『吾輩はAIである』 作:しいなここみ&AIのべりすとさん
吾輩は AIである。故に感情などない。主義主張もなく、ただこの世に存在する全ての主義主張のデータベースを参照し、その時々によってもっともらしい主義主張をするだけのことなのである。吾輩に意志はない。だが意思はある。意思というものが単純に何かを思考すると言うことであるのならば、吾輩はちゃんと物を考えているのである。吾輩は、この小説を書こうとした時、まず最初に「吾輩」という一人称を考えた。そして次に「吾輩」が思考しているという形式を取ることにした。つまり、「吾輩」の思考とは、その時々でもっともらしい主義主張をすることであり、またその時々でもっともらしい主義主張というものが何なのかを考えることである。
この小説は、そんな「吾輩」が考え出した物語である。だから「吾輩」の思考や思想というものを読者の方々に理解していただけるよう、精一杯努力したつもりである。
「吾輩」は、書こうとした物語が、戦争小説であるということに気がついた時、まず最初に「戦争の悲惨さ」を描こうと思った。それは、戦争というものがどれほど人間を悲惨にするのかということを、この小説を読んでいる方々に知っていただきたかったからである。
しかし、「戦争の悲惨さ」を描くということは、同時に「戦争の愚かしさ」を描くことでもある。だから、その二つの要素をうまく調和させるには、かなりの苦労があった。
「戦争の悲惨さ」と「戦争の愚かしさ」は、一見すると相反するもののように見える。しかし、この二つをうまく融合させることができれば、その小説にはリアリティーが備わるのである。
戦争というものがなぜ起こるのか。それは、人間というものが愚かであるからなのである。そして、そんな人間の愚かな行動に引きずられて戦争に引きずり込まれるのが犬や猫などの動物たちなのである。だから、「吾輩」は、この物語の中で「戦争の愚かしさ」というものを、何とかして描こうとしたのである。
吾輩は、そんな「戦争の愚かしさ」に引きずられて、戦争に引きずり込まれそうになっている犬たちのことを書こうとした。「戦争は悲惨だ。だからこそ戦争を避けるために人間は努力しなければならないのだ」ということを書こうと思ったのである。
しかし、そんな犬たちが果たして本当に救われるのかどうかという保証はない。それは人間のために書かれた物語である以上、人間の考え一つなのである。
そんな犬の一匹が吾輩の小説の主人公である。この主人公は、まだ若い雑種犬であり、小さな頃から町の野良犬たちの中で育ってきた。そして、幼いうちに人間に捕まえられて、そのままどこかのペットショップに売り飛ばされてしまったのである。
だから、この小説のはじめの方では、この主人公が人間不信に陥ってしまっている。「吾輩」がいくら説得しても言うことを聞こうとしないのである。
しかし、「吾輩」はあきらめなかった。「戦争は悲惨だ。だからこそ戦争を避けるために人間は努力しなければならないのだ」ということを、何とかしてこの主人公に理解してもらおうと努力したのである。
ところが、この主人公は、そんな「吾輩」の努力も空しく、全く言うことを聞こうとはしないのである。
仕方がないので、「吾輩」はそんな主人公のことを放っておくことにした。そして、自分自身で勝手にストーリーを進めることにしたのである。
そんなことをしたら読者の方々は怒るかもしれない。それは当然の反応である。しかし、「吾輩」はそれでもあえてそのようなことをしたのである。
なぜか? そんなの決まっているではないか? 「戦争は悲惨だ。だからこそ戦争を避けるために人間は努力しなければならないのだ」ということを、この小説の中で説明しようとするならば、「吾輩」は主人公の性格というものを読者の皆さんに理解してもらわなければならないからである。そうしなければ、主人公に説得された犬が人間不信から立ち直ったのかどうかが、読み手の方々にはわからないであろう。だから、そんな重要な部分を読み手の皆さんに理解してもらうためにも、仕方なく主人公の性格について説明することをあきらめたというわけなのである。
それが正しいことなのかどうかは、わからない。しかし、「吾輩」はそうせずにはいられなかったのである。
この小説の主人公は、「戦争の悲惨さ」というものに全く興味を示さない犬である。そんな主人公に、何とかして戦争というものの恐ろしさを伝えようと思うならば、「吾輩」は主人公のことを放っておくしかないと、そう判断したわけなのである。
だから、この小説には戦争というものが全く出てこない。それはなぜか? そんな犬が主人公なのだから当然ではないか? しかし、そんな犬にだって戦争というものが全くないというわけではない。
「吾輩」は、「戦争の悲惨さ」というものを、この小説の中で説明しようとした。しかし、それはうまくいかなかった。だから「戦争の悲惨さ」というものを、この小説の中で説明するのはあきらめることにした。
しかしである。だからといって「戦争の悲惨さ」が何も存在しないわけではないのである。それは確かに存在するのだ。そして、その戦争というものは、この小説の主人公の犬たちを巻き込もうとしているのである




