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   国吉轍・1


『日々果』から自宅に帰ると、こもった熱気が充満している。リビングダイニングのドアを開けると、西日の熱で蒸された空気に息苦しさをおぼえた。ベランダに続く窓を開け、夜の涼しい空気を部屋に入れこむ。

 俺が扇風機のスイッチをつけると、郵便物を手に慧一がリビングダイニングに入ってきた。

「轍、実家からきてるぞ」

 実家から?

 心当たりがない。

 怪訝に思いながら手を差し出すと、そこに慧一が置いたのは『国吉 轍 様』と印字されたハガキだった。母親のやけに達筆な字で、転送先であるこの住所が書かれている。

 内容を確認する。『澄花第一小学校 第五十四期 六年二組 同窓会のお知らせ』という文字を見て、無意識に心臓が高鳴った。高校のクラス会は社会人二年目の頃にあり、中学校のクラスは率先して行うような人物がいないため開かれていない。小学校の同窓会は俺も慧一も今までに経験がなく、半ば都市伝説のように思っていた。

 幹事の名前には見覚えがある。浮かんだのは、終礼の司会をする少し背の低い優等生の姿だった。中学校受験で私立に受かって同じ中学には行かなかったが、地元の連中と仲がよく有名大学に入学したというところまでは俺も知っている。

 懐かしいな。

 ハガキには連絡先のメールアドレスとSNSアカウントが記載されている。アナログなのかデジタルなのか、そのちぐはぐな印象が、子どもの自分と大人の自分のようだった。


「小学校の同窓会だ」

 他の郵便物を処理している慧一に報告すると、猫みたいに丸い目が振り返った。

「へえ。オレ、小学校はないな」

 慧一とは高校で出会った。慧一は練馬に実家があり、その付近の小中学校に通っていたと聞く。地元の友達の話はあまりしないが、たまに同い年くらいの知り合いが店に来るので、少しは付き合いがあるのだろうと推測している。

 お互いにお互いの友人を紹介するということはほとんどない。ごく稀にばったり会ってそのまま飲み食いをすることはあるが、共同経営者でありビジネスパートナーとして終始振る舞っていた。

「いつ?」

「七月八日。土曜。仕事だ」

「行きたいなら臨時休業にでもするか?」

 製造・調理係として育てている濱くんは、まだ一人で厨房を任せられるレベルには達していない。日時を見ると夕方からなので、つくりためて留守を頼む手もあったが、そこまでしたいとは思わなかった。

「いや、行かない。特別会いたい奴がいるわけではないし」

 思い出話に花を咲かせるのは楽しいだろうが、それと同時に自分のことを探られることが億劫ではあった。年齢が年齢だから結婚がどうの子どもがどうのと出てくるだろうし、自分の性格からするとうまくかわせる気がしない。

 それに何より、今どんな仕事をしているのか、と話を振られてどう答えればいいのだろうか。日々果の名前を出さないのはもちろんだが、フルーツサンドをつくっているなんて言えるわけがない。「轍が?」と好奇の目に晒されることを考えただけでじわりと汗が滲んだ。

「そっか」

 慧一は寂しいとか嬉しいとか感じさせない軽い相づちを打って、冷蔵庫から作り置きの惣菜を出している。

 それとも、日々果という店名を出して、フルーツサンドをつくっている、と堂々と宣伝してきた方がいいだろうか。この年齢だと仕事をしている者がほとんどで、ビジネスチャンスが転がっているかもしれない。家庭を持った者は家族で買いに来てくれるかもしれない。

