二章幕間 ミーフェ・ホフナー③
三か月の間、リデッサス遺跡街に身を置き、ミーフェの得たものは圧倒的な悪名だった。
パーティーを募集しても誰も来なかった。何度も何度も勧誘したが誰も来なかった。仕方がない、本当に仕方がないので、ミーフェは自分からいくつかのパーティーに自分を売り込んだ。仕方なく相手に合わせてやったのだ。しかし、無礼にもどのパーティーもミーフェの加入を認めなかった。許されない事だった。ミーフェが頭を下げたのに、それを無下にした。これはもはや頭を踏みにじられたに等しい行いだ。
当然、ミーフェは裏路地で正しい行動をした。いくつかのパーティーはリデッサスから逃げるように去り、残りのパーティーもミーフェに正しい態度をするようになった。ただそれが致命的だった。リデッサスの探索者たちはミーフェを徹底的に避け始めた。誰もミーフェとは口を利かず、ただ黙って頭を下げ道を開けた。ミーフェ・ホフナーは皆が認める獅子となった。恐怖される獅子に。
ここも、自分の居場所ではないとミーフェは感じ始めた。
時々、遺跡に潜り、魔獣を屠るが、それはもはや金を得るための作業だ。誰も自分を称えない。戦果を挙げてもギルド職員はミーフェを褒めなかった。ただただ事務的に、時には厄介そうにミーフェの相手をした。探索者たちも避けている。
偶に苛立ちが強くなると、新人の探索者に絡んで謝罪を要求した。この時は周囲が自分に注目している気がした。そして何より新人が必死になって自分のために行動するように思えた。僅かな安らぎを得られているように錯覚した。
本当に欲しいものはそれじゃなかったが、今さら本当に欲しいものが手に入れられるとは思えなかった。
そろそろ遺跡街を変えようと考えた矢先、ある探索者が目に入った。
見るからに弱そうで、ミーフェが少し牙を見せれば地に伏せ媚び諂うだろう。今日はこいつにするか。そう思いミーフェはその探索者を観察し、タイミングを窺った。
しかし途中で気が変わった。その探索者が随分と多くの戦利品をギルドに持ち込んだからだ。どれも質が良い。もしかしたら、ミーフェが持ち込むものより良いかもしれない。ただ強さは全く感じない。それに戦利品は全て魔獣が関わらないものだった。
間違いなく非戦闘型だ。しかし、これ程のものを持ってこれるのは稀だ。しかも見たところパーティーを組んでいる様子はない。おそらく『鼻が利く』のだろう。ミーフェは、しばらくこの探索者を観察し続けた。尾行し宿も突き止めた。気が弱そうだ。ミーフェは考えを改めた。パーティーに誘ってやろうと思ったからだ。
ある朝、彼の宿で待ち伏せをし、話しかけた。本当の事を言うと、つまらない結果になると思っていた。きっとこの男もミーフェを怖がり、地面に額を押し付け、言葉にならない悲鳴を上げるだろう。ミーフェに選ばれた意味も分からずに。
勿論、舐めた態度を取られるよりはマシだ。もし舐めた態度を取るならば、路地裏に連れ込み正しい態度を教え込むしかないだろう。だが、この弱い男はきっとそういう態度は取らないだろう。けど、良いのだ。ただ何となく、そろそろ遺跡街を変えようと思っていたし、最後に試しにやってみただけだ。
話してみたら、彼は悲鳴をあげずにミーフェと言葉を交わすことができた。さらに彼はミーフェを舐める事もなかった。彼はミーフェのことを強く尊敬する目で見て来た。まるで、あの時のように……その日、確かな絆を感じた。
弱そうな男――いや、カイ・フジガサキは、深い敬愛の念をミーフェに向けた。ミーフェはカイの態度からそう解釈した。その日からカイはミーフェにとって大切なパーティーメンバーになった。ミーフェは再び尊敬される獅子になったのだ。
