二章10話 恋心戦略②
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寝れない。流石に眠くならない。さっきまでずっと寝てたのだ。そこから再び寝るのは難しい。それに眠気を待っている間にリュドミラの事がどんどん思い返されてきて、胸がドキドキしてしまっている。寝れない。
どうしよう? いっそ逆にリュドミラの事で頭をいっぱいにするべきか? 一度完全にリュドミラで満たせば、頭がそれ以上彼女を求めることがなくなり、以後正常に機能したりしないだろうか。いや、さすがにそれは期待的な要素が強すぎるし、確実性が全くないな。最悪、もっともっとリュドミラの事を求めてしまうかもしれない。それは避けたい気がする。だから、逆だな。自分がどうなりたいかを考えよう。
リュドミラに対してどのような思考のスタンスを持ちたいか、そして場合によっては彼女とどういった関係を持ちたいか、それを先に考えて、そこから逆算して今の行動を決めるという方が良い気がする。いや、実際に目標を定めても、ここまで深く彼女の事を考えてしまう以上、その目標に沿った行動ができるかは謎だが、まあ、とりあえず決めるだけでも決めておこう。
うん。どうしよう。えーっと、とりあえず、持っている情報を整理しよう。
昨日の時点では、俺はたぶんリュドミラに一目惚れした。これは間違いない気がする。恋愛経験が全くない人が、恋愛に関して『間違いない』とか思っちゃうのは、間違いだらけな気もするが、まあ、でも自分の感情の動きではあるし、それに関してなら、二十二年は向き合ってきたわけだし、そうそう間違ってはいないだろう。
ん? いや、ゼロ歳の時に自分の感情に向き合ってはいないな。うーん、最後の記憶があるのは体感五歳くらいな気がするから、五歳分引こう。よし自分の感情に十七年は向き合ってきたのだし、たぶん間違いないだろう!
よし、次の情報としては、記憶と感情か。彼女の事をかなりはっきりと記憶していて、それでいて何度も思い返してしまう。そして、彼女へ向ける感情も大きいような気がするという点だ。また、さらにはその感情に対する感情、派生感情とでも言うべきだろうか、それに関しても現状、持て余している気がする。
まず記憶に関してだが、こんなにも記憶にこびりついているというのは謎だ。まあそれはさっきベッドに横なる前に考えていた通り衝撃的な体験だったからだろう。それほどまでにリュドミラは美しかった。彼女より美しいと思った相手は、前の世界でもこの世界でもいなかった。というかたぶんだが、今後も現れない気がする。まさしく絶世の美少女だ。
次に彼女に向ける感情だが、これは少なくとも俺が感じた感情の中でも特に大きい感情だと思う。恋愛関係に限定すれば間違いなく一番だ。いや、まあ、そもそも初恋なんだから一番なのは当たり前だが。ただそれ以外、恋愛以外に関してもこんなに大きな感情は抱かなかった気がする。
俺は感情的な人間ではあるが、それでも『ある感情が一定以上になること』を防ぎたい人間だ。何て言うんだろうか、『普段から感情でものを決めたいが、その感情だけで動きたくない』と言えばいいのだろうか。思考の余地を残したいと言うか……まあ、そんな感じで、とにかく、大きな感情を抱かないように自分を制御してきたし、できたいた。
また、そもそも大きな感情を発することがないように計画を建てて不測の事態が起きないようにしてきた。とは言うものの就職全部落ちたり、異世界に来ちゃったりしてるので、人生において不測の事態が起こりすぎている気もするが。
ああ、でも流石に、後者はしょうがないか。前者は………………まあ、いっか。それ考えると色々と自分を見直さなければならなくなりそうだし、それはちょっと今は避けたい。えーっと、とにかく重要なのは、『そこまで感情が大きく動かないはず』の俺が、リュドミラへはだいぶ強い感情を持っているという点だ。
