三話
3
「道はあっていますか?」
「……不安なのはわかるが、そう何度も質問しないでくれ。それにこの街で暮らしてもう半年以上だ。さすがに覚えたよ」
夜が明けた翌日。二人は朝一番に門を通って街に入っていた。朝一番ということで多少門番に不審がられたものの、霧島と親しい人物が後からやってきて、すんなり通してもらった。彼は霧島が毎日湖まで釣りをしにいく時、門番をしている騎士だ。門をそう毎日通ればいやでも記憶に残る。雑談する程度には親しくなったのだ。
「道はあってますか?」
「……合ってるよ」
もう何度目になるか、アイリーンの質問にうんざりしながら答えた。
街に入ってからというもの、アイリーンは狂ったようにキョロキョロと街のありとあらゆるものに興味を示した。しかし、霧島に案内を頼んでいる手前、道草を食うようなことを強要できるはずもなく、結果、霧島の服を右手で掴み若干速度を落とした。釣られて歩くペースが落ちる。目的地までの距離は変わらないので、時間をめいっぱい使って風景を満喫するるつもりらしい。最初はその様子を微笑みながら見守っていたが、だんだんと残りの距離が縮むに連れて、歩幅が小さくなった。そして、霧島に、実は道を間違っていないかと何度も質問して到着を遅らせようとしている。
物心が付いた頃、初めて母親に買い物へ連れて行ってもらった時のことを思い出した。しかし、当時4歳だった霧島でもここまで挙動不審ではなかった。度を越えた箱入り娘で、下手に自我が確立している分幼少期とは反応が異なるのだろうか? そうだとしてもアイリーンの行動は十分に気持ち悪かった。
「はぁ、アイリーン、後でいくらでも観光に付き合ってあげるから、今は先を急ごう」
今は早朝なので人も少ない。昼頃には通りに買い物客が現れまた風景が変わる。いちいち反応してもらっていては切りがなかった。
「本当ですか! 嘘ではありませんね!!」
効果は絶大だった。さっきまでの「かたつむりより遅いのではないか」というのが嘘のように早くなった。今後はダッシュである。
劇的に早くなったが、代わりに、街をあの低速で観光すると思うと誤った判断だったと、後悔する霧島だった。
文字通りあっという間に目的地に到着した二人は、『冒険者ギルド』に入った。
「私、冒険者になりたいんです」
入門前、アイリーンは、霧島の質問に対してそう返した。
これから諸国漫遊の旅にでるか、隠れて隠居でもするのかなと、かなりのんきなことを考えていた霧島に、この告白はかなり効いた。目に見えて驚きを顕にしたときは、アイリーンに笑われしまった。
もちろん理由を訪ねた。帰ってきたのは、ほかに生きる方法を知らない、というものだった。かなり不自然な回答だ。
ここまでくればアイリーンが上流階級の人間だということは確定だろう。そして、そんなアイリーンがほかに生きる方法を知らないと言った。この言葉にどんな意味がこ止められているのか、ほんの少し考えて、やめた。
霧島とアイリーンの関係は単に、雇った側と雇われた側に過ぎない。そんな霧島が深くアイリーンの諸事情に首を突っ込むのは野暮だ。それに、聞かないと言っておきながら、心の中では興味津々というのも矛盾している。このことに関してはアイリーンが話さない限り触れないでおこうと誓った。
「さて、これからアイリーンの冒険者登録をするわけだけど、俺が言ったことを覚えてるか?」
「はい。まず家名は伏せること、必要以上に情報を開示しないこと、ですね」
冒険者になるにあたって、避けては通れないギルドへの登録に関して、霧島は先んじて注意事項を説明しておいた。キチンと内容を覚えていてくれたことに安堵した。
「よし、それじゃあ登録をしよう。俺も付き添うから大丈夫だと思うけど、もしもの時は」
「口を閉じる」
「よろしい」
二人はまだ一人しかいない受付に向かった。
「早朝にすみません。連れの冒険者登録をしたいのですが?」
「はい。冒険者登録ですね? えっと、奴隷の登録ができないことはご存知ですか?」
霧島は盛大にずっこけた。
確かに冒険者が奴隷をパーティーに入れることはある。きっと受付の彼女もそう思ったのだろう。そういう冒険者は多いので仕方のない勘違いだが、勘弁して欲しかった。
「いや、彼女は奴隷じゃない。大丈夫。登録、頼む」
「は、はい! ではこちらにご記入ください」
凄みながら最後はカタコトで話してしまった。悪気のなかった彼女に対してひどい仕打ちだ。しかし、口頭とはいえ、仮にも契約主を奴隷呼ばわりされては気分が悪い。横のアイリーンの顔を盗み見れば気にしていないことは読み取れだが、気分の問題なのだ。
「はい、アイリーンさんですね。それではギルドカードをお持ちしますので少々お待ちください」
受付嬢がいなくなるとアイリーンはため息をこぼした。どうやら緊張していたらしい。
