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二章17話 多色感情


 そうして話をしながら歩いているうちに、ついには本堂の深いところ――以前オットーに案内されたところよりもさらに先にある儀式用の場所まで入り、そこでリュドミラは足を止めた。


「フジガサキ様。手紙の方をお預かりいたします」


「え、あ……はい、お願いします」


 こちらに手を差し出すリュドミラに手紙を渡すと、彼女はそれを大事そうに両手で受け取った。


「ありがとうございます。宛先はどちらで?」


「あ、さっき話をしたスイさん宛です。なので、場所的にはクリスク聖堂になるかと思います」


 リュドミラは俺の答えを聞くと、一度手紙をまじまじと見つめた後、それを懐へとしまった。


「手紙をやり取りまでされているんですね」


 自然な口調で、だけれど、どこか緊張を含んだ声でリュドミラは尋ねた。そのことに僅かな疑問を感じるも、自分の勘違いだと思い彼女の言葉に答える。


「やり取りというか、一応今回が初めてです」


「そうだったのですか? もしよろしければ、手紙を出そうと思ったきっかけをお聞きしても?」


 こちらの答え方が気になったのか、リュドミラはさらに質問を続けた。


「クリスクを出る前に、スイさんに必ず手紙を出すように言われたので……」


 何度も手紙を出すように言われたのだ。これで出さねばクリスクに戻った時、それをネタに何度も絡んでくるだろう。別にスイのことは嫌いではないが、なんとなく避けたい展開だ。


「ふふっ。それは、それは……スイという聖導師にとってフジガサキ様はとても大切な方なんですね」


 実際にあった事をそのままに口にしたが、リュドミラはその事に対して俺とは違う解釈の仕方をしたようだった。スイが俺のことを『とても大切に思っている』かというのは少し難しい議題だ。そこそこ大切ぐらいには思っているかもしれないが、『とても』とは思えない。

 いや、まあ言葉の定義の問題かもしれないが……ただ、リュドミラの発する言葉の雰囲気を読み取ると、俺とスイはかなり仲が良いと考えているように思える。しかし、そういう前提をリュドミラが持っているとすると、さきほどのリュドミラが言った『俺と親しくなりたい』という意味の解釈も変わってくる…………いや、これ以上はやめよう。また感情と思考が狂ってしまう。


「え、いや……それは、どうでしょう?」


「ご謙遜なさらずとも、分かりますよ。聖導師は誠実な方や真面目な方、真剣な方を好みますから。ですから、スイという聖導師の気持ちは自然なものです」


 俺が言葉を濁すと、さらにリュドミラが踏み込んできた。彼女の言葉にまた心が乱されそうになり、必死に頭を回す。

 聖導師が好む人柄か。色々と考えさせられる内容だ。意識をそちらに向けると同時に二つの疑問が頭を過る。


 一つ目として、まずスイが本当に好むかどうかという点だ。聖導師が好むというのはなんとなく分かる。広く伝わっている宗教の聖職者だし、禁欲的というか、なんというか、自制的な面を重んじているだろうし、そういう人が同種の人を好むというのはなんとなく分かる。でもスイは例外的なマイペース聖導師だ。故に、一般の聖導師が好むものを好むかどうか分からない。というか、別にそもそも俺の事をそこまで好きではないと思う。一応、気に入られているとは思っているが。


 次に二つ目として、リュドミラは俺の事を誠実だとか真面目だとかと捉えているという点だ。彼女と接した時間は短い。その為、相手の人柄を捉えるのは難しいと感じるはずだ。それでもなお、俺の人柄に当たりをつけているのはなぜなのだろうか。まあ、俺もなんとなくでリュドミラの人柄に当たりをつけているので別におかしくはないか。おかしくはないが……どのあたりを見てそう判断したのだろうか? あれか、とりあえず丁寧そうな言葉を使う人だから誠実や真面目という評価をしたのだろうか。実際、ある程度相関性はあるかもしれない。


 ふう。考えたら落ち着いてきた。少し冷めた頭でリュドミラと向き合う。目が合うと彼女は薄っすらと微笑んだ。駄目だ。冷めた頭がまた熱くなる。


「…………あ、えっと、ありがとうございます。あまり褒められた経験が無いので嬉しいです」


「私で良ければ何度でもあなたの為に(さえず)りましょう」


 冗談のような事を表情を変えずに言うので、本気なのかと思ってしまう。


「あはは。あ、そういえば、その手紙はどうするんですか?」


 気恥ずかしさから話を変え実務的な事を尋ねる。


「私の方で手続きをしておきますので、ご安心下さい」


 微笑むリュドミラから目を逸らしつつ、ふと疑問を感じる。最初から手紙の手続きをリュドミラがする気であったならば、そもそも正門のところで手紙を回収すれば良かったのではないかという疑問だ。俺をここまで連れて来た意味がない。


