異世界転生レベル999の世界最強魔術師が神話級最強即死スキルで空前絶後の最強ハーレム無双~没落貴族勇者の恋人は世界最強チートスキル持ちの悪役令嬢!?~
小説俳優。それが俺の仕事だ。
諸君らには聞き慣れない言葉だと思うが、小説に登場する人物たちは作者――企画立案および執筆作業を行う人間の脳内で生みだされた演者にすぎない。作者が地の文を描写し、俳優が脚本を演じる形で小説は成立している。そのプロセスは現実世界における映画の撮影と変わりない。唯一違うのは現実の俳優がプロダクションに所属するのに対して、小説俳優はひとりの作者に専属する点だ。
俺は芸歴二十五年。創造主である作者が十歳のころから、彼の小説に出演してきた。
はじめて主演した作品を今でもよく覚えている。
ホームズの稚拙なパスティーシュで、自由帳につらつらと書かれた冒険譚だった。子供らしい単純な勧善懲悪ものだったが、処女作が両親の称賛を浴びた彼はひどく喜び、それがきっかけで作家を志すようになった。なぜか東洋人のホームズ役として生みだされた俺は、そのあとも作者が原稿用紙に描きだす世界を奔放に生きた。あるときは正義の科学者、あるときは泥棒紳士と役柄を変えて、作者とともに成長を重ねてきたのだ。当然、作者の嗜好が変化すれば出演する小説のジャンルも異なる。彼が十代のころは児童文学や探偵小説が中心だったが、二十代後半になると純文学へと仕事の場が移った。近年では、もっぱら古典作品を模した男色小説がメインである。
模糊とした空間に、漠然と物語のイメージが形作られていく。
俺は創作前のまっ白な部屋――俳優たちは控え室と呼んでいる――で煙草を吹かしながら、作者が最初の一文を書きはじめるのを待っていた。この作者は冒頭に情景描写を配置する癖があるので、役者の出番はしばらく先だろう。マネージャーから聞いた話では、今回の作品は大正時代を舞台にした悲恋小説になる予定だ。
しばらくすると、控え室にディレクターが現れた。
小説創作の現場におけるディレクターとは、作者と小説俳優たちを媒介し、劇中での具体的な行動を指示する役職を指す。三十代前半、無精髭を生やしたその姿は、現実の作者本人を反映しているようだ。
「おはようございます」
「おはよう」
俺たちの存在する空間に時間の概念はない。作者が朝と書けば朝になり、夜と書けば夜になる。ゆえに、まだ一行も書かれていない小説世界の挨拶は「おはようございます」で統一されているのだった。現実世界の撮影現場においても、挨拶には同様の慣習があると聞く。
「この前のよかったですよ。『上海悲哀』でしたっけ。日本総領事の役で出演された小説」
「ありがとう」自分の主演作品が褒められるのは気持ちがいい。「『上海悲哀』は谷崎文学とフィッツジェラルドの邂逅を目指して書かれた実験作なんだ。俺が演じた室井領事は『刺墨』の清吉をモチーフに創作された人物でね。俺は役作りでレッドフォードの映画を参考にしたのさ」
「へぇ……」どうでもよさそうに相槌を打つ。
こいつ読んでないな、と思いながら俺は愛想笑いを浮かべた。
「ところで、今作の進捗はどうだ?」
「難航してるみたいですよ」
最低限の台本(俗にプロットと呼ばれる)は完成しているが、まだ具体的な出来事が練られていないという。かなり苦心しているのか、登場人物の配役すら終えていないそうだ。
「これから冒頭を撮影して、毎日三四千字のペースで執筆する予定です」
「あの、なんとかってサイトに投稿するのか?」
「そのつもりだと思いますよ」
小説撮影の形態も以前に比べてずいぶんと変わってしまった。かつては原稿用紙に手書きが当たり前だったが、現代ではパソコンを用いた執筆が主流である。作家志望者のための創作サイトも巷に溢れ、投稿された作品に対してリアルタイムで読者の反応が返ってくる仕組みになっていた。これも時代の流れだろう。
「それじゃあ、今日は俺の出番がないのか」
「なんとも言えませんね」ディレクターは冊子を差しだした。「これが台本です」
受け取った冊子に視線をやる。表紙には大きな黒字で『異世界転生レベル999の世界最強魔術師が神話級最強即死スキルで空前絶後の最強ハーレム無双~没落貴族勇者の恋人は世界最強チートスキル持ちの悪役令嬢!?~』と書かれていた。
なんだこれは。思わず二度見する。
「ちょっと……話が違うんじゃないか?」
煙草を片手に、俺はディレクターに詰めよった。
「今回は三島由紀夫の『禁色』に影響を受けた男色文学に出演するはずだろう。大正初期が舞台で、侯爵に叙された華族の役だと聞いていたが」
「ウケが悪いから作風を変更したんですよ」
ディレクターはあっけらかんと答えた。
「そんな小難しいもの書いたって、今どき誰も読みませんからね。『上海悲哀』のアクセス数は三人だったでしょ。その前の、ええと……『諦観』でしたっけ?」
埴谷雄高と大西巨人の傑作から着想を得た、二千枚を超える意欲作だった。
「あれアクセス数〇ですよ。ゴミじゃないっスか」
「なんということを言うんだッ!」
作者はあの小説を完成させるために五年を費やしたのだ。
当然、主演の俺も与えられた役をこなすべく砕心した。それをゴミなどと罵倒されては黙っていられない。しかし、ディレクターは意に介さず続けた。
「賞レースのほうも落選続きでね。必死こいて純文学なんか書きあげるより、ネット小説で流行に乗るほうが賢明だと判断したそうです。三十代で一文なしの独身男が、誰にも読まれない小説書いてるなんてバカらしいですよ。もう一回言いましょうか? バカですよ、バカ」
