102: 知らない(ダリアsaid)
次々と信じられないことが起こっていて、私の頭のなかは整理が付かない。
目の前で、無表情のまま魔法で拘束した男を殴り続けているのが、ハルトだなんて信じられない。
拳に強化魔法をかけているのか、肉を打つ音が尋常じゃない。たまにゴキンと骨が折れているであろう嫌な音もする。
私を支えているアランが呑気な声で「殿下ー、生け捕りー」とか言ってるのは、こんなハルトをアランは見慣れているからなのかもしれない、と気が付いた。
私の知らないハルトの一面。
もちろん、そんなこともあるとは分かっているけど、それがこんな震えが止まらないハルトだなんて思ってなかった。
*****
社交界の貴族の間でも、多少噂になっていたのを聞いてはいた。
巷では年頃の令嬢が拐われる事件がおきている、と。
最初は平民の娘が狙われている、という話だったのが、近頃貴族の娘まで拐われて、身代金の要求もなく戻って来ないという話を、自分にふりかかることとは全く思わず聞き流していた。
だから、馬車が襲われた時も物取りかと思った。
なのに、気が付いたらあの黒の令嬢と一緒に拐われていただなんて、もう絶望しか感じなかった。
公爵家で行われた晩餐会で、上手くハルトに強いお酒を飲ませたまでは良かった。少し睡眠薬もいれて、バレないように高いお金をかけて隠蔽魔法もかけて、他の男性にも飲ませて、すごく上手くいった……、のに思った以上にアランが優秀で私の邪魔をした。
なによ、いっつもハルトの後ろにくっついてるだけの男だと思っていたのに!
お酒に一番に気づいたのはアランだったし、ハルトの部屋の入口で番犬のように私を阻止したのも彼。
あわよくば既成事実……、なんて考えてたけど、アランのせいで私の計画はパアだった。
そうして朝、食堂に現れないまま帰ろうとするのを引き留めようとした時に、言われたのだ。
「俺ですら気付かない魔法を、どこで買った?刺客を送り込むのにも、そうとう値が張ったはずだ。こんな下らないことに使うくらいなら、教会の孤児院にでも寄付してやれ」
私を見ていた瞳は完全に蔑むものだった。
今までも熱のある目線なんて向けてはくれなかったけど、これは違う……。
私が欲しかったのは、こんなのじゃないのに……。
ハルトはすぐさま出て行ってしまった。
愕然としている暇もなく、お父様が大きな声で「ダリア!い、今のはどういうことだ!?」と叫んでる。
「お前……、まさか、先日の夜会での…あの騒ぎは……」
ガクンと膝から崩れ落ちたお父様を見る。
「どうして?お父様。だって「黒」なのよ?あんなに高貴であんなに美しいレオンハルト殿下の隣に、黒がいていいわけがないでしょう?だから私」
「……なんて、ことだ…。お前がまさかここまで黒否定派に染まっているとは…。エイダだな?エイダのせいなんだな!公爵家の娘が、隣国の王族の婚約者を襲ったなどとっ!」
私は正しいことをしたはずなのに、どうしてお父様は認めて下さらないのかしら?
