二章19話 汚染③
ぼんやりと頭が曇っている気がする。でもそれは不思議な事ではない。自然な事だ。
「フジガサキ様」
ふと美声が頭に響いた。振り向くと銀髪の美少女――リュドミラが立っていた。なぜだか、辺りが暗い。いや、明るさはあるのだが、何も見えない。リュドミラの姿だけがはっきりと見えていて、周りには靄がかかっている。でもそれは不思議な事ではない。自然な事だ。
「リュドミラさん……? どうして?」
「ふふっ。今日会う約束ではありませんか」
少し楽しそうにリュドミラは微笑むと俺の手を取り、距離を詰めた。その事に少しだけドキリとしたが、俺は自然と彼女の手を握り返し、そして俺からも彼女との距離を一歩詰めた。一瞬、何かよく分からない事をしている気がした。でもそれは不思議な事ではない。自然な事だ。
「そういえば、そうでしたね」
自然な口調で答えながらも、やはり頭の中では僅かに疑問が過る。会う約束なんてしただろうか? 何か変なような気がする。でもそれは不思議な事ではない。自然な事だ。
「ええ、恋人同士会うのは自然な事です」
リュドミラの紫色の瞳が怪しく光った。そして、次の瞬間、リュドミラは俺に口付けした。唇と唇が重なる。僅かな驚きとともに思い出す。そうだ、自分とリュドミラは恋人同士なのだ。だからこれが自然なのだ。そう思い、彼女の背中に腕を回す。彼女もまた同じように俺の背中に腕を回し、互いに抱き合う。あれ? なんか変なような気がした。でもそれは不思議な事ではない。自然な事だ。
しばらくお互いに抱き合っていると、リュドミラが上目遣いにこちらを見て、リュドミラは意味深に微笑んだ。
「フジガサキ様。三日後、忘れずに大聖堂にお越しください。その時に今日の続きをいたしましょう」
三日後。大聖堂? はて? と思ったあたりで、意識が光に包まれた。
※
「はっ!!」
朝日を感じ、意識が飛び跳ねる。明るい。目が開く。意識がある。ここは宿のベッドの上だ。うん。たぶん朝だ。さっきまで寝ていたのだ。昨日は確かタイムテーブルの調整を行ってそして眠った。そして今に至る。うん、おお、なるほど。さっきまで俺は夢を見ていたようだ。そう夢を見ていたのだ。
「凄い夢見たな……」
俺は、夢を鮮明に覚えられるタイプではない。けれど、それでも、印象的な夢だと起きた後もしばらくは記憶に残る。そして、とりわけ衝撃的な夢は、しばらくした後も記憶に焼き付く。たぶん今日の夢は衝撃的なものに区分されるため、記憶からは中々抜けないだろう。
「それにしても……」
リュドミラとキスする夢というのは何と言うか、うん、夢の深層心理とかは全然知らないが、それでも分かる。これはたぶん、俺の心理を反映しているのだろう。欲望の具現化というべきか。中々に業が深い。ああ、でも欲望を具現化しているにしては、妙にキスの場面があっさりしていたな。欲望が現れるとしたら、もっと表現しにくい内容になりそうだが……単純にキスの経験が無いからだろうか?
