栞、付喪神に遭う
付喪神。長い年月をかけて霊性を得た道具や動物達がなりうる、妖怪みたいなものというのが、私の知っているおぼろげな知識であった。
「言い方は悪いがそこの姉さん、弥都さんは化け物、って事なのか?」
ケンちゃんが踏みこむ。弥都さんは少し傷ついたような顔を一瞬だけ見せたが、すぐに微笑む。
「まぁ、そういうことさ。どうだね、私のことが怖いかい?恐ろしいかい?」
弥都さんに尋ねられ、ケンちゃんが私のそばに顔を寄せてきた。相談したいということなんだろう。
「姉ちゃん、俺にはどうも弥都さんが普通の人間にしか見えんのやけど本当なんやろか?爺さんとこの人にからかわれとるだけなんやないかって疑っとるんやけど」
確かに今の所、言葉だけで証拠がない。二人が口裏を合わせればいくらでもできる、作り話の可能性だってある。
「本当になぁ。驚いたってだけでいざ怖いかって考え直してみたら、何も害受け取らへんし。あとケンちゃん、女の人に化け物て。弥都さん傷ついた顔しとったで?」
「それは悪いこと言ってしまった。パッと質問してしまったけど言葉選びが悪かったなあ」
ケンちゃんは私の言葉にバツの悪そうな顔をしてそう言った。それから少しだけ話して私達二人の弥都さんへの印象を結論付ける。
「怖くないです」
「そうかいそうかい。怖くないか」
その言葉にやや嬉しそうになりながら、弥都さんは立ち上がる。
「じゃあこう続けねばなるまいね?『これでもぉ〜?』」
弥都さんはそんな、どこかお決まりの文句を言って。
どろん。そんな音と共に弥都さんの姿がいつのまにか消え、目の前にはここまでの道すがら弥都さんが持っていたはずの日傘が宙に浮いていた。
「私は傘に宿った付喪神なのさ。だからこっちが本体。人手もないのに傘が浮いて、喋り出すなんて怖くないかい?」
私が驚いて口を鯉のようにパクパクさせていると弥都さんの声が近くから聞こえる。それは紛れもなく傘から発せられているようであった。弥都さんは本当に人間じゃなかったのだ!私の中で、未知の存在に対しての恐怖が再び鎌首を持ち上げ始める。
「……んー?」
しかしケンちゃんは私とは違うことを思ったようであった。恐る恐る、と言った感じではあったが傘の取手を掴む。
「ワイヤーか何かで吊るされていた訳ではないみたいやね?じゃあ浮いてた理由は後回しにして、声は今の時代無線電話があるしなぁ。何処かに小型マイクとか、あのマークあるかもしれん」
そうしてジロジロとくまなくチェックをし始めた。石突きから骨までを握ったりさすったりと探る。焦ったのは弥都さんだ。
「なっ!ちょ、いきなり掴むんじゃないよ!あっ、おやめ!そんな所まで触るんじゃない!離して!一回離しなさいな!」
焦ったような、どこか艶のあるような。弥都さんからのその声に従って渋々と言った感じにケンちゃんが傘を手放すと、傘はすうっと宙へ浮いて再びどろん!という音と共に弥都さんの姿へと変わった。心なしか髪や衣類が乱れている。
「私はそんなハイテク機器なんかじゃないやい!」
キッ、と涙目になりながら弥都さんはケンちゃんのことを睨みつけた。
「えっと、ごめんなさい?」
その表情と格好を見て流石に悪い事をしたと思ったのだろう、疑問系ではあったがケンちゃんは弥都さんへと謝罪した。
「……ぶっはっは!もう無理、耐えられん!」
ずっと黙っていたおじいちゃんが噴き出した。腹を抱えるほどの大爆笑に、弥都さんは今度はそちらへと恨みがましい視線を送る。
「本当にトシさんそっくり!初対面なのに無遠慮に私の事をいじくりまわすなんて!」
「そんな事もあったなぁ!いや、懐かしい」
弥都さんの怒りなどどこ吹く風と言ったようにしみじみとした表情になるおじいちゃん。一女性らしい、人間臭い弥都さんに対して、もう怖いとか恐ろしいとかそんな事を感じる空気ではとてもなかった。
「最初は驚きましたが、よく考えたら怖くないです」
私がそういうと、怒っていた表情から一転、ふっと微笑みに変わる。
「よかった。あなたは千夏ちゃんにそっくりだったから、化け物だからと嫌われるんじゃないかって心配だったの」
その言葉にハッとする。千夏とは、母のことだ。もしかして母は、おじいちゃんが苦手という言葉の中に弥都さんの事が怖くてこの家にあまりよりたがらなかった意味も含まれていたのではないかと思ったのだ。
「よかったなぁ、弥都さん。孫達が許容する側で」
そう言って弥都さんの肩をさする。
「ここで大抵意見が割れるんだ。千夏は、受け入れられんかった。いつきても見た目の変わらない弥都さんが怖くて仕方がないといったようだった。だからさっさと家も出ていったし、栞達が生まれてもなかなか寄り付かんかった」
「私達は意外と身近にいるもんなんだけどね、なかなか受け入れてもらえないんだよ」
人と共にある存在なのにね、と少し寂しそうに弥都さんは語る。
「その点ではここいらは居心地がいい。まだ私達に寛容な人々が多いし、今のような消費社会になっても道具を大切にしてくれる人が根付いているからね」
だから物を祀る社があるし、私らみたいなのもやっていけるのさ、と嗤ったのであった。