なんとなく、本当に気まぐれで、霧島はアイリーンの頭に手をやっていた。まるで親が子を褒めるように。
ポカンと自分を見つめる視線に気づいた霧島は慌てて手を離した。なおも顔をそらさないアイリーンに気まずくなってプイと顔を逸らした。
「あの~、あんまり独り身女性の前でラブラブするのは遠慮して頂けませんか?」
いい感じに青筋を浮かべた受付嬢がいつの間にか戻ってきていた。というか、独り身だったのか。どうでもいい情報を手に入れてしまった。
霧島は顔を真っ赤にしながらギルドカードをひったくった。
「うわ~、八つ当たりなんてサイテーですね」
「うるせぇよ。それで、今から受けられるクエストはないのか?」
「話の逸らし方も下手ですね。えっとアイリーンさんは白プレートからのスタートですね。で、あなたは?」
明らかに礼を欠いた言葉遣いだ。彼女の中で霧島はかなり雑な扱いが決定してしまったらしい。誤解だ。
「まだ俺も上がったばかりでな、赤プレートの星二つだ」
冒険者は白、赤、緑、青、黒、金の六つに階級分けされ、それは強さも表す。昇級するには単純に力を示せばいい。ただし、極端に人格に問題があると昇格できなかったりすることもある。
強さ以外にも受けたクエストの数も一応は考慮されるが、大したプラスにはならない。
星とは、この受けたクエストの数や質に応じて増える証である。等級とは別の扱いを受け、その数が多いとギルドへ多く貢献したとして、素材の買取額に色が付いたり、融通が多少利くようになる。しかし、それもギルドの采配次第で、星の獲得も正確な条件が提示されていないこともあり、不人気のシステムだ。
「星二つ? へぇ優秀なんですね」
「そう思うならもうちょっと愛想よくしてくれ」
他人とはいえここまで露骨に邪険にされれば心も傷つく。
「身なりも……見たことない服ですね? 生地はいいもの使ってるじゃないですか」
「頼むから仕事をしてくれないか」
「それもそうでした」
霧島の格好は学ランと呼ばれる学生服だ。全身真っ黒のその姿は礼装にも見える。実際に冠婚葬祭で使えるものだ。
「いま斡旋できるクエストは……どれも討伐系です。失礼ですがアイリーンさんでは荷が重いかと」
アイリーンの格好は一般的な町娘の格好だ。とても戦えるようには見えない。最初に彼女がアイリーンを奴隷だと勘違いした要因でもある。
「問題ない。俺たちはパーティーを組む、適材適所だ」
霧島とてアイリーンに戦闘に関して期待はしていない。そもそも戦えたなら馬車で気絶するような遅れを取らず、アランと共に賊と戦っただろう。
「それではパーティー申請も必要ですね。ちっ、先に言っといてくださいよ」
「おい、いま舌打ちしなかったか?!」
「さて、なんのことだが分かりかねますが? 幻聴ですか? 教会へ行けば巡回のシスターがいらっしゃいますよ?」
「急に親切になったら余計怪しいだろうが」
「わかっているなら聞かないでください。めんどくさい人ですね」
霧島はぐっと握りこんだ拳をこらえた。正直なところ殴ってやりたいが、ギルドスタッフと問題を起こすほど馬鹿ではない。彼女もまさか、こんなじゃれあいでギルドの名を使うとは思わないが、それでも不安要素は排除する。今はアイリーンがいる。霧島が問題を起こして雇い主であるアイリーンにまで迷惑はかけられない。
「それではパーティー申請はこちらでやっておきます。クエストですが、乱王、ブラッドミノタウロス、刃蛇、マンティコア、コボルド王の討伐と五つありますが、どれにしますか?」
「ちょっと待て、それ全部黒プレート級のモンスターだよな?」
「冗談です。こちらが赤プレート級の魔物討伐クエストです」
冗談で済まされるレベルのモンスターではないのだが。黒プレートの冒険者がパーティーを組んでも死人を覚悟するほどの凶悪なモンスターだったはずだ。霧島は冷や汗を流した。
「そうだな、この青大将の討伐を受けよう」
「はい、受注しました。青大将の討伐ですね。こちらがクエスト用紙になります」
紙を受け取り内容を確認する。通常の通りの討伐クエストだ。あまりにフレンドリー過ぎる彼女がなにか企んでいるのではないかと思ったが、杞憂だったようだ。学ランの内ポケットにしまい込み、アイリーンの手を取る。
「それじゃあ、お世話になりました」
「末永く爆発してください」
復活した青筋をピクピクさせながら見送られた。霧島の仕返しは効果てきめんだった。
「さて、アイリーン。観光もそうだが、今日の宿代くらいは稼いでおきたい。まず青大将を討伐に行きたいんだが……アイリーン?」
壊れたように動かない。いや、足は動くのだが、それ以外が全く機能していないように見える。そういえば受付嬢と話していた時も一切口を挟まれなかった。アイリーンは霧島の雇い主なので、方針は彼女が決めるのだが、霧島が勝手にクエストを受けてしまった。もしや怒こっているのだろうか?