まあ、そこはいいか。兎に角今日やるべき事をやろう。
基本的にはまだ行っていない遺跡に潜るで良いと思うが……ああ、駄目だ。夢を見たからだろうか。どうにも、頭の中でリュドミラの影がちらつく。彼女の影を追い払おうとすると、ますます頭の中でその姿が鮮明になる。
いや、いや、落ち着け、落ち着け。どうせ三日後には会うのだ。それまでの間に彼女の事を考えても時間を浪費するだけだし、何より気力的にも体力的にも疲れてしまう。ここは落ち着け。落ち着いて作業をしよう。作業ということなら、安全地帯がある遺跡がいいな。そうするとまだ行ってない遺跡で安全地帯があるのは……ニノウォ遺跡か。ニノウォ遺跡に行くか……? あ、いやタイムテーブル的に、午前中に行くと昼組の一部と遭遇しそうだ。うーん。しょうがない、一度ギルドで調べ物でもして、午後になったら、遺跡を回ろう。
ギルドに向かい、資料に目を通す。知らない情報を自分の手帳に写していくが、どうにも落ち着かない。駄目だ。夢で見た光景が記憶に焼き付いてしまった。頭から離れない。
さっきから、何度も意識しないようにしているのに、リュドミラの姿が現れる。彼女とキスをしているところ、それも頭の中で何度も再生され、鼓動が高まる。先程は、あっさりとしたキスと言ったが、それでも俺にとっては未知の体験であり、また初恋の相手だ。どうしても意識してしまう。
むしろあっさりとしている分、妙な色気がある。清純さというのだろうか。とにかく、グッとくるものがある……! 惹きつけられてしまう。夢の中の出来事だが、現実に起こったりは……ああ、駄目だ考えてたら、また思考が乱れて、おかしな方向へと向かおうとしてしまう。
――落ち着け、落ち着けと頭の中で唱え、深呼吸する。
ふー、駄目だ、落ち着かない。なんとか午後までは耐えよう。午後になれば、遺跡に行く事ができる。遺跡での活動は集中力をかなり使う。遺跡に潜っている間は、彼女の事も忘れられるだろう。
ただ、午後になるまではもう少し時間がかかる。ここでこのまま資料を読んでいても、リュドミラのことばかり考えてしまうだろう。
仕方がないので、予定を変え、一度資料室を出て、ギルドに併設されている店をなんとなく見て回る。
ミトラ王国随一の遺跡街だけあって、それを支えるギルドは広く、併設されている店も大きい。おそらく探索者向けの商品が置いてあるのだろう。実際、遺跡の地図や消耗品なども売られている。たまに用途が分からない物もあるが、それもきっと自分が知らないだけで、探索で使われたりするものなのだろう。
店の中で何か意識を集中できるものは無いかと見回してみる。数分ほどして、少し興味を惹く物があった。
――それはカテナ教の巡礼地図と書かれていた。
俺は結構、地理という学問は好きだ。といっても詳しいとか得意というわけではないので、知識があるわけではないが……それでも何となく好きだ。なんか、こう地形とか、街の位置関係とか見るのが楽しいのだ。こっちの世界の街の位置関係とかはどうなっているのだろうか。『巡礼用』とあるから、たぶん巡礼に必要な知識に偏っているだろうけれど、それでも、俺はこちらの世界の地理についてはよく知らないので、見れば色々と知識を得られるだろう。
中身を見てみたいが、ショーケースに入っているため手には取れない。気になる……よし、買うか。
今は少しでもリュドミラから意識を逸らしたい。逸らせそうな材料があるならば、それを手に入れるべきだ。幸い、金にはあまり困っていない。
俺は、支払いを済ませ、早速本を読むために宿へと戻った。こういう時に、ギルドの近くに宿があるというのは便利だ。
椅子に座り本を手に取る。結構重いし、厚い。本を開き、ぱらぱらとページをめくっていく。最初のページにカテナ大陸図のようなものがあり、さらにめくっていくと各地方の地図に分かれていく。また地図だけではなく、それぞれの都市の気温や湿度の話や植物の様子など色々な情報が書きこまれている。
特に巡礼のやり方や服装、好ましい食べ物などの宗教的な事が重点的に書かれていた。あと他にも宗教的にお勧めのスポット――たとえば、ある聖女が巡礼した旅のルートなども書かれていた。イメージ的には学生時代の地図帳に近い。地図帳に宗教的な模範や歴史が書き込まれている感じだ。
ぺらぺらと十数ページほど見た後は最初のページに戻り、ゆっくりと1ページ1ページ見ていく。ふむふむ、と知識を頭に入れていく。単純に地図を見るのは楽しいし、有名な宗教の勉強をするのも悪くない。何より集中できている気がする。油断すると妄想の中のリュドミラが俺の頭を支配しようとしてくるが、それでも先ほどよりは全然良い。