そして、その感情に対する感情として、避けたいという思いがある。つまり現状抱いているリュドミラへの感情を『良くない』と認識している。その理由はまあ色々あるが、主には未知へ恐怖とか、リターンが確約されていない(というか、おそらくほぼない)事への回避欲求だろう。強い感情を避けてきたから、今回も避けたいし封じたい、というか蓋をしたいって感じだろうか。
あと、普通に考えて、この恋心は報われない。成功率が限りなく低い、というかゼロなのだから、考えるだけ無駄というか、損というか、意味のないというか。そういう気持ちがある。絶対無理なんだから、そこに時間や労力を注ぎ込むべきではないという気持ちだ。
概ね手持ちの情報はこんなところだろう。あとは、戦略を立てる上で重要なのは、現在の恋愛事情以外での事――つまり俺の目下の予定、もっと言うと、今後の人生設計に関してだ。
まず目下の予定――この遺跡街に来たのは『感覚』の検証と資金繰りだ。『感覚』は、この世界で生きる俺にとっての生命線であり、同時に火薬庫でもある。できるだけその詳細を知っておきたい。次に資金繰りは、単純に金があれば色々と便利で安全だということだ。生活の質にも関わる。
それにもっと言うと、こっちの世界の方が前よりも治安やリテラシー意識が少し低いように思える。そういった場所で安定を買うには物価基準で考えて前の世界よりも多くの金がいると思われる。それ故、金は大事だ。他にも、『将来、何かこの世界でやりたい事ができた時に、金があった方が手段も増えて良いだろう』という思いもある。
長期的な目標――人生設計に関しては、そこまで深くは考えてはいない。まあ、まずは生きる。安全と人権が少なくとも自分だけでも保証されたい――つまり命や財産が保証された上で、自分らしく生きたいのだ。
ただ、この世界で社会がそれ保証してくれるわけではない。なので、その仕組みを自分で作る。他にも生活の質を良くする。あとは、『やりたい』と感じたことを『やれる』ようにしたいといった所だろうか。まあ、そんなに大した目標ではない。というか、たぶん、どれも金があれば大体は達成できる。
あとは情報管理だろう。金があり過ぎたり、『感覚』という特殊過ぎる技能が露呈した場合は、安全だとか、人権だとかとは無縁になりそうだ。故に、これまでと同じように情報管理をきっちりやる必要がある。これまで、ちょっと適当だった時もあったので、ここは緩まないように要注意だ。
まとめると、健やかな人生を送るために情報管理を徹底し金を稼ぐ必要があるということだ。
概ね、目下の予定の針路上に長期的な目標がある。なので、現状の計画を進めていけば、戦略上は問題はない。
情報と自分の戦略的な方針の再確認は済んだ。よし、これでようやく本題に入れる。手持ちの情報と、長期的な戦略、それを踏まえた上で、リュドミラに関してどうするかだが……いや、どうしよう。
とりあえず、ざっと思いついた方針は三つほど考えられる。
一つ目は、リュドミラとは接しないという方針だ。彼女の事は綺麗さっぱり忘れる。
この方針の長所は『今まで通り』を送れる点だ。長期的な戦略も、短期的なリデッサス遺跡街での行動も、どちらも変更せずにいられるという点だ。
この方針の短所、というか問題点は、本当に忘れられるかという点だ。というか、今でも彼女の事を思い出してしまうのだから、非常に難しい気がする。
ただ一方で、一応、体感だが、昨日リュドミラと別れた直後よりも、今の方が冷静な気がする。半日経って、睡眠をとって思考をリセットした効果が出ているのだろう。なので、このまま彼女との接触を経てば徐々にだが、彼女に対する感情が薄れてくる、または今より冷静な考え方ができるようになるのではないかと思っている。
まあ、ただ、数日か、あるいは数週間か、彼女に対する感情が落ち着くまでの間は、かなり大変だと思われる。恐らく忍耐力や集中力を必要とするだろう。幸い、遺跡という短期的な目標があるから、そちらに集中を向ければ、多少はリュドミラの事を考えなくても済みそうなので、なんとかなりそうという気もしている。
二つ目は、今後もリュドミラと接して情報を収集するという方針だ。彼女と接して、想像や予想ではなく、実際に触れ合って生の情報を集める。『見に徹する』というやつだ。