「アイリーン? お~い、アイリ~ンさ~ん?」
「……はっ! すっすみません。なんがかボーとしちゃって。あ、暑いからかな~」
「そうか? ならいいんだが」
はて、そんなに暑いだろうか?
まだ日が出てそんなに立っていない。まだ夜の涼しさが残っているように感じられる。霧島が来ている服は冬の寒い季節に着用するものだが、だからといって今、特別暑いようには感じない。比較的厚着の霧島がそうなのだから、アイリーンもそんなに暑いはずはない。
チラッと表情を盗み見れば確かに顔が赤く、茹だっているように見える。
ピト。
「!!??!」
「う~ん。熱はない、か」
茹で上がったタコよりも顔を真っ赤に染めたアイリーンは、霧島でも危うく見逃してしまうほどの速度で距離を取った。
「な、な、な、な、何をするんですか!!?」
オデコを触られた!!?
アイリーンは何が起こったのかわからなかった。まだ脳が正常な機能を取り戻す前、突然目の前に霧島の顔が現れ、脳みそが吹っ飛んだかと思った。
「いや、熱でもあったら大変だろ? だからおでことおでこをこうピタッと」
「そんな……非常識です!! 妻以外の乙女の柔肌に殿方が触れるだなんて、ハレンチです!」
貞操観念が強い、というより婚姻が神聖視されているのか。そうだとしても霧島から見て、過剰反応が過ぎるように感じた。
「……まさか、男に触れられるのが初めてってわけじゃないだろ?」
「初めてに決まっているじゃないですか! 女性は将来を誓った殿方意外と触れ合ってはいけないのです!!」
「ち、父親は?」
「お父様は私と血の繋がった親族です。それには当てはまりません」
霧島をめまいが襲った。一瞬幻惑系の魔法を使われたのかと思ったほど強力だった。目の前で起こった出来事に心の方が悲鳴をあげ、その影響が肉体に現れたらしい。
お嬢様だとは思っていたが、まさか両親までその類とは思わなかった。他の家の教育方針にとやかく言う資格は霧島にはない。しかし、だからといってこの子の出来は最悪だ。家の、恵まれた環境の外で生きていくことに適していない。きっと他にも霧島の知らない教育が施されているに違いない。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
急に壁に寄りかかった霧島を心配してアイリーンが声をかけた。まだ顔の赤みは抜けていない。
霧島はさっさと体を起こし、姿勢を整えた。ため息をこぼして、厄介な人に従属してしまったものだとまた後悔した。
「そういえば、アランとはどうしていたんだ?」
「どう、どは?」
「男性に触れられないんだろ? なら、普通護衛も女性じゃないのか?」
「彼は必ず手袋をはめたりして素肌の接触は避けてくれていました!」
失礼ですね! そう言ってまたアイリーンは怒り出した。アイリーンにとってはアランに対する侮辱にも聞き取れたのだ。しかし、先より幾分可愛らしい怒りようで、正直迫力に欠ける。
霧島は一人、なるほどと勝手に納得していた。ギルドに来る途中も一応手を差し伸べたのだが、結局は服の裾を掴まれたのだ。恥ずかしがっているのだと思っていたが、そうではなかったらしい。
プリプリと頬を膨らませるアイリーンを見ると、その膨らみをつつきたい衝動に駆られるが、話が全く進まないので諦めた。
「それじゃあ、俺も手袋をはめることにするよ」
霧島は左手を空中にかざすと、そこから革のグローブを取り出した。それを両手にはめて、「どうだ?」と言わんばかりに手のひらを見せた。
「これでいいか?」
「……。わかりました。ここまでの出来事は忘れることにします」
全然納得していない顔でアイリーンはそういった。結構根に持っているらしい。
「ところで、ぼーっとしていたので聞いていませんでしたが、どんなクエストを受けたのですか?」
「討伐クエストだ。青大将、簡単に言えばでかい蛇で、こいつを狩る。サイズは一軒家程度」
霧島の言葉にアイリーンは真っ青になった。
「もしかして、爬虫類ダメか?」
