二章幕間 ミーフェ・ホフナー①
ミーフェ・ホフナーは自他ともに認める凄腕の探索者である。
リデッサス遺跡街では、ソロ探索者は少ない。そして、その中でも十五層を超えて活動できるものは極めて少ない。ミーフェも、その一人であった。さらに、ミーフェは特に特別な存在だった。
リデッサス遺跡街で十五層を超えられるソロ探索者は探索をメインとしている者ばかりで、戦闘はそれほど得意としている者はいなかった。しかし、ミーフェは違った。彼女は戦闘こそを得意としていた。十五層付近の危険な魔獣――たとえば、オグマスと呼ばれる魔獣は、鋭い爪と牙、そして並みの攻撃では貫けない非常に硬い皮に覆われ、さらにはその瞳で睨まれた者は魔力の扱いが一時的に困難になるといった性質を持っている。高い攻撃力と防御力、おまけに魔術師を封じるこの魔獣に多くの探索者が屍を晒した。十五層を超える戦闘重視のパーティーでも、この魔獣を避け活動することすらある。
しかし、ミーフェにとって、この程度の魔獣は何の障害にもならない。一分以内に命を奪える相手だ。普通のパーティーでは倒せず、倒せたとしても数十分はかかるだろう。まさしく、ミーフェ・ホフナーは一流の探索者であった。
しかし、彼女の人生は常に光り輝いているわけではなかった。むしろ、彼女がこれまで歩んできた道のり――十二年の歳月には多くの影があった。
ヒストガ王国北部の寒村で生まれ育ったミーフェは、五歳の時に父親を失った。狩猟に出ていき、狼に襲われた彼は村まで戻ることはできたが、大した医療を施されずに死に至った。ミーフェには元々母親はいなかった。彼女が生まれたときに死んだのだ。
一人残されたミーフェに、村長は冷たく「この村じゃ役立たずを養う余裕はない」と言うと村から追い出した。ミーフェの家に残っていた私物や食料、家財などは村長の手により村人に分け与えられ、ミーフェの手には何も残らなかった。貧しい村ではミーフェの父の持っていたものは全て貴重な資源だった。
この時から、ミーフェの中で憎悪という感情が芽生えた。村から追い出されたミーフェは、村人が安心するまで村から離れた後、夕方になると村に引き返し、夜皆が寝静まった後、村に忍び込み食料を盗み、そして明るくなる前に再び村の外に出て、森の中にあった洞窟で生活を始めた。
夜には盗み、昼には洞窟で暮らす。そんな生活を一週間ほどしたところで、村人たちに盗みが露見した。ミーフェはさんざんに追い回されたが、運よく逃げ延びた。
ミーフェは村人から逃げているうちに隣の村へとたどり着いた。ミーフェは、この村ならば受け入れてくれるかもしれないと、純粋な気持ちから村に近づいた。しかし、ミーフェの身なりを見た村人たちは厄介事を嫌い、数人がかりでミーフェを村か追い散らした。
そこでミーフェは夜になり再び行動を起こした。手慣れた方法で村の中へと入り、食糧と衣類、その他生活に必要なものを盗んで回った。過去の失敗を学んでいたミーフェは、一度の侵入で全ての窃盗を終わらせ、すぐに別の村へと向かった。そして、その村でも同じように必要な物を盗み、すぐに別の村へと向かった。
そうして飢えた獣のように村を荒らして回り、南へ南へと進み、ついにはヒストガ王国の寒村部を抜け、テチュカと呼ばれるとても大きな街へとたどり着いた。
ミーフェにとって、街というものは初めて見るものだった。活気があり、何より食べ物の種類が豊富だった。ミーフェは不必要になった盗品を売り、その金で食事にありついた。温かく香辛料に効いた街の食事はミーフェを魅了した。何度かそういったものを食べているうちに売れるものがなくなった。一年近く窃盗生活をしているミーフェにとって、街で盗むのも村で盗むのも同じであった。ミーフェは再び盗みを働いた。
しかし、今度は今までとは少し違った。盗む物は通貨と換金性が高いもの――高く小さく軽いものを集中して狙った。何度も盗みをしていたミーフェにとっては簡単だった。