おかしいわ。
ハルトにだって、もっとちゃんとお話すれば、私の気持ちを分かってもらえるはずなのに。
「エイダ伯母様は、正しいことを教えてくれたわ。私はとっても優秀だって、褒めて下さったもの。エヴァンお兄様はダメだって。公爵家の後継ぎとして、大事な部分がわかっていないって」
そうだわ。
あの「黒」にもう一度言い聞かせればいいのよ。
動物や魔物と違って、「黒」でも会話は出来るわ。私の言うことをちゃんと理解出来れば、ハルトの隣にいるなんて烏滸がましいと理解してもらえるわ。
「ダリア!!待ちなさい!どこへ行くんだ!」
叫んでるお父様なんて、もう知らない。
私の従者であるマーカスは、私のやりたいことをすぐに察してくれて、馬車の用意をしてくれていた。
お父様を振り切って黒の滞在している公爵家に向かった。
拐われる前の馬車の中でも、拐われた時も、部屋に閉じ込められた時も、アオイという女性は常に冷静で、状況をよく理解していて、その時に何をすべきか判断できる人だった。
そうしてやっと気づいた。
この人、姿形が私と似ている。
真っ黒で艶やかな髪は、サラサラストレートで、私と同じくらいに背中の真ん中あたりまでの長さ。
背丈も体格もそう変わらない。
パッと見地味に見える顔も、化粧映えするのは先日の夜会で別人のように化けたのを見たので知ってる。
何か色々と事情のある産まれのようだけど、黒なのに、身のこなしは洗練されてるし、言葉使いも発音も綺麗で、ちゃんと産まれながらの貴族だと思えた。
そして、神秘的にさえ見えてしまう黒い瞳。
エイダ伯母様には「黒」は邪悪なもの、忌避するものだと聞いたけど、直接目の前でその瞳を見たら、吸い込まれそうなその深さに危なく見入ってしまいそうになる。
まさかそれで人を操っているのかと思えば、そういう魔法は希だと言う。
囚われているのに快適に過ごそうとしたり、それを私にも施してくれたり、「黒」じゃなければ、普通によくできた女性だった。
誘拐犯の男とも堂々と会話していて、一緒にいればいるほど、彼女の良いところに気づいてしまった。
「下がって。目を閉じて下さい」
私と黒の少年を後ろに庇って、彼女が小声で言った。
はっ、と気づいたら彼女の右手から赤い丸いものがジワジワと大きくなっていく。
何度か騎士達の魔法訓練を見に行ったことがあるけど、こんなサイズの火球を見たことがない。しかも、まだ大きくしてる!
まさか小屋が吹き飛ぶほどの威力を持ってるなんて、思わないじゃない。
黒の少年も驚いていて、2人で震えていると、どこからどうやって知ったのかハルトが現れた。
助けに、来てくれた……、と近寄ろうとしたら、ハルトは彼女しか見ていなかった。
「アオイ!」
いつも無表情で感情をめったに表さないハルトが、焦っている。
見れば、いつの間にかもう1人の男がいて、そいつが彼女を襲おうとしている。
一瞬で、何が起こったのかよくわからなかった。でも、ハルトが彼女を守ったようだった。
「レオ……」
その彼女の呼び掛けに愕然とした。
だって、その呼び方は……、かつて私がハルトを愛称で呼ぶ時に許されなかった呼び名。
「俺を「レオ」と呼ぶのは、特定の人物だけだ。学園では違う名で呼んでくれ」
そう、言っていたのに。
当たり前のように彼女を抱き寄せ、見たこともない厳しい顔で犯人と対峙するハルト。
彼女の方も、ハルトに抱かれることに慣れているのか、抵抗も恥じらいも見せない。そんなこなれた様子の2人を見たら胸が痛い。
それなのに彼女は躊躇なく彼から離れて、あの少年を助けた。
私が欲しくてたまらないあの場所を、粗雑にするなんて……!
でも、そこから事態は一変する。
突然現れた辺境伯に彼女を連れ去られた後の彼は、別人のようだった。
*****
怖い……。
単純にそう感じた。
彼女……アオイの侍女の言葉を借りるなら「ぶっ壊れた」ハルトは、怖い……。
やっと、私を見てくれているのは分かっているのに、怖くて顔を上げられない。
「グラナダ公爵令嬢。家まで送らせる。悪い夢を見たと思って、忘れろ」
忘れろ……?
私は何をしていたの?
4年ぶりに会った最初以外、ずっとハルトには「グラナダ公爵令嬢」と呼ばれていた。
「リア」と呼んでくれていた学生時代のハルトはもういない……。
ハルトはもしかしたら最初からいなかったの?
あの、アオイの前で見せる、表情豊かな彼がレオンハルト殿下なの?
忘れろどころか、そんな彼は知らない。
私は、レオンハルト殿下を、知らなかった―――
目の前で、キラキラと小さな魔法の欠片が光る。
私のことなどもう一目も視界に入れず、レオンハルト殿下は消えた。
彼女……アオイだけを追って。




