二章9話 汚染①
ぼんやりとした意識の中で目が覚めた。暗い。朝では無いのか……? 疑問を感じ、そこでようやく昨日の事を思い出した。昨日は日中から寝始めたのだ。それで、今初めて起きた。うん。お腹も空いている気がする。
水筒を傾け喉を癒した後、カーテンを少し開け窓の外を見る。真っ暗だ。窓の耳を近づけるが、音も少ない。殆ど人が活動していないのだろう。深夜何時かは分からないが、外の暗さと静かさ、そして腹具合から察するに深夜一時くらいではないだろうか。扉を少し開け廊下を見るが、当然こちらも暗い。耳を澄ませるが、寝静まっているという感じがする。当たり前だが、飯屋は開いていないだろう。ゆっくりと音を立てずに扉を閉め鍵をかける。
さて、どうするか。今が深夜一時くらいだとすると、結構眠っていたことになる。たぶん八時間くらいは寝ている。それに夕食を食べていないし、お腹も空いている。とりあえず、保存食――リデッサスに来る時の乗合馬車で食べきらなかった分を少し食べよう。乗合馬車利用時に食べた時はどれも美味しかったと記憶している。これを食べつつ、この微妙な時間をどうするか考えよう。干し果物とビスケットを口にしつつ、渇く喉を適度に水筒からの水で癒す。
とりあえず、明日……いや、たぶん、もう今日だな。今日のやる事の確認だ。昨日寝る前に立てた通り、宿の確保、手紙書き、地図の確認、それと、できればギルド周りの調査と三遺跡の現場調査だ。よし問題なく覚えている。それに思考がすっきりしている気がする。睡眠の効果が出ている。寝ると悩みも少しは和らぐのだ。とりあえず、今できそうなことは手紙の文面を考える事と地図の確認だ。
勿論ぼーっとして、二度寝するのも手ではあるが、今はわりと頭がスッキリしている。もう一度寝て起きた時もスッキリしているかどうか自信が無いので、おそらく今のうちにできることはやっておいた方がいいだろう。今だって、ぼんやりとだが、リュドミラの事を思い出しそうになっているのだから。
僅かに首を振り、想起しそうになる記憶を防ぎ、昨日買ったドロズル遺跡の地図を開く。三層分あるので、一層目から順に読み込んでいく。
………………
…………
……
ん? なんだ、この遺跡?
一層目からおかしな事に気づき、思わず、まじまじと地図を見てしまう。しかし、見つめても結果は変わらない。ドロズル遺跡のおかしな点、それは、あまりにも複雑すぎる構造だ。
遺跡内が入り組み過ぎている。まるで迷路だ。それに通路の幅もだいぶ狭い気がする。縮尺が無いので、なんとも言えないが、体感クリスク遺跡の三分の一かそれ以下の幅なのではないだろうか。魔獣と遭遇した場合の対処が難しそうに思える。
まあ、一層は安全地帯なので最悪魔獣はなんとかなりそうではあるが……
あ、いや。待てよ、これだけ入り組んでいると、俺の『感覚』が発動しても、消失現象が起こる前に素材を回収できない可能性があるのだ――俺の『感覚』で捉えた素材は時間経過で消失することがクリスク遺跡での実験から分かっている。その時間はおそらく一時間程度と思われる。まあ、一度しか消失現象を見ていないので、精確な時間は分からないし、そもそも再現性があるのかもいまいち分からないが、とりあえず『ある』という前提で考えている。
そうすると、一層に入って一時間以内に素材を『感覚』が導く先にある素材を見つけられるかなのだが……このドロズル遺跡のあまりにも複雑な構造を見ると難しいかもしれない。運よく入口の近くに出現したら見つけられるだろが、それ以外の場合は難しいかもしれない。
安全地帯もあり、探索者が相対的に少ないので狙い目だと思ったが……こんなことになっていたとは。まあ、もしかしたら、いや、というか、おそらくだが、ドロズル遺跡は複雑すぎるから人も少なかったのかもしれない。何となく、一番人気があったリデッサス遺跡の一層の地図を軽く開く。うん。普通だ。クリスク遺跡に近い。まあ、クリスク遺跡よりも広そうではあるが。
とりあえず、ドロズル遺跡の地図に意識を戻す。やはり、複雑だ。一応地図を見ながら歩けば、一時間以内に『感覚』の導く先へ行けそうな気もするが……『感覚』は方向とおおまかな距離が分かるって感じだから、ここまで入り組み過ぎていると難しいかもしれない。一応、二層と三層の地図にも目を通したが、一層と同じように非常に入り組んだ造りになっていた。
いや、下手をしたら一層よりも二層と三層の方が入り組んでいるかもしれない。二層以降は魔獣が出現するという可能性も考えると、難易度は一層の比ではないだろう。まあ、そもそも一層からして俺の『感覚』と相性が悪そうではあるが。
それから、意味があるかどうかは分からないが、一応、ドロズル遺跡の一層の概略を確認した。入口と二層へ続く階段。その二点を結ぶルート。比較的、素材が見つかりやすい場所など、とりあえず、ある程度の理解はできただろう。
区切りをつけたところで、ビスケットを齧り、水を飲む。やはり美味い。味を重視の保存食を買っておいて良かった。こういう時に備えて、常に買いだめしておいても良いかもしれない。いや、まあ、今のように夜中に活動することなど滅多にないだろうけど。
次は、スイへの手紙について考える。書くために必要な道具は朝以降に買うとして、今できる事としては文面についてだろう。どうしようか。よくよく考えると、手紙とかあまり書いたことが無かったな……季節の挨拶とかから始めるのだろうか?
