ありふれた再会
渋谷の酒場でピアノを弾く様になったのは1年前からである。
自分の出発の原点でもあるし、俊之と出会った場所だったからだ。
俊之への思いは消えずにいたが、再会を望んでいたわけではない。時間が経ちすぎていたし、あの時の自分の美貌と若さをすでに失っていたのだ。
ただ、運命の神に導かれる様にこの店を訪れ、息子の代になった店長と話が弾み、不定期でピアノを弾く事になった。
目が合った。お互い凍り付いた。
ピアノに置かれた指が止まる。残響は不協和音となり店内に広がる。
数人の客が舞台を振り返った。愛子は立ち上がり、俊之の方へ歩み寄る。俊之も愛子の方へ歩く。
店長が気を利かしてレコードの曲を店内に流した。いつもと同じ雰囲気にもどり、数人の客は何事もなかった様に雑談を再開した。
「愛子、久しぶり」やっとそんな言葉が出た。
「俊之さん。ごめんなさい。わたしおばちゃんになっちゃった」その笑顔は、昔のままだ。
「俺もおじさんだよ」
それが再会の台詞だった。
それから二人はその酒場で飲み、愛子のマンションへ行く。お互いの身の上を話し、お互いの誤解で道を間違った事に泪し、抱き合った。
そしてまた二人で暮らす事になった。
俊之は昔の友人に頼み込み、小さな雑誌社を紹介して貰い、臨時社員として働き始める。
愛子は音楽教室のパートの先生になり、ピアノを教え、時折あの酒場でピアノを弾く暮らしをスタートさせる。
2DKの小さなマンションでの二人の暮らしは質素だったが、平安を二人は手にしていた。
毎週金曜日には駅で待ち合わせをして、ファミリーレストランで外食をする。
食事の帰り道、マンションの近くに、小さな稲荷神社がある。愛子は必ずそこへ寄り、5円玉を賽銭にして手を合わせる。
「この神社は縁結びの御利益があるのよ。だからあなたと会ってからいつも手を合わせているの。この縁がこわれませんようにってね」
俊之はそんな愛子を優しく見守り、自分も手を合わせる。
その夜も、二人は愛し合う。
なくした時間を埋める様に俊之は愛子の腰を抱く。充実した時間だった。
しかし、愛子は時折全身を鏡に写し、悲しそうにつぶやく。
「昔に戻りたい。あのきらきら輝いていた体に戻りたいの。そうしたら俊之さんはもっと喜んでくれるでしょ」
子供の様に甘える愛子に俊之は答える。
「俺だって、こんな締まりのない体になって悲しいよ」と話を合わせる。
そんなたわいもないやりとりは、電気を消すと消えてしまう。二人で暮らしているだけで十分だからだ。