うん、俺は思った以上に、地理学が好きなのかもしれない。
地図を見た感じ、おそらくこの『巡礼地図』は、カテナ教の布教されている地域、または布教の目標とされている地域の紹介を重視しているようだ。まあカテナ教の巡礼用の地図なのだから、当たり前かもしれないが。一部の地域はかなりざっくりとした説明に留まっている。
具体的に言うと大陸北西部はかなりぼんやりとしている。一方で大陸南部と中部の情報は多いので、この辺りはカテナ教の影響力が強いのだろう。また、カテナ大陸以外については殆ど取り扱っていない。これについては最後に説明したい。
この地図によると、カテナ大陸は大きく分けて二つに分類できる。西部と東部だ。この間には大きな山脈があるようで、移動は困難のようだ。一応、この大山脈は北の方と南の方は途切れているようなので、西部と東部の移動は北回りか南回りで行っているのだろう。
大陸の東部に関しては、さらに南北に分けることができる。これも山脈によるものだ。とはいっても西部と東部を分ける大山脈ほどではなく、所々切れ目があるようだ。
今、俺がいるリデッサス遺跡街は大陸東部に存在するミトラ王国に属している。まあ大陸東部と言っても、厳密には東西を分ける大山脈に近い。大陸中央部よりはやや北東寄りだろうか。ミトラ王国は北東部と南東部を分ける山脈の切れ目に位置しているようだ。
大陸東部において、南北の交通の要所と言えるかもしれない。実際、商業が発展しているような気がしたので、納得できる位置だ。そしてミトラ王国は結構情報量が多い。たぶんカテナ教の影響力が強いのだろう。まあ、リデッサス遺跡街では、あんなに立派な大聖堂が建っているぐらいなのだから、影響力が強いのは納得できる。
大陸東部側をもう少し詳しく説明すると、全体的に国土が大き目の国が多い。そして地図に書かれている情報量も大陸西部より多い。特に大陸南東部はびっしり書かれているので、カテナ教の影響力が非常に強いと考えていいだろう。
また南東部は温かい気候のようなので、これから来る冬を過ごすには良い場所かもしれない。本格的な冬が来る前にクリスクに戻れたら、そのまま南東部に行ってみるのも良いかもしれない。冬越し兼カテナ教の勉強だ。ついでにスイを誘ってみるという手もあるな……彼女の願いを断ってリデッサス遺跡街に来てしまったし埋め合わせになるかもしれないな。
……ん、そういえば、クリスクを出る前日にスイが『俺と一緒にどこかの街に旅行するという未来を見た』とか言ってたな。もしかして、大陸南東部だったりして……?
まあ、それはいいか。とりあえず南東部は興味がある。そして一方で、南東部から山脈を北に超えた大陸北東部は情報が少な目だ。ここはカテナ教の影響力が低いのかもしれない。
一応、いくつか巡礼ルートや聖堂があるようで、巡礼地図には『困った時には立ち寄ると良い』とあった。なお、一部の巡礼ルートには街道が敷かれているので、移動がしやすいとのことだ。文脈からするとカテナ教が敷いたんだよな……影響力が低い大陸北東部でも道を敷けるって結構凄い気がするのだが……? やはり世界的にメジャーな宗教は強いな。
しかし、こんなに強い宗教で聖女ともなると――おおっと、危ない危ない、地図に集中しよう。
そして今度は大陸西部だ。西部は南西部以外は情報が少ない。特に北西部は殆ど情報が無い。しかも西部は色々な所に同じ注釈が書かれている――曰く、『紛争中につき注意』と。
どうも西部は小国が乱立しているようで、それぞれの仲が良くないようだ。この巡礼地図によると、しょっちゅう小競り合いをしているらしい。クリスクにいる時は戦争については聞かなかったが、大山脈の遥か向こうの大陸西部では戦争真っ最中のようだ。
……この世界に流された時、大陸西部ではなく東部に流されて本当に良かった。
もし、西部であれば、自分はすぐに死んでいたかもしれない。本当に良かった。さらに言うと、アストリッドに会い色々と教えてもらい、しかも『感覚』という素晴らしい能力も持つ事ができた。
その上、スイやユリアなどとも交友を深めることができた。かなり、いや限りなく恵まれていると言って良いだろう。もしかしたら、一生分の運を使い果たしたかもしれないな。
ざっくりとカテナ大陸の概要はこのような感じだ。そして、地図には僅かだがカテナ大陸外の情報もあった。カテナ大陸の東側に別の大陸があるみたいだ。その名も邪大陸。
