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二章23話 高い所からの景色


 階段を上り切ると寒さを帯びた風が僅かに体を撫でた。前を見ると、先を行っていたリュドミラが扉を開けていた。おそらく扉は室外に繋がっているのだろう。


「フジガサキ様、こちらへ」


 彼女の言葉に従い扉の外へ向かう。解放感のある風景が俺を出迎えた。

 青い空の下にリデッサスの街並みが広がっている。周囲に高い建造物が無いためか、視界に邪魔になるものは何一つない。あるのは視界一面に広がる町の建物と、建物の間にある道路――特に大通りは馬車や人の行き来がよく見える。リデッサスの街とその中にいる人達の細々とした動きが見える。

 思ったより高いところへ来ていたようだ。地上ニ十階はありそうだ。元の世界でもあまり高い建物には上らなかったし、こちらの世界に来てからは、こんなに高い建造物の中に入る機会がなかった。故に、かなり新鮮に感じてしまう。

 遠くに動く、ここから見ればとても小さく見える人影一つ一つが忙しなく動き、それを見ているだけでもどこか面白味がある。

 風がよく流れている。空気も澄んでいるように感じられる。心地よいと言えるかもしれない。いや、まあ厳密に言うとそこそこ寒いが、天気がよく太陽の光を感じられるので、その辺りは上手く中和されている。まあ、最近の気候の変動ペースから考えると、あと二週間もすれば、太陽があったとしても寒さの方が強く感じてしまうだろうけれど。


「お気に召していただけましたか?」


 教会の高所から見える景色に感じ入ってしまっていると、隣からリュドミラの声が聞こえた。風のせいか、彼女の長い銀色の髪が揺れ動く。


「え、ええ。とても良い場所ですね。リデッサスの街はこんな風に見えるんですね。いつもは大通りを歩いたり遺跡に入ったりしているばかりで、こんな風に高い所から見る機会が無かったので、少し驚いています」


 思ったより近くにいる彼女の一瞬驚きつつも、質問に答える。


「この場所はとても見晴らしが良いですから、フジガサキ様が来て下さる時に、一度お見せしたいと思っていたのです。階段を上っている時は、フジガサキ様を退屈させてしまうのではないかと不安に思っていたのですが、今は無事気に入っていただけたようで、安心しています」


「いえいえ、ありがとうございます。とても良い景色だと思います。この場所はあまり人気(ひとけ)はないですか、普段は使われてない場所なのでしょうか?」


「この場所――リデッサス大聖堂の尖塔は、少し前までは一部の儀式で使用していました。今も、時折、信徒の中には祈りを捧げる場として、この場所を使う事はあります。ただ、今の時間は皆、別の事をしていますので、ここには来ないでしょう」


「祈りの場でしたか……」


「あとは、中心街を一望できますから、遺跡街の様子を確認するために司祭や司教が足を運ぶことはあります」


 リュドミラは俺の呟きを拾うと、補足するように説明した。


「遺跡街の様子を、司祭の方や司教の方が……ん、あ、ここって司教様がおられるんですか?」


 喋りながら気になったことを質問する。司教も司祭も聖職者の階級だが、司教の方が司祭よりも上の階級だ。クリスク聖堂では俺の知る限り司祭が一番上の階級で、聖堂の運営を行っているようだった。確か、教区と呼ばれる『いくつかの聖堂を束ねたエリア』を任されていたのが司教だった気がする。会社とかで例えるとエリアマネージャーとかだろうか。


「ええ、リデッサス聖堂は司教座聖堂ですから、司教が一人配置されています。司教や司祭が遺跡街の様子を確認するのは、異変が起きていないかどうか、起きる予兆がないかどうかを調べるためです。何か起きたときは街の空気が少し変わりますから、ここから景色を見るだけでも感じ取れるものがあります」


 なるほど。リデッサスは大聖堂というだけあって、教会にとって重要な拠点のようだ。

 しかし街の空気か……それに異変っていうのは、どの程度のものなのだろうか。


「そういうことでしたか……遺跡街に異変というのは、結構起きるものなのでしょうか」


「異変と言うのは少し大袈裟だったかもしれませんが、たとえば、遺跡街で怪我人や病人が急激に増えるということは時々見られます。そういった場合は司祭や司教は、治療術師たちの日程を再編し直す必要がありますし、教会内の備蓄品の管理も徹底する必要があります」


 怪我人に病人か。少し怖いな。遺跡街だし、まあ怪我人は探索者か? 病人は伝染病とかだろうか?


