表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三点日食

作者: 野乃々
掲載日:2016/06/04

 緋色の光が差す非常階段二階に野球部の打球が届いたら、僕は僕を縛るしがらみから脱却する。


 眼下に広がるのはグラウンド。綺麗なアラウンド。

 濃い土色の地面に陽光が照りつけ、その上に立つ坊主頭の部員たちがミットを上げている。校庭を囲むフェンスの先は民家の影が伸びて色彩を侵食する。


 カラスの騒音。打球を叩く金属音。それをかき消そうとする、吹奏楽部の楽器音。


 僕は手すりに両腕を預け、手にした精密機械を構える。

 やることは一つ。人差し指で引き金を引き、照準の定まった景色を照映する。

 これが僕の標準装備。「標準」が社名の、キャノンの一眼レフカメラだ。

 小学三年生のとき、誕生日プレゼントとして親戚の叔父さんに貰って以来、大切に使っている。

 いまはデジタルカメラの技術が発達して、一眼レフカメラより綺麗に映すことができるけど、叔父さんの過去が詰まっているこのカメラは、時間という一瞬の煌めき切り取ることができる。


 ファインダーから目を離すと、一度首を振って、また覗き込む。

 僕はこの学校にいる唯一の写真部だ。

 昼休みも放課後も、カメラを構えて、超客観的世界を映していく。そのためには炎天下でも雪の降る日でも、じっと耐えて刹那を狙う。

 最初は「カッコいい」とか「すごいね」と褒める同級生も、僕のやっていることを知ったら「大変だね」「辛くない?」「そんなにじっと固まって何が楽しいの?」なんて言われる。興味本位で部員になろうとする人も、部活の方針に耐え切れずすぐに辞めてしまう。


 正直言うと退屈だ。苦痛だ。何より、孤独だ。


 これまで友達なんてできた試しがない。中学も高校も、空いた時間は被写体を探し求め、スポットを見つけ、じっと堪えているだけなんだから。教室では常に浮いていて、愉快気に仲間と話すクラスメートの声を聞くと寂しい気分になる。


 どこかで道を間違えたのかな。

 そんなことも思う。


 孤独は裸の心に吹く冷気だ。熱い火を焚いていないと、理性が息絶えてしまう。

 ときどきカッとなって傷害事件を起こす人の気持ちも、街中で無差別殺人を行う凶悪犯の気持ちもわかる。みな孤独の冷気に生きる希望を凍らせられた。世界から孤立して、自分以外のものと繋がりをもてなくて、どうでもよくなってしまうんだ。


 だから僕は悩んでいる。

 このまま孤独と戦い続けるか。それとも、友達や恋人を作って寄り添って温もりを取るか。


 ――数日前、進路部の先生から選択を迫られた。

 未来だ。

 進学か、就職か。

 将来何をやりたいか。


 僕の家系は、石橋を叩いて渡るくらい堅実な人たちばかり続いている。

 祖父は田舎で百姓をして、父は勉強してサラリーマンになった。兄貴は父より勉強していまは役所勤め。

 例外は叔父さんで、進学のとき芸大に入りたくて祖父と大喧嘩をした。結局根負けしたけど。


 僕の父さんも兄貴も、頭のいい大学に入って会社員や公務員になることを望んでいる。

 それが駄目ってわけじゃない。

 堅実は美徳だ。

 当たり前の幸福を得て、当たり前の家族を手に入れる。当たりはないけどハズレもない、有難みのある生活。でも、ありふれた生活。


 僕は、とにかく写真が好きだ。世界で一番好きだ。

 朝の希望の光。

 雑踏の中で微笑む女子。

 空をはばたく渡り鳥。

 草木をくぐる昆虫。


 この地球はありとあらゆる生命に溢れ、命を紡いでいく。

 カメラはそれを教えてくれた。そんなカメラと別れるなんて嫌だ。

 僕の夢はカメラマンで世界中を旅すること。そのためには、叔父さんの意思を受け継いで今度こそ美大に行かなきゃならない。

 でも、家族は反対する。絶対反対する。対決する前からわかってる。


 ただ、そんな僕を後押ししてくれる人もいる。

 美術の臨時教師である酒井先生。

 酒井先生は二〇代後半の綺麗なお姉さんで、授業を教えるときの後ろ結ったポニーテールがゆらゆら揺れるんだ。彼女は僕が唯一の写真部だと知って、作品を観たいと言いだした。

 美大出身の酒井先生は僕の撮った写真を、輝いた眼差しで見ていた。

「悔しい。私もこんな風に絵を描いてみたい」

 そうして、絵の題材にするため、焼き増しをねだった。


 僕は酒井先生との出会って、これまで心に吹く冷気が途絶えた。芸術の世界に入れば火をともしてくれる人間が現れるのだ。

 しかし、同時に不確定な椅子取りゲームに参加することにもなる。

 僕の身体に巡る血は、堅実の精神が眠っている。轍を踏み外そうとする足を「おい待てよ!」と引き留めて、わざと血液を凍らせる。

 ――だから、僕は相棒と賭けをする。

 提出期限までその被写体を撮れば夢に踏み出す。

 無理なら、諦める。


 黄昏。鐘の音。部員の掛け声。ゆらゆら揺れる黒い影。

 カキーンとバットの芯に当たる爽快の音が聞こえた。

 ファインダーから見える世界は、打球が空に飛んでゆっくりとこちらに向かっていた。

 震える指に「落ち着け!」「落ち着け!」諭しながらその瞬間を狙う。

 小さな球体が、視界の真ん中にある太陽に接近する。球体は太陽を飛び越えて、滞空すると重力に従って落下する。

 力の限りボタンを押し込む指。

 僕の希望を込めた大砲キャノンが世界を突き刺す。

 カメラはその機能とは相反する道具。引き金を引いたその瞬間だけ、この目で見ることができない。

 だけど、信じてる。

 太陽にくっきりと収まった甲子園の夢を。そしてそれを捉えた丸いレンズを。

 僕は首にカメラをかけると、全速力で階段を駆ける。机の奥の引き出しには、苦悩と憤りでくしゃくしゃになった進路希望書。いまようやくそれを出す。

 僕は、これからも、孤独と戦う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