ああ、でもこの世界の手紙の書き方とかそもそも知らないから、そういうのを書かない場合もあるのか? ん? あ、でも、一般的なマナーとかも近い気がするから、手紙の書き方も基本的には同じか……? いや、まあ、あんまり書いたことないから同じでも違っても俺にとっては変わらない気がするが……
一応、思いつく範囲で季節の挨拶めいた言葉を入れて、それから、やはり書くべきは、無事リデッサス遺跡街に到着したことだろう。たぶんスイもそれが知りたいはず。あとは最近の生活とか、遺跡に関してだろうか。
ああ、いや、スイ相手だし、一番大事なのは面白い話を添えることだろうか? いまいち面白い話っていうのが未だによく分からにが、まあ、自分が感じた範囲でそれっぽい話を…………あれ? あんまりないな。リデッサス遺跡街に来てからは、特に面白い話はないぞ。まあ、おかしな話でいいなら、某迷惑少女の探索者の事があるが、それは求められてはいない話のような気がする……たぶん。ああ、でも、スイは変な話とか嫌いではないタイプだし、他に書くことがなかったら書いてもいいか……?
うん。だいたい手紙の内容は決まってきたかな? あとは朝になったら書くための道具を揃えるとして、次はどうするか。もう夜のうちにやれることはあまりないぞ。また寝るか? 正直、ちょいちょいと頭の中が昨日のようになってしまいそうになっている。
つまり、リュドミラの事ばかり考えそうになっている。フラッシュバックというのだろうか。さっきから遺跡の地図や手紙の文面のことを考えている最中にも、瞬間的に、それでいて何度も、あの絶世の美少女の姿が頭によぎってしまう。美しく輝く銀色の長い髪、妖しく光る紫色の瞳、思い出そうとすればきりがない。そして、そこから、昨日のように思考と波が押し寄せて来る。先ほどまではやるべき事があったから、防げていたが、今はもうやれることが殆どない。
正直、今も、頭の中では彼女の姿がはっきりと映し出されているような気がする。昨日短時間会っただけなのに、なぜこんなにも鮮明に彼女の姿を憶えているのか。少し疑問だが、まあ、衝撃的な出来事は頭の中に深く残ったり、逆に全く残らなかったりするらしいし、こういう事もあるのだろう。
ああ、不味い不味い、また頭がリュドミラのことでいっぱいになる。もう寝よう。目を瞑ろう。そして明日、というかたぶん今日か。今日の朝に備えよう。
ベッドに横になろうとしたところで、ふと、さっきまで保存食を食べていた事を思い出す。食べた後、すぐ横になると牛になるって言うけど、どうしたものか。いや、まあなるとしたら牛じゃなくて逆流性食道炎とかだろうけど。うーん。まあ、一回でなったりはしないだろうし、今そんなに量は食べてないし、それに何より、今は頭がリュドミラで溢れそうな上に集中できる作業も無いし、ここは寝るのがベストな選択だろう。よし寝よう。
決意を新たにし、ベッドに横になる。そして目を瞑り、眠気を待った。