二章21話 緊張してしまう相手
薄っすらと思考を続けつつも、リュドミラの解説を聞きながら歩き続ける。
最初は事務的な説明が殆どであったが、聖堂内を歩いているうちに、段々と解説の中に雑談が紛れ込んできた。微笑む彼女に惹かれながらも、けれど話をしていくうちに緊張は少しずつだが和らいでいった。自分の過敏な体もようやく彼女に慣れてきたのかもしれない。
いや、まあ完全に慣れてはいないか。今でも、リュドミラのちょっとした仕草にドキドキしてしまうし、そういう意味では興奮状態にあると言える。ただ、緊張はしにくくなった。何と言えばいいのだろうか。変な気分だ。不思議な興奮状態と言えばいいのだろうか。冷静のようで冷静でない。
「フジガサキ様。一つ、お伝えするのを忘れていたことがありました」
そうして雑談の中、会話の切れ目を埋めるように、リュドミラが新たな言葉をかけてきた。
「忘れていたこと、ですか?」
「ええ。実は、前回お会いしたときに預からせていただいた手紙についてですが……送り先であったスイという聖導師から返信が届きました。朝、フジガサキ様にお会いする直前までは覚えていたのですが、お会いしてからというもの緊張ばかりしてしまい失念しておりました。どうか許していただけますか?」
ゆったりと、けれどどこか恥じるようにリュドミラは言葉を紡いだ。彼女の口にした『緊張』というワードを耳にした時は、思わず自分の状態を指摘されたのかと慌てそうになったが、それも一拍置いて正しい意味で理解した。そして同時に、ドキリと少し大きく胸が鳴った。リュドミラは『俺と会って緊張していた』と言ったのだ。それはどういう意味だろうか。
いや、勿論、そんなはずは無いというのは分かっている。ただ、それでも考えてしまうのだ。自分と同じ理由で緊張したのではないかと。
「ああ……いえいえ。そんな全然。スイさんからの手紙が返って来てたんですね。ああ、その。以前は送る際、手続きをしていただき、ありがとうございます。あ、あと今回も受け取って下さってありがとうございました。ああ、しかし、緊張……ですか?」
彼女の謝罪を受け入れる……というよりはそもそも自分が頼んだことの原因であると話題を転換する。そしてその際に、つい彼女を探るような質問をしてしまう。いや、『つい』じゃない。故意だ。
「はい。フジガサキ様にお会いした時からずっとです。今も緊張しています」
そう言ってこちらを見るリュドミラの姿はとても自然なもので、今は緊張しているようには見えない。
「緊張……とても自然に見えますが……?」
「ふふっ。そのように見えますか?」
「……ええ」
艶めかしく微笑む姿に心を乱されそうになりながらも、彼女の言葉に答える。
「本当に今も緊張しているのですが……そうですね。どこからお話ししましょうか。実を申し上げますと、ずっと前から今日この日を待ち遠しく思っていたのです。そして今日を善き日にしようと心がけておりました。再びお会いした時に自然に振る舞えるように案内する場所や手順を準備しておりました。フジガサキ様にお会いする直前には心の高鳴りを抑えられていたのですが……けれど一目見て、心がざわつき、緊張が抑えられなくなってしまったのです。今も必死です。何食わぬ顔で取り繕っているに過ぎません。みっともない自分の姿を恥じております」
リュドミラの落ち着いた声が一つ一つ頭に染み渡り、ゆっくりと彼女の言葉を理解していく。理解していく毎に、彼女の気持ちが伝わってくるようで、そしてそれはまるで――
危険な、それでいて自分の都合の良い考えばかりがどうしても先行してしまう。本当にないだろうか? 自分もそうだったのだから、もしかしたら彼女もという気持ちが溢れてしまう。きっとないだろうと諦めていた想いが出てしまう。
「そうだったのですか……えっと、その、沢山準備をして下さってありがとうございます。リュドミラさんのように多忙な方にそこまで時間を割いていただけるとは思ってなくて、とても驚いています。ありがとうございます。あと、その……あ、いえ、何でもないです」
数々の感情に蓋をして、どうにか言葉を絞り出す。事務的な感謝を伝え、それで終わらせるつもりだった。けれど、未練からかどうしても、余計な言葉が出てしまい、それを抑える。