人には好き嫌いがある。爬虫類や昆虫類が苦手な人もいる。もしアイリーンがそういう人種だった場合冒険者活動にかなり支障が出てしまう。霧島はアイリーンの顔色を窺った。
「いえ、苦手というわけではありません。しかし、一軒家ほどの大きさとなると……」
「まあ、でかくなると嫌な人もいるか」
「いえ、そうではなく……その」
「ん?」
言いよどむアイリーンに言葉の続きを促す。
「そんなに巨大な魔物を倒せるのですか?」
はて、巨大という言葉を使うほど青大将は大きかっただろうか? 霧島は記憶をさらった。過去三匹ほど討伐せしめた青大将はどれも、とぐろを巻くと一階建ての一軒家ほどの大きさだった。確かに大きい。しかし、巨大とはまた誇張した表現だと思った。とは言え、感覚は人それぞれである。
「そんなに青くならなくても大丈夫だ。青大将は何度か倒したから、突発てきな事故でも起きない限り平気だよ」
「霧島さんがそうおっしゃるなら」
アイリーンはしぶしぶ納得した。言葉だけでは不安を払拭しきれないのだろう。
ここは自分の実力を見せつけておく必要もありそうだ。霧島は決意した。
「じゃあ行くか。青大将は隣山に出没するらしいから、一日がかりのクエストになる」
「わかりました。それでは参りましょう」
霧島の後に続くようにアイリーンも歩みを始めた。
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「報告を聞こう」
「死者二十二名、重軽傷者五十三名、また、意識混濁により会話の成り立たないものが八名。無事なのは副隊長各位、部下八十四名、自分と団長だけになります」
書類を読みあげるのは団長付き補佐官。椅子に体を預け、力なく天井を見上げている男は報告に耳を傾けている。
「以上が昨晩に起きた隊の損害をまとめたものです。次に建物の被害ですが、攻撃性の魔法により宿舎全壊、食糧庫一部損壊、隊舎一部損壊、復旧作業を急がせていますが、元通りになるまで最低でも一月かかるそうです」
「……そうか」
ゴロゴロと喉を傷めているような声が発せられた。今まで天井を見上げていた男、団長は、報告を聞くと体を起こし、補佐官に目をやった。そのとき、わずかに赤いスカーフの隙間から喉元の傷が見え隠れした。
「宿舎の復旧を急がせたまえ、連日寝床がなくては仕事もはかどらんだろう」
「了解。順序は宿舎、隊舎、食糧庫にして、速度をあげさせます」
「それから実行犯はどうなった?」
「現在地下の独房にて勾留しています。口を割るそぶりも見せません」
昨夜、突如として現れた賊に襲撃を受けたキムルン防衛騎士団は翌日の今日には落ち着きを取り戻していた。しかし、その傷跡は大きく、通常業務に戻るまでかなりの時間を要するほどだ。
真夜中の襲撃は団員が寝静まったころに起き、宿舎にいた者は全員が被害にあった。町の警備にあたっていた騎士も、ほぼ全員が毒を盛られ、正常な思考ができない状態にされた。無事だった団長、副団長各位、騎士総出で鎮圧にあたり、主犯と思われる男以下数名を捕縛、独房送りにした。
「しかし、妙な連中だ。目的が一切不明、主犯も口を割らんときている」
「騎士への復讐の線も調べましたが、一人も犯罪歴がなく、指名手配もされていません」
「それでいながら被害は死亡した騎士と建物だけとは、皮肉なものだ」
はあ、と二人そろってため息をついた。本来であれば上官の前であるまじき行為だが、それだけ団長と補佐官の気心知れた仲を表している。
「報告します!」
バン! と戸を破壊する勢いで部屋に入った来たのは、独房で賊の見張りを命じられた騎士だ。その尋常でない様子に団長の目が細められた。
「入室の許可は出していないぞ」
「よい、報告を聞こう」
「独房で監禁中の賊の正体が判明しました! 連中は自らを暴虐の虎と名乗りました!!」
「!!」
「……これはこれは、厄介なことになったのぉ」
報告に補佐官は言葉を失い、団長の声は抑揚がなく平坦なものだった。一見団長は落ちるて見えるが、内心ではこれからの暴虐の虎がどういった行動を起こし、それにどう対応するかを入念に考えていた。
