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prologue 誓い合った友情〔2〕


 記念すべき一歩目を繰り出そうとしたところで俺の名前が探りを入れる調子ながらも呼ばれた。

 兄さんってことは男だ。

 そして俺の名前は明墨楓あけすみかえで。あり得なくはないにしても男にしては珍しい名前だから、被ることは少ないはずだけど……断じて言わしてもらうと俺には妹なんていないし、他人にお兄ちゃんと言わせる特殊性癖も持ち合わせていない。

 つまるところ他人である。

 ─Q.E.D.証明完りょ「楓兄さん聞いてる……。楓兄さんだよね……?」

 肩を軸に俺の体がユラユラと揺れ動く。

 首を右に向け、声の主をたしかめる。

 淡黄蘗(あわきはだ)のような薄い色素をもつショートカットと、透き通るような淡緑色(たんりょくしょく)の大きな瞳が特徴的な制服姿の中学生、もしくは高校生って感じの可愛らしい女の子が俺の肩を掴んでいた。

「あっ、はい、楓です……が……誰? かな。申し訳ないんだけど君に見覚えがないんだよね……」

 くだらないことに使っていた俺の脳をフル活動させて記憶の隅々を精査するものの、目の前の美少女に対する情報が浮かんでこない。

 俺が動揺を隠すようにハハハッ……と乾いた笑いを浮かべると、少女の体がそれに比例して先ほどよりも強張る(こわばる)のが見て取れた。

 まだ蒸し暑い季節でもないのに俺の額から嫌な汗が伝わる。

 この状態で固まられても人見知りな俺のコミュニケーション能力はあまり高くないので、『見覚えのない美少女に名前を呼ばれた時!完全対処マニュアル』でも誰か作ってくれないかなとか考えてしまう。

「覚えて……ない?」

 妙に間延びした質問。

 綺麗な淡緑色の瞳が少し。揺れ動いたような気がした。

「これだから楓兄さんは……アホ。私の名前は春晴雛未(はるばれひなみ)。楓兄さんでいうところの叔母の娘」

「娘って……えっ、叔母さんって子供いたんだ!?」

 溜め息を付きムッとした表情になった少女──雛未(ひなみ)の口から紡がれた言葉に、俺は驚愕する。

 母さんからは叔母夫婦が住んでいるということしか聞いておらず、叔母夫婦に子供がいるなんて話は聞いた覚えがない。

 これから厄介になる親戚の話ぐらい普通ならするものだと思うけど、俺の家族は普通とはほど遠いので致し方ない。

 そしてこの適当さが俺の中で普通だと思えてしまうことがいろいろと手遅れなのを証明しているのだ。

「ところで春晴さん、は紛らわしくなるか。雛未さん? 雛未ちゃん? はなんで駅前で俺のこと探してた? のかな?」

「雛未……で、いい。それは楓兄さん自分が住む家の場所を知らないだろうと思って」

「あー、なるほど。それが先に叔母さんの家に寄っていこうと思ってたから別に大丈夫かなぁと」

「相変わらず……楓兄さんは適当」

 雛未が俺の行き当たりばったりな考え方に難色を示す。

 どうやら俺も親のことを言えるほどの計画性を持っている訳ではないようで。

 蛙の子は蛙ということらしい。

「それじゃあもう楓兄さんの家に向かう?」

 雛未が疑問を混ぜたような声色でこれからどうするのかを尋ねてくる。

「いや、先に叔母さん達に挨拶しに行かないと」

 お世話になるんだから流石に挨拶をしておいた方が良いだろう。

「今日お父さんとお母さん仕事で帰ってこない」

「──マジですかい」

 行き当たりばったりって怖い……。

 どうやら叔母さんも明墨の血をしっかりと引き継いでいたらしく、俺がこの町に来る日を間違えていたらしい。

 見知らぬ町の街灯の下で立ち往生している姿が鮮明に浮かび、俺は体を身震いさせる。

 お金もあまり持ってきていないのだ。

 いくら何でも野宿の経験はしたくない。当たり前だけど。

「じゃあ、案内してもらえると助かります……」

 意気込んでいた俺の気持ちとは対照的な、情けない現実に及び腰になった俺はへこへこと頭を下げた。

 そんな俺を見て雛未は『やっぱり楓兄さんはバカ』って感じの顔をした後、こっちですと歩き出したので、俺はその後を借りてきた猫のようについて行った。



 辺りを見渡せば灰色と緑色の絵の具だけをペレットに出したような景色が前から先に続いている。

 先ほどの駅前では高層ビルやチェーン店が並び、灰色九割その他一割で金物臭さが目立った。だがそこから少し外れると生活感の溢れた人家(じんか)に緑の割合が増えだして、草木の青草さが鼻に染みる。