この方針の長所はリュドミラに対する理解力を上げられるという点だ。上手くいけば自分が彼女に抱いている気持ちを修正できるかもしれない。自分は感情的な面があるし、ふとした事で人を嫌いになったり苦手意識を抱いたりすることがある。リュドミラと接することで、そういった面を少しでも感じることができれば、この想いも薄れるのではないかという思惑がある。
この方針の短所は、リュドミラが人格的にも完璧で嫌いになったり苦手になったりする要素が全くなかった場合、非常に困ったことになるという点だ。そういう人物と接すれば好感を抱くし、それが一目惚れの相手ならば、きっと今よりもさらに強い感情を抱いてしまうだろう。それは非常に危険だ。これ以上、自分を制御できなくなるというのは避けたいところだ。まあ、そんなに完璧な人はいないだろうから、この短所の発生率はそこまで高くはないと踏んでいるが……
三つ目は、恋を戦略に追加する方針だ。つまり人生設計を大きく変える方針だ。非常に難しい方針だ。つまり、リュドミラのことを好きになる自分を認め、さらに、リュドミラにお近づきになるという考え方だ。非常に難しい。
きっとこの選択を選べば、俺は多くのものを得て、そして多くのものを失うだろう。それは、…………俺には、たぶん選べない。少なくとも、今の俺には無理だ。
さて、どれを選ぶべきか。真っ先に思った事は、三つ目はやっぱり選べないという事だ。興味深い選択肢なのだが、やはり何だろう……たぶん怖いのだ。失敗をしたくないというか、かけた労力や時間が報われないのが嫌というか。
あとは、一番大きな点とては、ここまで大きな感情が粉砕されるようなことになれば、きっと凄く苦しいだろう。それが嫌なのだ。リュドミラは絶世の美少女であり、さらには聖女という聖導師の上位互換みたいな存在だ。美貌の他にも、宗教的な権力、財力を多く持つ少女だ。きっと『彼女とお近づきになりたい』と考える人の数は、無数にいるだろう。俺はその中で飛び抜けた人ではない。真ん中くらいか、もしくは、真ん中よりは下だろう。だから、これから先、どれほど上手くリュドミラと接したとしても、きっとこの想いが報われることはないだろう。
いや、まあそもそも、決意をしたとしても俺の事だ、きっと彼女に想いを届かせることすらできないだろうが。
そう考えると、ほぼ確実に失恋で終わるのだから、安定している一つ目の選択肢にするべきだろうか。それとも不安定だが、上手くいけば苦しみが少なそうな二つ目の選択肢にすべきだろうか。
これは悩みどころだが……ああ、でもそもそもスイへの手紙を送るのに教会を経由しなくてはいけない以上、完全に接触を絶つのは難しいか? ああ、でも、聖導師は一般的に忙しいみたいだし、昨日俺とリュドミラが会えたのは、おそらく偶々だろうから、普通に手紙を送るために教会に寄ったとしても接する機会はほぼ皆無と考えて良いだろう。偶々は二回以上は続かないはずだ。
だから、手紙を教会に送っても一つ目の選択肢は選べる。それにリュドミラに会うことが難しいという事も踏まえれば、二つ目の選択肢のコストはなかなか大きい。リュドミラを探したり、彼女に会う口実を探したり、場合によっては何か特殊な対価を支払う必要もあるかもしれない。それになにより確実性に欠ける…………よし、決めた。一つ目にしよう。できるだけ会わないようにして、彼女のことを少しずつ忘れていこう。
まあ、どうしても難しそうなら二つ目の選択肢に途中で変えるという手もある。二つ目の選択肢から一つ目の選択肢に移るのは難しいが、逆はそんなに難しくない。手段の広さを考えるとこれがベストだろう。
方針は決まった、今後は彼女の事を少しでも早く忘れられるように振る舞おう。常に目的を持ち集中する対象を作る。思考や感情が乱れてきたら、寝てリセットをかける。今まで経験からこれが一番よいだろう。
とりあえず、今はできる事も少ないので、各遺跡の地図を読み込んで行こう。七遺跡が三層分ある。まずは中核となる三遺跡――リデッサス遺跡・ニノウォ遺跡・ドロズル遺跡の三層分の地図を読み解こう。
