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   国吉轍・2


 歩とは定休日の夜に夕飯を食べにいくことにした。休暇をとって戻ってきているから、平日でもいいと歩が言ったためだ。

 赤坂に美味しい店があるから行きたい、と歩が場所を決め、俺は言われるままついていく。この辺りは慧一が少し詳しいが、俺は全くの門外漢だった。パティスリーだと、駅から十分ほど歩いたところにシュークリームが絶品の店がある。夕食後にはもう閉まっているだろうから、それが残念だ。

 慧一のミッションをどう遂行するか、考えて唸る。笑顔で頬張る姿を想像すると、美味しいと自信を持てるものを土産にしたい。

 家族の話題を避ける時、慧一はいつも涼しい顔で微笑む。言葉の端、仕草の端、喧嘩をした時の文句や怒り方。今まで一緒にいて、城家に大きな問題があるようには思わなかった。だから、あまりこちらがこだわりすぎないようにしている。頼り頼られでは片付けられない感情もあるだろう。

 それならば、慧一が茶化して要求した『甘いもの』を完璧に持ち帰りたい。美味しい、と二人で食べて、まっさらに塗り潰してしまいたい。


「ここ、ここ。東京(こっち)の友達が薦めてくれたんだ」

 歩が案内したのは、バーや料亭が並ぶ通りにあるスペイン料理屋だった。白と黒の床、アンティーク調のテーブルと椅子がシックな雰囲気を醸しだしている。せっかくだからとワインを選び、本日のおすすめから気になったメニューを頼んだ。

「お店、結構売れてるの?」

「そうだな。右肩上がりには」

「まーた、お金のことは城さんに任せてるんでしょ」

 きっちり数値を求める歩に比べて、俺はどんぶり勘定であることが多く、全体的にプラスならばいい、と考えがちだった。慧一は高校生の頃から俺のことをわかっているから半ば諦めているが、外注で頼んでいる会計士には苦笑いをされる。フルーツサンドに対する細かい調整能力を何故使えないのかと。

 確かに、このままではよくないだろう。それぞれの役割というものはあれど『できる人がする』では回らなくなる時がある。それを俺は春から見てきた。

「最近はちゃんと俺もやっている。もちろん、美味しいと食べてもらえれば、それが一番だが」

 歩は呆れつつ、ワインを一口飲んで唇を丸く持ち上げる。

「本当に好きなんだね、今の仕事」

 高校生の頃は調理部に所属し、家でもずっと台所を占拠していたので、歩や両親は今の仕事に文句を言わない。進学の際は少々もめたが、開業計画や将来設計を話し合うと応援してくれるようになった。

「そうだな。歩は今どうなんだ?」

 大阪にある研究所に転勤して一年。たまに実家には顔を出しているようだが、俺は正月ぶりに再会した。力になれることは少ないが、仕事のことで思い悩んでいるのなら相談に乗るつもりだ。

「あー、うん……多少はあるけど、それなりに……」

 上の空とでもいうように、中身のない声が言葉を切る。

 言い淀むように口が歪んだ後、歩は大きく息を吸って呟いた。


「……あの、さ。結婚しよっかなって、思ってるんだよね」

 ああ、それで東京に帰ってきたのか、と俺はどこかで納得した。仲が悪いわけではなかったが、二人で夕飯を食べようという辺りで小さな予感はしていた。

「……おめでとう」

 まずは祝福だ。胸にぽっかりと穴が開いた気分だが、歩の勇気を称えなくては。相手のことが気になる一方、あまり聞きたくないとも思う。いちいちケチをつけたくなるかもしれない。完璧すぎて嫉妬するかもしれない。

 俺の一言目に、歩は「ありがとう」と俯き気味に返した。

「まだお父さんたちには言ってないんだ。ちょっと、言いづらくて」

「何かあるのか?」

「大学の頃の友達で、関西の人なんだ。だから、向こうに住むことになると思うんだよね。ほら、まだ介護とかないけど、いずれはそういうの出てくるし」

 六十手前で大病もなく元気に過ごしている両親だが、そのうち子どもが面倒を見る年齢になるだろう。その時に自分だけ離れた場所にいることを、歩は心配しているのだ。

「それは俺が気にしておく」

 時間や労力はとられるが、それを歩に課すのもおかしなことだろう。どちらがしなくてはならないというものではない。俺ができる環境にいるのなら、やることは必然だ。

「いや、そうすると、さ……」

 今日の歩は随分と歯切れが悪い。いつもはハキハキしていて、すぐに黙りこむ俺に鋭いつっこみを入れてくるのだが、それがなかった。

「ほら、わたしが結婚するとさ、お兄ちゃんも結婚まだかー、って言われそうじゃん。家と距離近くなるとさ、特に」

「そうだな」

 確かに、と俺は頷き、ワインを飲む。

 歩が結婚して家庭を持てば、俺も同じようにすることを両親は望むだろう。その時には自分と慧一のことを話そうとは思っていた。それが、うまくいくかはわからないが。いつまでも言わずにいられないことは知っている。一生言わないことを続けられる性格でもない。


「それで遠慮するものじゃないだろう」

「うん……」

 気を遣ってくれたことを感謝しつつ、表情の晴れない歩を見ていると料理が運ばれてきた。

「いただきます」

 一度話はストップし、色鮮やかな夏野菜に俺たちは意識を奪われた。

 気が強くてワガママを口にしやすい歩だが、変なところでいつも俺に遠慮する。怖がらせているのではないかと少々不安になったが、そうではないらしい。

 昔は、俺のことなど考えない無茶な要求をしてきた。

「にいちゃぁ」

 おぼつかない小さな足が追いかけてくる。その度に立ち止まった。伸ばされた手を取り、連れて歩いたことを思い出す。

 チク、と喉元に小さな痛みが走った。皿を見る。魚の骨や硬い葉はない。

「美味しい~」

 対面に座る歩が、とろけた表情で微笑む。

 こういう心底幸せだという顔が、俺は好きだ。自分の行いで周りをその顔にできるのなら、それほどの幸福はない。

 喉元の痛みはすぐにどこかへ行ってしまったが、それは胸のどこかに、ずっと引っかかったままだった。

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