二話
2
「へいも~ん」
兵隊の掛け声とともに開かれていた門が閉じられていく。
城塞都市『キムルン』の北に設置されたこの大門はキムルンの正門とされている。南と東にある二つの門はこれに比べると一回り小さく、装飾もいささか地味になる。
「仕事終わったら飲みに行かないか?」
昼から門番をしていた男が、交代がくる時間になると、相方にそう話を持ちかけた。
「あ~その、妻が妊娠してな、生まれるまではすぐに帰るつもりなんだ」
「ばっ、お前早く言えよ! こんなところでモタモタしてねぇで、あとはやっとくからもう帰れ」
「いいのか?」
「ば~か、奥さん大切にしろよ?」
「……すまん、今後なんか奢らせてくれ」
礼を言って交代がくる前に夜道を駆けていく。昼間は気づくことはなかったが、相当に心配していたらしい。
「か~、あいつも子持ちか。じゃあ、この仕事も辞めちまうのかもな」
騎士の仕事は常に命の危険が付きまとう。街の治安維持や盗賊団の討伐、要請があれば戦争にだって駆り出される。死亡数こそ冒険者の方が多いが、死亡率にそう違いはない。そのため結婚や奥さんの妊娠を機に辞めていく人も少なくはない。
「……にしても遅いな?」
交代の人間が定時を過ぎても現れないことに首をかしげた。相方を先に返しはしたが、それは本当にもう少しで交代の時間だったからだ。しかし、待てど暮らせど交代の先輩騎士が一向に現れない。この場合、先にいた人間が継続して場を受け持つが、上に遅刻等の報告をしなければならない。しかし、今回遅れている人は見習い騎士だった頃にお世話になった先輩だった。彼のことはよく知っていて、時間に遅刻するような人ではない。
「どうしたんだ……」
見習い時代、彼が時間を守らなかったことは一度もなかった。何かあったのでは? といらない勘ぐりをしてしまう。義務である以上報告書を書くが、場合によっては自分の方でもみ消すつもりだった。
「ん、誰だ?」
ふと、詰所の前に人の気配を感じた。
ペンのカリカリという音が消え、壁に立てかけてあった剣を掴む。そして、ゆっくりと扉に近づく。
扉にふれると、そっとあける。内開きの戸はなんの抵抗もなく開いた。開いた向こう側には見慣れた騎士甲冑をきた男が立っていた。顔に見覚えないが、先輩の警備仲間だろうか? そんな疑問を口にしようとしたとき、甘い匂いが鼻をくすぐった。
「あ、あぁぁぁぁ!!!」
「!? なんだっ!」
突然叫びながら襲いかかってきた男に向かって剣を振るう。傷つけないように鞘に入れたままだが、相手は抜き身だ。手加減していてはこっちがやられる。幸い思考する理性が感じられない。本能的に襲ってきているだけなら対処は簡単だ。
力任せにつばぜり合いを仕掛けてくる男を右にわざと逸らす。そして、前のめりにつんのめった男の首を後ろから締め上げた。剣で反撃する知能はないようだ、バタバタと子供のように手足を暴れさせるだけ。数分もしないうちに落ちた。
念の為に剣を奪い手足を拘束する。詰所にはそういった犯罪者を拘束するための道具ならたくさんあった。
兜を外して素顔を確認する。
「見たことないやつだ。同期じゃないな、先輩か?」
頭の中にある記憶をたどるも男の顔と一致する人物はいなかった。
詰所の外に出て周辺を見回すもおかしなところは確認できなかった。振り返って気絶している同僚を見る。
「意識混濁、無差別攻撃、そして甘い香り、たしか混乱の花粉だったか?」
森や山に生息する植物型の魔物が散布する特殊な粉のことで、花粉が体内に入り込むと一時的に錯乱状態に陥り意識がなくなって無差別に襲いかかるらしい。実際に見たことはないが、症状は一致していた。
「剣に血痕はついてない、ということは俺が最初の被害者か」
念の為に奪った剣の刀身を確認した。血痕はない。幸いにも犠牲者はいないらしい。そのことに安堵しつつ、元凶を探しに詰所を後にする。
「花粉を防ぐには布で口や鼻を覆う、濡れていればなお良し。さすがにこの場に水はないからなら、こいつで我慢だ」
騎士甲冑の下の服を破き、布の切れ端で即席のマスクとする。
左手を鞘に添えて幾ばくか心の平穏を得る。いくら騎士としての訓練を受けようと、暗闇と静寂のコンビネーションは人間の本能を揺さぶった。
頭を振って恐れを思考の外に追いやる。
相棒はなけなしの親切心で先に女房の元に返してやった。こんな危ない事件を幸せいっぱいのあいつにやらせるわけには行かない。
男は力一杯振り絞った勇気で、ランプを片手に先に進んだ。
一寸先も見えない暗闇の中を男は歩いていた。しかし、それは本来であればありえない光景だ。町人には、家に備え付けられている魔導ランプに魔力を注ぐことを義務付けられている。そのため平時であれば夜も出歩ける程度には街が明るい。しかし、一体は暗闇に包まれ、民家の壁面も見ることがかなわない。
男がこんな暗闇の中目指しているところは、騎士団の駐屯所だ。道中いくつかの詰所を当たりながら向かうつもりだが、そこで助力を得られる可能性は低い。
彼は冒険者からの転職で騎士になった。冒険者としての実績を積み、それを下地に騎士学校で騎士になった。故に実戦経験が乏しい騎士と比べると豊潤にある。騎士はそれこそ、戦争でも起きない限り駆り出されるようなことはない名ばかりの職だ。