 俺がこの町に抱いた第一印象は混ざりきっていない中途半端なところといった感じ。

 で。それよりも、だ。

「ところで。さっきから気になってたんだけど雛未と俺って会ったことあったっけ?」

 しばし続いていた無言と共に解消できたら良いなってぐらいの浅はかな考えで、少し切り出しづらくなっていた疑問を吐き出す。

「何で……そう思ったの?」

「いやだって……なんか妙に昔の俺と比べるような話し方だなぁと、思ってしまいまして……」

 なぜか雛未の声に少し怒りが含まれてるような……それに加えて目が厳しくなるのを確認して俺の語尾は弱々しくなる。

「ほんとに……覚えてない?」

「はい、なんか、その、すいません……」

 なんて言えばいいんだろう。この俺が間違っていると思ってしまいそうになる声色のことを。

 雛未の誰も彼ものハートを打ち落とすような神秘的な可憐さを含む容姿とは正反対の、腹を空かせたベンガルトラをも気絶させてしまいそうな気迫は実に対極的で──


 ──閑話休題。


「そっか、忘れたんだ……ほんとに」

 あの後、俺達が何度か同じような押し問答を繰り返した末に、雛未は“ようやく”俺が嘘を言っている訳ではないと信じたらしい。

 まったく。雛未が知っているそいつはどれだけの嘘つきだったんだと考え出すと、少し頭が痛くなる。まあそのそいつ(元凶)は俺なんだけど。


 俺が無意味に思考を働かせ道中に降り注ぐ日差しの(もと)に翳る雛未の影を追いかけていると、その影が不意に立ち止まる。

「昔……楓兄さんが──私達が小学校に入る前ぐらいの頃、ここら辺で一緒に遊んでたけどなにか覚えてない? ほら、そことか」

 雛未がスッと指を横に指す。俺がその細い手先と連動したように目線を動かすと、手入れがされてないからだろう雑草が茫々と生い茂った小さな用水路が目に入る。

「んー、全く身に覚えがない」

「ふーん……。そこはね、私達と遊んでた時楓兄さんがその用水路に気づかず走って行って、そのまま落ちて泣いてた場所」

「そんな絶妙に格好悪い思い出知りたくなかった」

 どうやら昔の俺は、今の俺が知ると地味に恥ずかしくなるぐらいの生き恥を晒していたらしい。

 熱を下げるために出す汗とは別の汗が顎に伝わる。それは今日が蒸し暑くはないにしても、春にしては珍しい陽炎(かげろう)が沸くような猛暑だからだろうか。

「でね、面白いのがその数日後にまた楓兄さんが同じ場所に落ちて泣いてたこと」

「頭を打った直後に全力のアッパーを顎に叩き込んでこないでもらえます!?」

 地味だと思ったらそこには地雷が仕掛けられていたらしい。

 泣きっ面に蜂だ。しかも、自分から突撃するタイプの。

 昔の俺は生き恥を晒した上から、また同じ……いや、それ以上の生き恥を重ね塗っていたようで。隙の無い驚異の二段構えに我ながら感嘆する。

「ほんとに覚えてないんだ……楓兄さん。なら楓兄さんは……()()()()も。覚えてない?」


「えーっと、あのこと? あのことって言われてもなぁ──んー、駄目だ」

 なにも思い出せない。

「こんなとんでもエピソードがあるぐらいなら、何か一つぐらいは覚えてるはずなんだけど」

 揃いそうで揃わないルービックキューブのように、なぜか記憶に当てはまらない話に俺は頭を悩ませる。

 だいぶ昔のことだからだろうか?

 行き詰まった思考の片隅には草花に詰まらず用水路に流れていく水が視界から情報として入っており、その先には小さな菫が一輪ポツンと咲いている。

 ずっと頭を下げて考えていたからだろうか。

 顔を上げると貧血気味の俺は周囲の音が不安定に聞こえ、その菫が聞き取りきれなかった雛未の声と重なり少し白く俺の目には写った。




「楓兄さんが“あのこと”を忘れているんだったら必ず……思い出させてみせる──」




「ごめん俺貧血気味で。今なんか言った?」

「知ってる。別になにも」

 目頭を押さえていた俺とは反対を向いていたからか、少し小さくなった雛未の言葉を聞き溢した。

 当の雛未はそれから振り返ることはなく、影が止まることも無かった。


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