抑えた理由は冷静さではない。恐怖だ。それを聞き『勘違い』と知る事への恐怖。そして有り得ない事だが、『勘違いじゃなかった』と知った場合の恐怖。二つの恐怖から言葉を抑えたのだ。答えを知らない方が良いこともあるのだから。
「困らせてしまったのでしたら申し訳ございません。世俗に塗れた導師の言葉です。どうか気になさらずお忘れ下さい」
だが、そんな俺の心をまるで読んだかのようにリュドミラは言葉を紡いだ。緩やかに穏やかに微笑む彼女の表情からは感情の方向性を上手く読み取れない。
……上手くは読み取れない。だが、彼女が悲しんでいるように見えたのは俺の勘違いなのだろうか。
「ああ。いえ、いえ。そんなことは……こちらこそ何だか困らせてしまったようですみません。手紙の件はありがとうございます。スイさん、手紙の送り主にちゃんと出すように言われていたので……返信が来たということは無事届いたということですから、本当に安心しています。あ、ところで、返信の方は?」
結論が出せず、ただただ言葉を並べる。そしてそれは結果的に彼女の言葉に触れない形になってしまう。そしてその空気を察したのか、リュドミラもまた俺の態度には触れずに言葉を作る。
「こちらにございます。大事なものですので、懐にしまっていました。それ故、失念していたのですが……ふふっ。どうか、お許し下さいね?」
そう言うとリュドミラは懐から手紙を取り出し俺に差し出した。ゆったりとした手つきは、まるで大切な宝物を扱うかのように丁寧であった。
「ありがとうございます。それと、あの、全然忘れてたぐらいでは自分も気にしませんので。むしろ、自分もよく色々なことを度忘れしてしまうので……」
リュドミラから手紙を受け取りつつ、恥ずかしさから適当な言葉を返す。
「気を遣って下さるのですね。ふふっ、人は自然と出る言葉に人柄が現れると言います。フジガサキ様はとてもお優しい心をお持ちのようで……そういったところが、聖導師を惹き付けてしまうのでしょうか」
前半は好意的に、そして後半は呟くようにリュドミラが声を発した。後半の部分も俺の耳にはしっかりと届いていた。その意味や発言の意図を考えそうになるのを抑えつつ、必死に態度を取り繕う。
「ああ、ええっと、どうでしょう?」
けれど上手く言葉を作れず苦笑いのような仕草をしてしまう。本心を隠しているからか表情筋が強張っているように感じてしまう。
そんな俺の不格好な態度に対して、リュドミラは意味深に微笑むと前を向き直った。俺も釣られて同じ方向を見る。
「少し階段を上りますので、踏み外さないようにご注意下さい」
俺の視線が前方にある階段を捉えたのを見計らってか、リュドミラが声をかけてきた。彼女の言葉に従い、注意しながら階段を上っていく。下を向き、段差に気を付けながら一歩一歩上る。時折、前を行くリュドミラの足元が視界の中に入る。
上り始めて会話が急に途絶えた。お互い注意しながら階段を上っているからだろうか。音が少ない。ふと気付いたが、周囲に人がいない。この階段を利用する人が少ないのだろうか。いや、そもそも雑談をしていて強く認識していなかったが、段々人気が無い方へ移動していたような気がする。そこまで考えたあたりで、沈黙をリュドミラの声が破った。
「フジガサキ様は、今までに何人ほどの聖導師と会ったことがありますか? スイという聖導師と仲が良いようですが、他にもどなたか親しくされている聖導師はいるのでしょうか?」
前を先行するリュドミラの声は当然ながら少し上の方から聞こえてくる。それが妙に心をざわつかせる。なぜだろう。彼女の声音が美しいから、というだけはない気がする。
「今まで会った聖導師は二人です。リュドミラさんを入れると三人になります。クリスクで二人の聖導師に会いました。手紙の人であるスイさんと、あともう一人別の聖導師と会う機会がありました」
不思議な気持ちになりながらも、彼女の質問に答える。
「二人、私を入れて三人ですか。それはそれは……ふふっ、三人目ですか。もう三人、いえ、まだ三人なのでしょうね」
ん……?
三人という数が何か気になるのだろうか……?