「あ……なるほど?」


 しかし、それを指摘するのは難しく、言葉が上手く回らない。そんな俺をリュドミラはその見透かすような瞳で捉える。少しドキリとした。まるで心を読まれているみたいに感じてしまう。


「さきほど、聖堂の外で手紙を私が受け取っていれば、ここまで来る必要はなかったと、お考えですか?」


 リュドミラは事も無げに、そんな言葉を放った。まさしく考えていた通りのことだ。訂正しよう。まるで心を読まれているではない。本当に心を読まれているのかもしれない。

 いや、そんなことはないと思うが……俺は結構思っていることが顔に出やすいのだろうか? どちらかというと出にくいような気がしないでもないのだが……ああ、でも、リュドミラ相手では俺は正常ではないし、いつも以上に考えている事が顔に出ているのかもしれない。それに、先ほど俺が抱いた疑問は一般的なものなので、リュドミラから見ても推測しやすい内容である。俺が言い淀んだことから俺の疑問を感じ、その疑問として最もそれらしい内容を言ってみただけかもしれない。うん。なんか納得できる気がしてきた。


「あー、その、そこまで深くは考えてはいませんが、そう言われてみると、確かに、そうですね。何か理由が?」


「ええ。とても大きな理由があるのです。聞いていただけますか?」


 ――大きな理由?


「はい。勿論」


 疑問を感じながらもリュドミラに先を促す。


「実は、先ほど聖堂の外でフジガサキ様と再会した時、とても心が動かされてしまったのです。はしたないと思われるかもしれませんが、フジガサキ様と再びお話する機会をいただきたいと思い、本当は必要も無いのに、大聖堂の中に来るように言ったのです」


 そう言って、リュドミラは強い眼差しでこちらを見た。その瞬間、彼女の美しさを強烈に感じた。今までの会話で少しずつ慣れ、僅かながらも彼女の美貌へ耐性がつきつつあった。それが、この瞬間一気に打ち壊された。これまでよりも強く、今までで一番強く彼女に惹きつけられるような感覚がした。

 彼女の美貌を感じながらも冷静な部分が、いやもう冷静な部分などない気がするので、冷静だと思い込んでいる部分が、ここまで惹きつけらえる理由に気付いた。たぶん一番大きな理由は、彼女の言葉だ。『再会した時、とても心が動かされた』と言ったのだ。そう、俺と同じなのだ。だからだろう。どうしても考えてしまう。感情の面でも俺と同じなのではないだろうか、と。


 俺が固まっていると、リュドミラは僅かに頬を緩めたあと、一歩こちらに近づいた。その動作に戸惑い、驚き、困惑しているうちに、二歩、三歩と彼女はこちらに近づいた。気付けば、直ぐ近くに――手の届く距離にリュドミラがいた。

 リュドミラはゆっくりとした動きで、俺の右手を手に取り、それを彼女の両手で包むように握りしめた。


 ――今、片手がリュドミラに包まれている。リュドミラと手を繋いでいるのだ!


「フジガサキ様。このまま、以前の続きをいたしませんか?」


 自然に、まるで何事も起こっていないようにリュドミラは言葉を紡ぐ。


「い、い、いぜん、いぜん、ああ、以前。以前ね」


 一方、俺はもう頭が弾けているので、言葉の理解もおぼつかない。


「ええ。以前、お話した時に、この大聖堂の案内をするとお約束しました。その時は残念ながら案内することはできませんでした。ですから、その続きをしたいのです。どうか、あなたを案内する栄誉――私に下さいませんか?」


 そう言って、リュドミラは僅かに包む力を強めた。勿論、痛みはない。ただただ凄まじい熱量が伝わってくる。リュドミラの手が熱いという意味ではない。俺の右手が燃えるように熱くなっている。まるで右手に心臓があるかのように、強い鼓動と、それに押し出されるように何かが体の方へとやってくる。