「遺跡街で怪我人や病人……怪我人が急激に増えるというのは、やはり探索者でしょうか?」


「探索者であることが多いです。遺跡や魔獣には活発な時期があるようですので、そういった時期は特に怪我人が増えます。勿論、魔獣が活発でなくとも怪我をされる探索者は一定数いますが」


「明日は我が身……というわけではないですが、自分も教会の方々にご迷惑をかけないように、気を付けていきたいです」


「フジガサキ様は慎重な方ですから、あまり怪我とは縁がないかと思われますが、もしそうなってしまいましたら、私が癒して差し上げます。『聖なる術』に関してでしたら自信がありますので、フジガサキ様にもご満足いただけると思っております。勿論、フジガサキ様には怪我などせずに日々健やかに過ごしていただきたい限りではありますが」


「……ありがとうございます。リュドミラさん。探索では、できる限り怪我をしないように振る舞ってはいますが、もし何かありましたら、その時はご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんので、よろしくお願いいたします。ああ、でも聖女であられるリュドミラさんはお忙しいと思うので、実際にその機会に巡り合ったとしたら、先ほど話にあった治療術師という方にご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが……」


 思わぬ提案に一瞬言葉を詰まらせつつも、当たり障りのない言葉を並べて自分の意識を彼女から逸らす。


「治療術師は決して迷惑とは思わないでしょう。怪我人を助けるのは教義にも沿いますから。それと――」


 そこで、リュドミラは一度言葉を区切り、こちらをじっと見つめてきた。思わず鼓動が高鳴る。数秒ほどして、リュドミラは再び口を動かした。


「それと、私は特別忙しくはありません。聖女といっても名ばかりで役目など殆どありませんから。ですから、もし機会が、勿論機会など無い方が良いのですが、それでも、もし機会がありましたら、その時はどうか私に癒させて下さい」


 丁寧に言葉を作ると、リュドミラは妖艶な笑みを浮かべた。その笑みで、高鳴った鼓動がさらに強く俺を締め付ける。頭の中で何度も繰り返して考えていることが、またしても俺を襲う。


「え、ええ。そうですね。その時は、お願いします。勿論、怪我がないように努力しますが……」


 頭の中では慌ただしく、けれど表面的には冷静を装いながらリュドミラに答える。

 そんなこちらの態度が、リュドミラにはどう映ったのかは分からなかったが、彼女は一瞬クスリと笑うと、


「よろしくお願いしますね、フジガサキ様」


 再度念を押すような言葉を綴った。


「え、ええ……」


 俺はそれに対しては、了承のような感嘆のような吐息のような薄い声を出す。

 そして会話は途切れ、僅かな沈黙が訪れる。

 一瞬空気が重くなるのを感じる。何か会話を振った方が良いのではと考えつつも、先ほど自分がしてしまった生返事を思い出し、上手く言葉が回らなくなる。そして同時に、『リュドミラは、なぜあんな事を言ったのか』を考えてしまう。

 いやそれ以前に、先ほどから、なぜ何度も『まるで俺の事を意識しているかのような』言葉ばかり口にするのだろうか。理由が分からない。そもそも、なぜ彼女は俺に大聖堂の案内をしているのだろうか。聞いてしまいたい欲求と、上手く聞き出せないという悩みと、そして何より答えを知らない方が幸せなのではないかという複雑な考えが頭の中で交錯する。