カイとの話は楽しく、ミーフェは、ついつい自分だけの知識を教えてしまった。本当なら自分に土下座して靴を舐めたとしても教えないであろう重要な知識を。それほどまでに強い絆を感じたのだ。きっとカイであれば、自分と同じものを共有できる。そう、家族の温かみを感じた。ミーフェにとってはいない存在ではあるが仮にいたとしたら、きっと彼は兄のような存在だっただろう。勿論、ミーフェ自体はその事を深く認識しておらず、漠然と、
――まあ、家族でいったらミーフェが偉大な父で、カイは子だな。でもまあ、長男として扱ってもいいかな……本当はカイみたく弱いのはダメなんだけど、でもミーフェ優しいから特別に許すよ。
などと考えていた。
ただこの気持ちを長くは続かなかった。ある日、カイといつものように過ごしていたら、頭のおかしな女が絡んできたからだ。
その女は、二つの意味で頭がおかしかった。一つは髪色だ。あんな変な髪の色は見たことがなかった。そしてもう一つは行動だ。あの女は、雑魚の癖に、ずうずうしくミーフェに沢山の要求をしてきた。
本当なら許されなかったことだが、カイの知り合いということもあり、鉄の意志でその女を半殺しにするのは止めておいた。つまり追い散らすだけで許すことにしたのだ。
ミーフェの慈悲深さに女は涙を流しながら頭を伏せ感謝し、長男は父に対する尊敬の念を新たにするはずだった。
しかし、その女は狡賢かった。強い虎を呼び出したのだ。雑魚の癖に生意気な事が言えるのは強いリーダーの庇護下にいるからだろう。まさしく虎の威を借りる狐だ。いや、あいつはせいぜい鼠だ。
鼠が獅子に喧嘩を売っている。許されないことだ。しかも長男はなぜか鼠を大切にしている。獅子の息子が鼠と馴れ合う事も本当は許されない。
憎悪だ。憎悪が再びミーフェを支配していた。いっその事、虎狩りをするかともミーフェは思った。しかし、僅かに、そう本当に僅かだ、本当に本当に僅かだが……ミーフェは怯んだ。茜色の虎は強かった。それも尋常ではない程に。ミーフェは見ただけで分かった。戦っても五分五分いや、勝率は三割程度だろう。七割で負けてしまう。昔ならば気にせず襲い掛かった。タイミングを図り仕留める。三割の勝率でも挑んだだろう。仮に負けてもまた遺跡街を変えればよかった。
けれど、今のミーフェには守るものがあった。家族だ。もし負ければ長男を取られてしまうかもしれなかった。取られなくても弱くなった自分を見て長男が家族から去ってしまうのではないかと思った。それを思い、怯んだ。
強き獅子だったミーフェ・ホフナーは、カイ・フジガサキのせいで、その牙を鈍らせていた。その事に気付き、自分への不信と軽蔑から、長男から少しだけ離れることにした。子離れも偶には必要な事だ。
勿論、まだまだ半人前の長男から離れるわけにはいかないから、少しの間、目を離すだけだ。遺跡に一人で潜り、腕が少し鈍っていることにミーフェは苛立ちを感じつつも、その日は多くの戦果とともにギルドへ戻った。ギルド職員に目つきは相変わらず気に入らなかったが、しかし、もし長男がこの場にいれば、きっと喜んだだろう。それを思えば不快な気持ちも脇に追いやることができた。
そして翌日、なんとなく顔を合わせるのが気まずくなり、かといって遺跡に潜る気分にもなれないミーフェは一人、路地裏を巡った。路地裏はミーフェの縄張りだ。どの遺跡街でもそれは同じだが、特にリデッサスではミーフェは路地裏の王だった。
故に、ここにいる者は老若男女問わず、ミーフェを畏れる。皆道を開け、時には頭を地面に伏せる。慈悲深いミーフェは稀に銅貨を投げつけてやることもある。それを犬たちは這いつくばって受け取る。まさに獅子の凱旋だ。参列者が犬しかいないのが欠点だ。いずれ長男にも見せてやろう。
ただ、今日はそれを邪魔するものがいた。鼠だ。鼠が一匹、ミーフェの前に現れて、いやらしい笑みを浮かべた。