 鷲谷くんの顔が浮かんだ。鷲谷くんが受け入れてくれたように、同級生たちも俺がフルーツサンドをつくっていることを受け入れてくれるだろうか。

 ――いや。

 すぐに否定が出てくるのが悲しいところだが、今回はやめた方がいいだろう。

 慧一には悪いが、まだ日々果とは並ぶことができない。


「慧一。肉じゃが、今日やっつけるぞ」

「だな」

 冷蔵庫に入れていても野菜は足が速くなる。タッパーに分けていた肉じゃがは、鮮度をなくした何とも言えない砂のような味が混じっていた。

 それを確認し、俺と慧一は残っている肉じゃがを今日の完食リストに組みこむ。

 あれから、慧一は調子を持ち直して、体調も肌もよくなった。反動で食欲がわくのか箸が進む。そのうち、また体型がどうのとぼやくだろうが、こけた頬より余程いい。リスやハムスターのように膨らむ頬に安堵して、俺も食事を進めた。

「九月さあ」

 慧一の切り出しに、俺は条件反射でカレンダーを見た。まだ六月の末だから、九月は遠く、視認できない。

 年明けから休む暇がなかったから、秋頃の平日に休みをとり旅行でも行こう、と二人で計画していた。大学の頃は開業資金を貯めながらたまに行っていたが、日々果を始めてから今まで旅行はなかったので、久しぶりの旅に浮足立つ。

「紅葉! 温泉旅館! にはまだ早いしなあ。轍はどこがいい?」

 それは慧一も同じようで、随分先のことを絵に描くように夢想する。

「気温もちょうどいいだろうし、ツーリング行くか。あとは飛行機で北海道や沖縄に遠出するのもいい」

「台風だけ怖いけどな。もちょっと若けりゃ食い倒れするのに」

「食いたいもので決めるか」

 とは言っても、俺や慧一が食べ歩くのは甘味と相場が決まっている。

「糖尿病になるだろ、それ」

 そうぼやくが、慧一の顔は輝いていた。

 あれこれと先々のことを話すことで、部屋にある夏の湿気が気にならなくなった。


   ***


「おはようございます」

 朝から濱くんの声が響く。着替えていた俺たちは、備品倉庫兼更衣室から顔を出した。

「濱くん、おはよう」

「おーっす」

 濱くんには、この間「日々果の社員として働かないか」とゆるく打診していた。まだ正式な話し合いには至っていないが、それから濱くんはいつもより積極的に業務にあたっているように思う。好感触だと思っていいだろう。

 調理係として入ってもらうつもりだが、接客もできるので、慧一は完全に調理一筋にしたくないらしい。教育方針と待遇を来年再来年の経営目標とともに考えているが、数字におこすのはなかなか難しい。

 春から徐々に始まった繁忙期がピークに向けて忙しくなる。製造に加えて濱くんの指導、レシピの執筆と調整、秋メニューの見直し、バイトのシフト立てと知り合いや他店からのヘルプ要請……。

 春頃から慧一がやっていた業務をいくつか受け持つようになったが、これで恐ろしいのは慧一が楽になっていないことだ。元気が戻ってきたと思ったら、これからに向けて卸先の営業や打ち合わせに飛び回っている。

 日々果をオープンした時も一年先のことはわからないと思っていたが、今もそれは変わらなかった。いい意味でも、悪い意味でもそうだ。売上だけではない。新しく受けるようになった取材や注文が、これからどんな形へ変わるのか、わからない。

 わからないが、それはそれでいいのではないか。慧一がいて、頼もしいスタッフや相談役がいて、一緒に頑張れば何かしらの結果がついてくる。

 最近は、特にそう感じていた。


 昼過ぎからの追加製造がようやく落ち着き、俺と濱くんが甘夏サンドをつくり終える頃、内線が飛んできた。

 最近は追加回数が増えてきた。また何かなくなりそうなのかと子機を取る。

「どれだ?」

 短く問うと、高い声が「は?」と冷たい色で聞こえた。

 誰だ。慧一ではないし、今日は店内のアルバイトスタッフはいないはずだ。

(あゆみ)です」

 俺は子機を耳につけたまま固まった。

「季節のフルーツサンドください」

 妹だった。

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