユリアを見た。ユリアは満足そうな顔をして今度こそ大通りの方へと消えていった。
後には頬を汚されたミーフェが路地裏に残された。