 無言のまま少しの時間が流れ、どうにもできず胃が僅かに痛みを発しそうになったその時、リュドミラが再び口を開いた。


「フジガサキ様はどちらの宿に泊まっていらっしゃるのですか?」


 話題提供だろう。俺が会話を切ってしまったのでリュドミラの方から新しい話題を提供してくれたようだ。そのことに申し訳なさと安堵感を抱きつつも、彼女の質問に対する答えを作る。


「ギルドの近くにある、えっと、確か名前はアーホルン、……アーホルンという宿に泊まっています」


「アーホルンですか。ギルドの近くの宿を取れるということは、やはりフジガサキ様は優れた探索者でいらっしゃるのですね」


 リュドミラのこちらを賞賛するかのような言葉に、心が揺らされる。


「あー、えっと、そうですね。どちらかと言うと一芸に秀でているタイプだと思っています」


 そのためか、僅かに『感覚』を示唆するかのような言葉を口にしてしまう。『感覚』という一芸だけで遺跡を探索し、生活している。


「ふふっ、ご謙遜を……」


「謙遜のつもりはないのですが……」


 実際、『感覚』を除けば俺はただの一層漁りにすぎない。いや、『感覚』が無ければまともに一層漁りもできないかもしれない。


「では、そうですね……少し話は外れますが、先ほど仰っていた導師ユリアと調べ物をしていた件ですが、その時に調べていたものは魔術や聖なる術に関する事ではないでしょうか?」


 リュドミラは急な話題転換に僅かに疑問を感じるも、後に続く言葉に対して少し驚く。先ほどもそうだが、リュドミラはなぜか見てもいない事を知っているかのように話す。適当に当てずっぽうで話しているのではなく、なにか確信があるかのように話すのだ。


「え、ええ。確かにそうですが、どうして分かったのですか?」


 俺が疑問を口にすると、強い確信を抱いているのようなリュドミラの視線が俺を貫いた。


「フジガサキ様が探索者で、そして努力をされる方だと思ったからです。そして実際に魔術や聖なる術について調べていたのでしたら、私の想像は間違ってはいなかったのだと思っています。魔術や聖なる術といった技術について調べるということは、探求心や自己研鑽の表れです。自身を磨くことに真剣な方は優秀な方が多いですから、やはりフジガサキ様は優れた探索者なのだと思います」


 ………………

 …………

 ……

 そう、見えるだろうか。


「……ええっと、それは……確かに、そういう見方もありますね。ただ、自分は、残念ながら魔術の才は無かったようで、あまり調べ物を上手く活用できていないので……何と言いますか、そこまでリュドミラさんに高く評価されても、上手く実績を示すのが難しそうです」


 強くなりそうな虚栄心を抑えつつも、自分の心を隠しリュドミラに言葉を返す。


「フジガサキ様でしたら実績など直ぐに、――いえ、もう、実績をお持ちなのではありませんか?」


 またしてもどこか確信を持った言葉が俺に放たれる。それに対して心が騒めきつつも、ふと頭の中の冷静な部分が僅かに閃く。


――『感覚』で手に入れた大量の富は実績と言えるのではないだろうか?


 閃いたそれに対して検証しようとして、止める。

 だってそれは、どのような時でさえ他者に誇示できることではないからだ。安全性が大きく損なわれる。だからここで検証せずとも良い。ただ、リュドミラの言葉を否定すればよいのだ。


「いえ、そんなに大したものは……」


 否定の言葉を口にしながらも、つい考えてしまう。

 もし、今、彼女の言葉を肯定し、そして自分の唯一にして最大の力を誇示することができればと。

 それはきっとリュドミラの――初恋の人の期待に応えることができるだろう。

 だが、それはやらない。危険であるし、それに……


「ふふっ、まだ教えては下さらないのですね。フジガサキ様に信頼していただけるように、より精進いたしますので、もしお認めいただけるようになりましたら、どうかその時は教えて下さいね」


 期待を込めてこちらに微笑むリュドミラに対して、俺は曖昧な答えを絞り出すことしかできなかった。



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