「わかった、わかった。俺が悪かった」
もうどうでもいい、という気分になっていた。
「……この台本通りに演じればいんだろ」
俺は冊子をめくった。やけに分厚いが、どこのページも密度が薄く無意味に改行されていた。ログラインを確認すると「異世界の没落貴族に転生したレベル999の最強魔術師が神話級最強即死スキルを駆使して世界最強チートスキル持ちの悪役令嬢と恋に落ちる話」と書かれていた。どうすればいい。なにも伝わってこない。
「結局のところ、最強なのは魔術師なのか悪役令嬢なのか、どっちなんだ」
「知りませんよ」
「そもそも悪役令嬢とはなんだ。マノン・レスコーみたいなものか」
「知らないって言ってるでしょ」
「魔術師というからには、モームへの敬意に満ちた作品なんだろうな。オリヴァー・ハドゥーを演じるのならばオカルティズム哲学に精通していなくては」
うるせぇな、とディレクターが小声で呟く。
俺は頭を掻きむしり、二本目の煙草に火をつけた。
「無理だ……これは俺向けの小説じゃない」
まず、異世界がなにかわからない。中つ国のことか? 台本には『中世ヨーロッパ風』とだけ書かれている。風ってなんだ。範囲が広すぎるだろ。
「まぁ、そう落ちこまないでくださいよ」困惑する俺の肩に手を置き、ディレクターが言った。「こんな流行の寄せ集めみたいな小説、どうせ誰も読みませんって。金にならなきゃ作者も目を覚まして打ち切りにするんですから。また三島由紀夫のパロディでも書いてもらえばいいんです」
「……続いたらどうする」
「はぁ」ディレクターが首をかしげる。
「この作品が書き続けられたら、俺はどうなるんだ?」
「つまり、作者が死ぬまでってことですか」
ヘンリー・ダーガーじゃあるまいし、と彼は笑った。
笑いごとではない。一度執筆がはじまれば、小説俳優はその役柄に没入しなければならないのだ。現実世界の俳優のように、私生活を満喫することも他の仕事を引き受けることもできない。もし作者が一生書き続けたら、俺はレベル999の異世界転生最強魔術師とやらのまま生涯を終えなければならない。
脳内から消されるほうがマシだ。
さすがに気の毒に思えたのか、ディレクターが心配そうに俺の顔を覗きこんだ。
「そこまで悲観しなくても大丈夫ですよ」
「どういうことだ」
「ちょっと考えたんですけどね」と言って、台本をパラパラとめくりはじめる。物語の梗概が書かれたページはほとんど白紙。舞台設定や時代背景も記されていなかった。「ほら、まだ作者はタイトル以外なにも決めてないんです」
「だからなんだ?」
「つまり、登場人物が個々の主体性を持って行動する余地が、この作品には残されているんですよ」
あらゆる形態の創作、とりわけ小説や漫画の類では作者の意図を離れて物語が展開することがある。この現象を「キャラクターが勝手に動きだす」と表現する者もいるが、そこには俳優たちの自由意志が作用しているのだ。現実世界の映画撮影でも、役者のアドリブによって脚本が変更されることは珍しくない。
事前に組みたてられたプロットが抽象的であるほど、こうした現象が発生しやすくなる。幸か不幸か、この作品の設計はきわめて曖昧であった。というより、無に等しかった。
「ほら、章立てすら白紙じゃないですか。ひどいな。三幕構成の要所要所に『ヒロインと出会う』とか『ダンジョン探索』とか書いてあるだけで、やる気の欠片も見当たりませんよ」
「そうは言ってもなぁ……」
俺は葛藤した。いくら小説の内容が気に入らないといっても、独断で即興演劇めいたことをはじめれば他の共演者たちに迷惑をかけることになりかねない。主演俳優が乱心し、小説一本が丸々没になったりしたら末代まで笑われる。作者が早々に執筆を放棄するよう期待して、適当にやり過ごすのが賢明というものだ。今までだって、不服な役を与えられたときはそうしてきた。今回もそうすべきだ。
台本に視線を落とした。表紙の文字が濡れ、わずかに滲んでいる。
俺の涙ではない。もちろんディレクターでもない。
――これは作者の涙なのだ。
身内からは「いい年して小説なんか」とバカにされ、友人知人からは仕事もできない落伍者の烙印を押され、一心不乱に書き続けてきた純文学さえも放棄せざるを得なかった、哀れな男の涙なのだ。彼は自尊心をかなぐり捨て、身を切られる思いでタイトルをつけたに違いない。そんな男の決断を誰が責められようか?
俺は目を閉じ、かつて自由帳の上で繰り広げられたホームズの冒険を思い起こしていた。あのころは楽しかった。物を書く行為とは、書かれる者への純然たる愛撫に他ならなかった。
いつしか物書きの本質を見失っていたのは、作者だけではないのかもしれない。俺自身、小説への出演を重ねるごとに自尊心ばかりが肥大化し、この作品に対しても「流行の幼稚な二番煎じ」と頭から切り捨てていたことは否めなかった。それは小説に対する裏切りではないだろうか。
俺は台本を見つめながら、己の内に小さな鼓動を聞いた。
虚構の身体から発せられた、決意の鐘だった。
「あ、そろそろ一行目の撮影に入りますよ!」
キーボードに上を右往左往していた作者の指が、最初のシーンを書くために動きはじめた。控室の外に浮かんでいた物語のイメージは凝固し、一切が言葉とイメージによって着色されていく。
俺は煙草を灰皿に押しつけ、席を立った。
控室の外に出れば、そこにいるのは「俺」ではない。
異世界の没落貴族に転生した、レベル999の最強魔術師なのだ。
〈完〉