まずは、さっき見たドロズル遺跡の地図を復習がてらに確認する。やはりこの遺跡はかなり入り組んでいる。実際に遺跡の中に入ったとしても、活動するのは難しそうだ。
続いて、さきほど一瞬だけ見たリデッサス遺跡の方を見る。この遺跡は二層までが安全地帯になっているため、色々と『感覚』の調査でも金稼ぎでも便利そうな遺跡だ。しかし、かなり広いな。クリスク遺跡に数倍の広さがありそうだ。遺跡の内部は単純な構造だが、入口や階段から端まで行くのには時間がかかりそうだ。魔獣がいない一層や二層なら大丈夫だが、三層以降は『感覚』の発生場所によっては、広すぎて素材が消失するまでに間に合わないかもしれないな。
一応、二層から三層の階段は三層の中央近くに降りているから、三層での探索はギリギリ間に合うか? まあ、しばらくは一層と二層を行き来することになるだろうから、そこまで心配しなくて良いだろう。むしろ、リデッサス遺跡は人気すぎるようなので、人に会わないようにする方法を考えた方が良いかもしれない。この辺りは現地調査やギルドでの情報収集を重視しよう。
最後にニノウォ遺跡の地図を確認する。ここもドロズル遺跡と同じで一層までが安全地帯だ。遺跡内の構造はリデッサス遺跡に比べれば入り組んでいるが、十分に許容範囲内だ。大きさはリデッサス遺跡より小さい。全体的にクリスク遺跡に似ているので、個人的にはイメージしやすい遺跡だ。
ただ、昨日入口を見たところによる体感の人気度としては、クリスク遺跡以上にはありそうなので、こちらも大人気のリデッサス遺跡ほどではないが、『人に会わない工夫』が必要になるかもしれない。
全体的に『人に会わない工夫』が必要だ。それと、他にも情報管理を考えるならば、人に会わない以外にも、『探索している階層に人ができるだけ少ない』という状況も意識した方がよいだろう。
クリスク遺跡のときは、人が殆どいない階層と時間帯を狙ったため問題は無かったが、こちらの遺跡には多くの人が入る。そのため鉢合わせの危険性がある。これは俺が鉢合わせるという以外にも、『感覚』発動後に貴重素材を俺よりも早く偶々見つけてしまう人が現れると少々困ったことが起こると予想されるからだ。
なんたって低層から本来手に入らない素材が入手できるのだ。その情報は瞬く間に広がり、数日と待たずしてその遺跡の低層に人がひしめく事になるだろう。そうなれば探索どころではなくなってしまう。故にそういった展開を避けるため、人が殆どいないタイミングを狙いたいが、この混み具合だと少し難しいかもしれない。
いや、勿論、クリスク遺跡と同じで、安全地帯で拾い物をしている殆どの人たちは、昼あたりで遺跡を出ているだろう。なので、昨日の午後に見た遺跡から出て来る探索者は恐らく三層から五層あたりで活動している人たちの中の少数――なんらかの事情で昼過ぎまで活動している人達だろう。なので、彼らは恐らく一直線に階段を昇り遺跡の出口を目指す。途上の脇道に転がっている貴重素材には気付かない可能性の方が高いだろう。
むしろ、『感覚』を頼りに安全地帯を徘徊している俺の方が遭遇してしまう可能性が高い。まあ、こちらは少々不審に思われるかもしれないが、出遅れた変な探索者と評価される程度で済むだろう。ああ、でも以前会った迷惑少女みたいなのと遭遇したら嫌だな。それに可能性がとても低いとしても何度も同じ人に会う事になったら、あまりも変な人として印象に残ってしまうかもしれない。そこまで目立つのは避けたい。
いずれにせよ、試行回数を増やすにつれて、そういった『珍しいアクシデント』に遭遇してしまう可能性も増える。なので、実際に探索計画を練る時はその辺りも意識したいところだ。
ふー。集中力を使ったおかげで、少し眠くなってきた。体感的にあと三時間くらいで日の出だと思うが、一度眠ろう。そして三時間後に起きて体調を万全にして朝に備えよう。朝からはできることは沢山ある。スイへの手紙周り、宿の確保、ギルド周りの調査と今地図で確認した三遺跡の現場調査。すべてに手を回せるかは分からないが、一つ一つ的確に取り組んで行こう。