また新しくスリも覚えた。財布を素早く盗むこの技は、通貨を短時間で多く得ることができ、次第に盗みで生計を立てる術を確立していった。この時のミーフェは、金・食糧・携帯品・衣服・布・バックパックなどなど生活品を全て盗品で成立させていた。盗品経済の完成だった。
しかし、盗品経済は崩壊した。ある時、盗みの現場を、街の衛兵に発見されたのだ。ミーフェはあまりにも多く盗み過ぎたのだ。被害が多くなれば当然衛兵に対する訴えも多くなる。ミーフェは衛兵たちの警戒網に引っかかってしまったのだ。
武器を持ちミーフェを追い詰める衛兵たち。ミーフェは当然逃げた。逃げるミーフェを衛兵は当然追いかけた。ミーフェは死に物狂いで逃げて、逃げて、逃げて、最後には教会の中に逃げ込んだ。衛兵は教会にも入り込んだ。ミーフェは死を覚悟した。けれど、ミーフェは見つからなかった。サラと名乗る教会にいた少女に助けられたからだ。
サラはミーフェにとっては不思議な少女だった。父親以外で、見返りを求めずにミーフェを助けたからだ。六つか七つくらい年上に見える少女を前にして、ミーフェは、もし自分に姉がいたらこんな人なのかもしれない、などと考えてしまった。
勿論すぐに、こんな馬鹿丸出しの弱そうな少女が姉だなんて有り得ないなと思ったのだが。ミーフェは猟師としての父を見て、また父亡き後は命がけの盗品経済を成立させていたこともあり、かなり場数を踏んでいた。その経験からサラが頭がゆるい上に脆弱で弱弱しい少女だと直ぐに見抜いた。
なんたって『葉っぱ』を入れたお湯を、ミーフェに飲ませようとしたのだ。貴重な飲み物だとか何とか言っていたが、間違いなく商人に騙されたのだろう。一流の交渉術を身に着けていると自認していたミーフェにはすぐに分かった。ちなみにミーフェの予想通り、変な飲み物は葉っぱの味がした。不味かったが、サラが嬉しそうだったので、寛大なミーフェは許してやった。
サラは弱くて頭が悪い少女であったが、彼女はミーフェに有益な情報を漏らした。それが遺跡だった。その少女が言うには、この世には遺跡というものがあり、そこに潜れば危険と引き換えに様々な対価を得られるということだった。サラはミーフェに、盗品経済よりも儲かり、また合法であり衛兵に追われる心配もないと語った。
当然、ミーフェは衛兵などに臆してはいないが、それでも魅力的な話に感じた。サラもまた遺跡に憧れており、いつか探索者になりたいと言っていた。ミーフェはすぐに、頭がゆるく、何より弱いサラには無理だと教えた。サラはミーフェが説明しても納得せず遺跡に拘った。口論の末、どちらが先に一流の探索者になるか競争となった。
サラと別れた後、ミーフェはテチュカの西にある遺跡街へと向かった。
そしてギルドで登録を済ませた後、すぐに遺跡へと潜った。ミーフェには才能があった。初日から魔獣を数匹狩り、その死体をギルドに持ち込み、職員の度肝を抜いた。この時、ミーフェはまだ七歳であった。
若き――いや、もはや幼すぎると言える新人の登場にギルドは騒めいた。最初は数日で死ぬと読まれていた。一部の品の悪い探索者たちは何日目で死ぬか、何層で死ぬかを賭けの対象にした。賭けの結果は大穴の中の大穴――三か月以上生き残り、五層を超えるという有り得ぬ予想をしたホフナーという男が一人勝ちをした。このホフナーこそが、このギルド最強のソロA級探索者だった。
三か月を生き残ったミーフェに対して、ホフナーは賭けで儲けた金の半分を渡した。多くは語らず、ただ期待しているとだけミーフェに告げた。ミーフェはその金で装備を整え、さらに遺跡を深く進んだ。サラとホフナー、二人の人物との出会いがミーフェの中の憎悪を少しずつ取り除いていった。
九層にたどり着き、あと少しで十層といったところで、ミーフェはホフナーの訃報を聞いた。探索中に行方不明になったとのことだ。ソロ探索者であるため死んだかどうかは定かではない。ただ一週間以上帰らなかったため、ギルドは死亡と判断した。
ミーフェは特に悲しまなかった。ただ、なんとなく、この時期から、ミーフェはミーフェ・ホフナーと名乗るようになった。




