糸引き雨
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ぎゃああ! つべてえ! つぶらや、早く風呂、風呂沸かしてくれ!
もう沸いてる? 準備がいいな、おい。とにかくタオル一枚あればいい。着替えはそこらへんにかけてるやつ、適当に持ってきてくれ。
くっそー、急に降ってきやがって……午後までは大丈夫じゃなかったのかよ、まったく。
急な雨ほど、厄介なもんはねえよな。濡れる、ぬかるむ、風邪をひく。よくない、よくないのないないづくしだ。
雨のうっとうしさは、ビジネスの場面でも引き合いに出される。あの「お足元の悪い中……」って言い回しだ。ご足労くださったありがたさを、表現するために使われるな。
だがこの「足元の悪さ」。俺たちがイメージしているより、もっと大きいものが関わっている可能性があるらしい。俺の友達が地元で体験したって話だが、聞いてみないか?
急に降る、脚の早い雨のことを、友達の地元では「糸引き雨」と呼んでいるらしい。
雨粒ひとつひとつ、注意深く見ると、とてつもなく身体が長い時があるという。重力に引かれ、薄く薄く引き伸ばされた……それだけでは説明のつかないほどに。
この手の雨が降っているうえに、足元にさえねばつく感触があると、更にまずい。まるでよく粘るガムを踏みつけたかのような感覚に、歩みが鈍り始める。そうなると、いよいよ糸引き雨が深刻になってきていることの、証なのだという。
けれども、怖がることはない。この世にとって必要なことなのだから、と。
当時、子供だった友達には面白い現象に思えた。
長靴を履いて、水たまりの水をかけあう楽しみはあったものの、それだけだとワンパターンで飽きてきていたところだ。
一日中のざあざあ降りでは、糸引き雨に出会うことができない。友達は雨の日より、むしろ晴れの日を待ち望み、いきなりの雨を期待し続けていたらしいんだ。
そしてそれは、ただの通り雨にあらず。雨粒の観察にも、細心の注意を払っていかねばいけないものだった。
それから1年近く、糸引き雨に出会うことはなく、友達もしばしば関心を別のことへ引っ張られ、頭から抜けていることがあったそうだ。
でも、たまたま足を運んだラーメン屋の帰り道。友達は思わぬ雨降りに襲われた。
店に入るときまでは、雲は多少あったものの、空は明るかったし、食べ終わるまでは持つと思っていた。ところがいざ、食べ終わったときにはぽつりぽつりと、つむじを叩く雨粒が降り落ち始めていた。
家まで20分近くあるが、その10分の1も過ぎないうちに、雨はどんどん強くなる。服もズボンもたちまち水を吸って、一足ごとにいやな音を立てる。
友達は舌打ちしつつ、先を急いだ。傘やカッパのたぐいは持っていない。自然、歩みは早くなるものの、どこかおかしい。
地面につけた足を引き上げるたび、「ガッポン、ガッポン」と音を立てながら、強く靴裏を引っ張ってくる力がある。道を変えてもそれは変わらず、靴裏を確かめてもガムなどがひっついている様子はない。
このとき、友達はまだ糸引き雨のことを、思い出してはいなかった。通りかかった車屋の前、買い物を終えたらしい車が出てくるところ、店員に手で制されて少しいら立っている。感謝の言葉とともに頭を下げられても、そいつは形の上でのこと。店員にとって何百回と下げてきたおじぎの、一回に過ぎない。ようは本当の「ありがたみ」なんぞないんだ。
そう考えだすと、強まっていく雨脚も相まって、いらいらが頭の中へ募っていく。すでに足元からの音、ぐっちょん、ばっちょんと冗談のように大きいもので、帰ってからの靴の手入れを思い、舌打ちが出てくる。
やがて交差点に差し掛かった。家の手前では最後かつ最大のもの。そして待たされる時間も、また最長。信号が見えているところで赤に変わってしまい、思わず地団駄を踏みかける。
このわずかな時間で、すでに道路の端々は水をたたえていた。つい先ほどなど、走ってきたトラックに思い切り水はねを食らってしまう。
ただでさえ重ささえ感じるほど水を吸った服に、さらに新しい冷えが付け足され、大きいくしゃみをひとつ。体をぶるぶるふるわせながら、足踏みしかけて……できなかった。
地面に吸い付く力は、ますます強く。足の甲に力を入れないと、引きはがすことさえ難しかったらしい。
――じっとしていたら、ますます動けなくなるんじゃ。
前髪からもぼたぼたと雨水をたらしつつ、ももを高くあげるようにして、足踏みを始める友達。
ぎっちゃん、ばっちゃん、ずっちゃん……。
強まる雨の勢い、湿った靴の中と足の裏が成すハーモニー。これまでにないほど濁った水音が、しきりに靴裏から出てきた。
しかも足を持ち上げるたび、靴から滝のように雨が流れ落ちていく。ざああ、と音が出そうなコンパクトナイアガラは、靴から離れまいとする地面の未練をにじませるように、糸ではなく「面」を引いて、靴を軸に水の幕を形作っている……。
そうして足をばちゃんと、つけたとたん。
ざあざあ降りの雨が、にわかに止んだ。ほぼ同時に、足をつけた地面から一瞬だけ。青空を思わせる水色のじゅうたんが広がったかと思うと、わっと友たちに向かってきた。
身構えたときには、もう青が通り越して、元のアスファルトの、黒ずんだ色に戻っている。そして友達の頭上には、ほんのわずかだけ、雲がぽっかりと穴を開けて、いま見た水色とおなじ色をした青空が、かすかにのぞいていたのだとか。
それから家へ戻るまでのわずかな間で、雨の気配はもはや、濡れたからだと道路や車たち、屋根の上などに残る、水たまりたちだけだった。
対する空は、これまでの雲の立ち込め具合がうそのように晴れ渡っている。その変わりようはまるで、紡いだ生地を上からすっぽりかぶせたかのように、思えるほどだったとか。