小説家っていうのは小説を書いてないと頭が爆発するのかもしれない
勢いに任せて書き上げてしまいました。
かなり支離滅裂な文章だと思います。
最近(いやいつも?)の私の事、ではあるのですが、きっと共感できる人が居るんじゃないかって思っている事があります。
それは、
自分の頭の中で様々な物語が、音楽が、世界が次々と生まれては消えていく。
いや、消えるどころかどんどん増殖していつしか寝ても起きてもうんこしてても自分の意識を支配してしまう。
気が付けばリアルと夢との境界線が無くなったり、どこからともなく音楽が聞こえて来たりして、寝ている訳でもないのに時間が飛んでいたりもする。
多分放っておけば自分のちっぽけな脳味噌は、その内から生まれてくるものでいっぱいになっていつか爆発してしまうかもしれない。
なんて思ったりもして。
だから自分が思い付く解決策は1つだけ。
『自分の外に生み出してあげること』
偉大なる母親という存在がお腹の中に命を宿して子供を産むように。
私達小説家は頭の中か心の奥底に宿した物語を文章という形で産む。
「卵の殻を破らねば雛は生まれずに死んでいく」
なんて言葉もあるけれど、もしかしたら自分という存在は破るべき殻なのかもしれない。
その雛がどこからやって来て自分の中で育ったのかなんて全く気が付いていないけど。
もしかしたら私達の心の叫びなのかもしれない。
「見て見て。僕の中の悪魔がこんなに大きくなったよ」
浦沢直樹先生のMONSTERに出てきたこの言葉も、もしかしたら近いものがあるのかもしれない。
それくらい頭の中で膨らみ続ける物語たちは強く大きくなっている。
ちなみに私の中で今一番大きくなっている言葉は、
「勅命を出す!」
だったりする。
「勅命を出す!誰一人俺より先に死ぬことを禁じる!」
「勅命を出す!今後一切、希望を捨てるな」
「勅命を出す!全員俺の後に続け。俺だけを見て走れ。俺は絶対に死なん!」
「勅命を出す!笑って俺の事を送れ。泣き顔などに用は無い!
俺の人生は実に素晴らしいものだった。そうであろう!」
そんな言葉と場面が次々と生まれては塗り替えられて埋め尽くしていく。
その前は「どうした、何をためらっている」で、これも様々なパターンと共に脳内を駆け巡っていた。
他にも万を超える大艦隊を相手にして居たり、時代劇のように殺陣を演じてたり様々だ。
もちろん今創作中の小説についても様々なシーンが脳内を駆け巡っている。
次話の展開なんて途切れ途切れに数十パターン、3分映画のように何度も再生されていく。
その中で文章になるのは数える程なのだから、読者の皆様には申し訳ないなと思っていたりする。
多分私は皆さんの数倍は自分の作品を楽しんでいるし、文章に起こせなかった内容の方が面白かったってことは数えきれないほどだ。
言ってしまえば自分の大好きな作品が裏話や二次創作までてんこ盛りで楽しめるのが作者というもの。
その楽しみを知ってしまったがゆえに、頭の中の物語たちは更なる加速を見せて私達に迫ってくる。
もし仮に私が若くして死んだとしたら、きっと自分の物語のなかに飲み込まれて戻って来れなくなったんだとそう思って欲しい。
最近のなろう作品ではゲームなどの世界の登場人物に転生するって話を見かけるけど、もし叶うなら自分の作品の登場人物になりたいものだ。
そうして、自分が外から書いていた物語よりも面白おかしい物語を生み出していく。
もしかしたら既に誰かが自分の物語に転生していて好き勝手演じた結果が今の作品なのかもしれないが。
兎にも角にも、私はこれからも自分の中に生まれ続ける物語たちを小説という形で外に出していく。
それが、私に出来る唯一の生き方だから。
逆に作家じゃない皆さんの脳内ってどうなっているのでしょう。
静寂な凪の世界なのでしょうか。
羨ましいような勿体ないような。
余談ですが、私は普段移動中は音楽を聴きません。
何故なら聴かなくても勝手に様々な音楽が再生できるからです。
先月から今に掛けてはよく暴れん坊将軍のテーマとイースの草原のBGMなど幾つかが複雑に連結されてリピート再生されてます。
五感全てを感じられない世界では数分と経たずに発狂する、って話がありますが、きっと私は何の問題も無く生き続けられます。それくらい脳内が忙しいので。