「至急王都に応援要請を出すべきです。半数の騎士を失った状態では勝ち目がありません」
「その前に警備の強化を。どう急いでも応援が駆けつけるのは二日、遅ければ五日はかかるだろう。その間市民を守る策を練る。副団長を全員会議室に読んで来なさい。わしもすぐに向かう」
団長の言葉ですぐに補佐官と騎士は部屋を出て行った。自身も腰を上げ会議室に向かう。
「やれやれ、まさか暴虐が来るとは。これは冒険者ギルドへの応援要請も必要になるかもしれん。しかし」
なぜ賊は突然自供したのか。団長はそのことを考え始めた。
仮に、この話が虚言だったとして目的は何か。真実だとして、夜が明けた今からではこちらに十分な時間を与えてしまう。実に暴虐の虎らしからぬ行為だ。
暴虐の虎は盗賊団である。その行いは自ら名乗るように暴虐で非道なものだ。襲われた村々は全滅。人っ子一人生きていた者はいない。女性の死体が見つからないことから、連れ去られたか、奴隷として売られたものと推察される。
奴らがほかの盗賊と違うところは、襲撃から撤退までの時間が短いこと。また、襲撃において用意周到であること。この二つだ。
長期的に村を占拠することがないので足取りを掴みづらく、警備が厳重な街も容易に襲撃されることから、入念な下調べを行っているものと考えられる。また、暴虐の虎という名前は偶然捕えることができた末端の男から入手した情報だ。その全貌は明らかになっておらず、構成員は百を超えるとされる。
「小隊を組み、各位に魔法の使えるものを一人以上配備する必要があるか」
これまで襲撃された町の損壊具合から暴虐に魔法使いがいることは判明している。今回捕えることのできた賊の中に魔法使いは十名いた。これで全員なのか、別動隊がいるのか、わからないことだらけだ。
「団長!」
「む。緊急の用要件かね?」
一人の若い騎士が廊下を走って来た。汗だくで、少し顔色も悪いように見える。
「第十三部隊所属、警邏班のバストアです。自分は先日の襲撃時街で警備に当たっていました」
「報告なら既に聞いている。……わざわざ私のところまで来るほどの案件なのかね?」
バストアは息を飲んだ。
騎士団内において温厚と言わしめるほど、優しい目と雰囲気の団長は、古株の騎士であっても、感情をあらわにしたところを見たことがないと言われている。その団長が、怒気を放っている。
バストアはそれに気圧されたのだ。
「じ、自分は今回の被害で使用された毒薬に心当たりがあります」
この言葉に団長の片方の眉がつり上がった。疑問符とともに。
「それが本当なら、確かに重要な案件だ。しかし、君はどうしてそのことを報告しなかった」
「報告書に記載されていたと存じますが、今回、街中で幻惑系の魔法が使用された可能性があります。自分は先程までその検証や唯一の目撃者ということでその報告者をまとめていました」
記憶を掘り起こす。ほんの数分前のことだ、年をとっても仕事柄記憶力には自信があった。今回の襲撃事件の報告書。確かにその中に詰所の被害についての報告が書かれていた。
内容は幻惑系の魔法が使用された痕跡について、詰所の騎士が毒を盛られ錯乱状態に陥り襲撃のあった時間、警備が全く機能していなかったと。
「今回使用された毒物はバウレシアという魔物が吐き出す混乱の花粉を使用したものです。患者の症状がよく似ており、私見ですが、間違いないと思い、ご報告に上がった次第です」
こんどは「どうしてその毒について知っているのか」と問おうとして、やめた。脂汗を額にびっしりと敷き詰めて言った言葉に嘘はないだろうし、今は部下がもたらした情報に感謝するべきだろう。一線に結ばれた口元をほころばせた。
「そうかね。ではその報告、確かに受け取った。もう持ち場に戻り給え」
「……は、はい。失礼します。……怖かった~」
「聞こえているよ」
うふぉあ、と変な声を上げるとバストアは駆け足で持ち場に戻った。
「愉快な男だ。さて、バウレシアか」
聞き覚えがある。しかし、思い出すことができない。
どうやら記憶力がいいという自負は早々に取り下げなければいけないらしい。団長はため息をこぼすと会議室に急いだ。