 驚愕、困惑、幸福感、高揚感、陶酔感、絶頂感、そして僅かな恐怖感。


 様々なものが練り混ざって、それが大きな熱となり右手から心臓へ、そして心臓から体の隅々まで回っていく。その事に身を任せ、多幸感を体全体で感じようとしたあたりで、最後の最後に残った僅かな『個』の部分が警報を鳴らし、全てが反転した。恐怖感が全身を包み、俺は素早く右手をリュドミラの両手から引き抜いた。

 すぽりと、手が抜かれる。神聖な場、神秘的な少女を前にして、場違いな、滑稽な動作だった。リュドミラは少し驚いたのか、無言で、目を二回ほどぱちくりとさせ、彼女の両手を見た。驚いている顔も美しいという場違いな感想が一瞬頭を過る。


「手を握られるのはお嫌いでしたか? 配慮が足らず申し訳ございません」


 悪意などは全くなく、落ち着いた表情で謝罪の言葉を彼女は口にした。しかし、その声には僅かに戸惑いの色があった。当たり前だが悪意は全くないだろう。今のはただただ俺が怖くなって手を抜いただけだ。だから、困惑させてしまい、むしろ俺の方が悪いのかもしれないと思っている。まあ、いきなり手を包むのはかなり驚いたし、普通はしない気もするが……いや、でも相手によってはしたりする人もいるのか。でも、それは、つまり……


「いえ。その大丈夫ですよ? ただ、その驚いてしまって。ああ、それと、案内していただけるという話ですが、それは、とても光栄なのですが、今日はもう立て込んでいるので、ああ、また同じようなことを言って断ってしまって申し訳ないです。ただ、探索者として色々やることがあって。本当に申し訳ないです。二度も誘っていただいたのに。ただ、今日はもう、これで、と思っていて」


 やや早口に、彼女に口を挟まれる前に次々と言葉を並べて断る。色々とリュドミラとの関係や自分の在り方に悩んで、それに対して計画を考えてきた。だが、そんなものは本物のリュドミラを前にして、手を包まれたりすれば、全て吹き飛ぶのだ。

 あまりにも想定外すぎる。偶然彼女と再会したのも、確率的に考えれば非常に驚くべきことだし、そこから、彼女と二人っきりになって、さらに両手を包まれて話しかけられるなど、あまりに考えられないことだ。有り得ないと言っていい。計画だけではなく頭が吹き飛びそうだ。今日はもうこれ以上、頭や心に負荷をかけれない。もう帰る! おうち帰る!


「……そうでしたか。お忙しい中、教会に足を運んで下さったのに、何度もこのような話をしてしまい申し訳ございません」


 リュドミラは少し言葉を詰まらせた後、再び謝罪の言葉を発した。


「ああ、いえ、その、全然いいんです。むしろ自分の方こそ申し訳ないです」


「もし許して下さるなら、空いている時間を教えていただけませんか? フジガサキ様の都合の良い時に合わせますので、どうか、今一度お話を……あ、いえ、本音が出てしまいましたね。今一度、大聖堂を案内する機会をいただけませんか?」


 何度も断り続ける俺に対しても、リュドミラは再度誘いの声をかけた。そのことに深い喜びと、緊張を感じる。断るべきか、受けるべきか。もはや俺の頭は弾けているし、感情もぐちゃぐちゃで、何が正しい答えかは分からない。ただそれでも――


「…………えっと、そうですね。五日後、五日後の午前中なら空いていると思います」


――目の前の懇願するような少女の態度を見ると断ることはできなかった。


 どうやら俺は、思考でも感情でも判断できないとき、周りの空気に流される事を選ぶようだ。いや? 単に自分好みの非常に外見が良い少女が頼んできたから受けただけかもしれないけれど。

 一瞬言葉を発した後、ちょっとリュドミラと一緒にいるだけでこの有様なのに、会う約束などして大丈夫だろうかと思ったが……まあ、五日後なら気持ちの整理もついているだろうし、彼女と接していくうちにこの気持ちの整理もつくかもしれない。以前計画したプランその二、『リュドミラと接して情報を集める』に近いと思えば悪くもない方針のような気もする。


「かしこまりました。五日後ですね。午前中、聖堂の入口でお待ちしております。ふふっ、五日後、ですね」


 リュドミラは嬉しそうに、だけれどどこか妖しげに微笑んだ。


「え、ええ、五日後。それでは、その、当日はよろしくお願いします。えっと、自分は今日はこれで。手紙の件ありがとうございました。また、五日後に……」


 そうして、ようやく俺は大聖堂を後にした。

 本来は手紙を送るだけだったが、予想外の方向に次々と進んでしまった。反省するのは難しいが、とりあえず次に生かしていこう。



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