『邪』とは、何だろうと最初思ったが、なんか別の大陸があり、そこには邪悪で恐ろしい人たちが住んでいるらしい。過去に、カテナ教が布教(?)しにいって失敗したようだ。
一応、別の大陸にも聖堂が少し建っているのと、布教(?)中に亡くなった聖職者の人たちの軌跡があるようなので、巡礼ルートではあるようだ。
なお、邪大陸は西岸の一部しか地図には載ってないので、カテナ教としては殆ど情報が無いみたいだ。まあ、布教に失敗したから早々に諦めた感じなのかな……? ほんの少しだけ興味がある。けど、まあ怖そうなので、関わらない方がいいだろう。
そこそこ本を読んだところで、時間が昼に近づいてきた。ふう。なかなか集中できて良い時間だった。
宿を出て、昼食を食べて少しだけ時間を潰すと、ニノウォ遺跡に行く事ができる時間になった。タイムテーブルの仕組み上、探索者を避ける時間に行動するとなると、どうしても時間帯が午後から夕方前に偏る。まあ、タイムテーブルを絶対に順守しなくてはならない、というわけでは無いのだが……安全性のためには一応守っておいた方が良いだろう。
それに俺は臨機応変に動けないタイプなので一度立てた計画を変えない方が良い。あと、頑張ってタイムテーブルを作ったので、活用したいという気持ちもある。
てくてくと歩いていきニノウォ遺跡へと向かう。やる事は今までと同じだ。ニノウォ遺跡は、クリスク遺跡・リデッサス遺跡・ドロズル遺跡と同様に安全地帯があるため、特に危険はない。今までと同じように潜り、戦利品を回収するだけだ。作業感が強いので戦利品と形容するのは少し違うかもしれないが。
タイムテーブルに気を付け、一層だけを探索し、見つけた素材をバックパックに収め、宿へと戻った。この素材は明日の午前中に調整組に紛れて売却することにしよう。
さてと。
タイムテーブルを確認し、次に向かう遺跡を決める。ニノウォ遺跡に入って思考が戻ってきた。今日は可能な限り遺跡に潜ろう。頭も少しスッキリしたし、安全地帯以外に挑戦しても良いかもしれない。
少し時間を調整した後、ポドロサクリス遺跡へと向かった。こちらは安全地帯が無い遺跡だ。今までの遺跡よりもより集中力が求められる。どのくらい集中力が必要かというと、クリスク遺跡に二・三層レベルのものが必要だと考えれる。
まあ、クリスク遺跡では殆ど魔獣に遭遇しなかったし、探索者の巡回ペースを考えると、おそらくポドロサクリス遺跡でも午後の時間帯かつ低層であれば、ほぼ遭遇しないであろうが……それでも魔獣がいる可能性がある以上、集中を抜いて良いわけではないので、安全地帯を探索するよりは遥かに強い集中力が求められる。今の俺には丁度良い遺跡だろう。
ポドロサクリス遺跡に入ると、いつものように『感覚』が発動した。これでクリスク、リデッサス、ドロズル、ニノウォ、ポドロサクリスの計五つの遺跡全てで『感覚』が発動した。まだ確定とは言えないが、ほぼほぼ遺跡全般で『感覚』は有効と考えてよいかもしれない。まあうち四つの遺跡は北方遺跡群に所属しているので、偏りがあるかもしれないが。
バックパックから戦闘装備三セットを取り出し準備する。ポケットに『生命のスクロール』と『風刃のスクロール』を隠し、『衝撃吸収のアミュレット』を身に着ける。ゆっくりと慎重に周囲を警戒しながら動きながらも、『感覚』の導く先へと向かう。ニ十分ほどして、無事、素材を見つけ回収した。
この間、魔獣と遭遇することはなかった。やはりポドロサクリス遺跡もクリスク遺跡と同様に、昼組が低層の魔獣を午前中に狩りつくしているのかもしれない。とは言っても、油断するわけにはいかないので、慎重に通路を一つ一つ確認しつつ、地上へと向かう。一層と地上を繋ぐ階段の前で、装備を外しバックパックへと戻す。結局使わなかったが、いざという時すぐに戦闘に入れるように、こういう習慣は重要だ。
遺跡を出てから時間を確認する。うん。今から駆け込めばもう一回いけそうだな。今度は宿屋に戻ることなく、ポドロサクリス遺跡からニノウォ遺跡へと向かう。タイムテーブル的にギリギリだが、はしごできそうだ。ニノウォ遺跡に入り『感覚』に導かれるまま進み、素材を回収し地上へと戻る。こちらは安全地帯を行くので装備はバックパックに入れたままだ。
太陽がだいぶ傾いてきた。今日はこんなところだろう。一日に遺跡に三回も突入したのは中々良い経験になった。『巡礼地図』という面白い物を手に入れたのも良かった。思考も落ち着いている。素材もだいぶ手に入れた。良い事尽くめだ。
必要な事を済ませ、空いた時間に遺跡の情報整理を行い、この日の活動は終了した。