最近は盗賊も冒険者が捉えることの方が多い。いくら騎士学校で厳しい訓練を受け、実力のある騎士でも、このような不足の事態にはめっぽう弱い。
先ほどの襲撃。あれが自分のところだけだとは考えていない。街の異常も含め、最悪詰所の騎士は全員死亡している可能性もある。
足を進める。周囲の物音や明かりに注意しながらでは、歩く速度も大したことはない。だからといって注意を怠ってはならない。冒険者の鉄則だ
詰所についた。光量が少ないので視界にはぼんやりとしか映っていないが間違いない。恐る恐る扉に近づく。ランプの灯りはとっくに消していた。耳を戸に当てて中を伺う。
……。物音は聞こえてこなかった。男は音もなくため息を漏らした。もちろん安堵ではなく、諦めからきたものだ。この時間、詰所に人がないはずがない。必然的に内部が既に制圧されているか、もぬけの殻か、二つに一つ。
ゆっくりと戸を押した。詰所の戸は一括してうち開きになっている。
よく手入れのされた戸だった。これがひどい所は開閉の度にキィと軋む音が聞こえ、枠が歪んで完全に閉まらない物もある。
手入れをしている几帳面な騎士に心の中で礼を言い、部屋を覗いた。その中の光景をみて、男は部屋に飛び込んだ。
「どうなっているんだ」
壁には男が手足を縛られて状態で眠っており、部屋の明かりは点いたまま。何より机の上には見覚えのある文字と言葉が綴られた紙が置いてある。
果たして、彼が飛び込んだのは自分が先ほど出立したはずの詰所だった。
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「おい、起きろ、おい」
「う、ううん」
霧島は馬車の中にいた金髪の少女を外に連れ出し、どこからか引っ張り出してきた毛布を敷いた上に寝かせていた。
気絶していたと思われる少女は外傷もなく、見た目は健康そのものだった。しかし、運ぶ際、けっして小さくない双丘がゆれ、霧島の精神をガリガリと削ったことは少女のあずかり知らぬところである、
盗賊の死体を片付け、馬車を燃やしたあと彼女を抱いて門の前まで戻ってきていた。そこで詰所に頼んで街に入れてもらおうとしたのだが、応答がない。仕方なく壁面に寄り添って一夜を明かすことにした。
チラリと眠っている少女をみた。呼吸するたびに山のような胸が上下する様は圧巻と言えたが、霧島の精神衛生よろしくない。少女に手を伸ばし、手が胸に触れるか触れないか、というところでバカバカしいとかぶりを振って正気に戻った。しかし、モヤモヤが収まらないので八つ当たりに夜が明ける前に起こすことにした。
これが全く起きない。
先程から声をかけ、肩を揺すっているのだが起きる気配がない。時々寝言を言うのだが、脈絡のない内容ばかり。さらに、肩を揺らすと当然体が揺れる、体の一部も揺れる。霧島は少女を起こすことを断念した。幸い一日徹夜する程度のことは、この半年で慣れてしまったし、ここで寝てしまうと朝に彼女より早く起きる自信もなかった。
右手にはめた腕輪を見る。既に所有者の譲渡は終了し、これは霧島のものだ。中身を一つとして見ていないが、それは隣で眠っている少女が起きた時にすることにしよう。
左手には盗賊から奪った戦利品、『陽炎・陰』。エンチャントウェポンと呼ばれる人口魔剣の一つだ。剣に埋め込まれた宝玉、材質は不明。これが所有者の魔力を吸収、変換することで闇属性の魔剣となる。一見魔剣としての機能を果たしてるように見える。しかし、本物の魔剣は宝玉のような変換器を必要とせず、また、剣が持ち主を選ぶ。人口魔剣は万人に使えるが強度に問題が出るなど、まだまだ未完成の品らしい。
人口魔剣の研究をしている国は三つ。エルシャーテ王国、マラン皇国、エクレマッゾ神国。巷の人口魔剣は、このいずれかの国が実験の意味も含めて流している、という噂もある。
「う、うう~ん」
「お、ようやくお目覚めか」
のんきに伸びをして体を起こしている少女に目をやって直ぐに逸らした。
美しい女性の体は目の保養になるというが、同時に目の毒でもある。
「アラン? アランはどこ?」
あの死んだ騎士の名前だろうか。あたりを探すように名を呼ぶが、当然返事はない。
はぁ、とめんどくさそうにため息をつく。その声を拾った少女はビクッと肩を震わせると、ジト目の霧島にようやく視線を合わせた。
「あの、アラン、私の護衛を知りませんか?」
「アウト」
「えっ」
投げかけられた質問地面に叩き落として、唐突に霧島はそういった。何を言われたのかわからない少女は「え、え?」と、あたふたしている。
「いいか、そう言う言い方は自分が身分の高い人物だと、他人に言いふらすようなものだ。せめて連れだとか、兄妹だとか、ぼやかした言い方をして」
「は、はい」
突然見も知らぬ男に叱られて、素直に返事をする。野に放つには危ない人種だと直ぐにわかった。
「あーあと、アラン、だったなお前の仲間は」
「はい。もしかしてあなたはアランの、その、お知り合いですか?」
腕を組んで「うーん」と唸り声を上げる。正直に話すべきだろう。しかし、このお嬢様に話して大丈夫なのか、霧島はとてつもなく不安になった。
「あの?」
両手をついて身を乗り出すように返答を促す。腕に挟まれた胸が、存在をより強調させた。霧島は慌てて視線を逸らした。
「あ、ああ、アランは、死んだ。そして、俺が護衛の任を受け継いだ」
多少、いや、かなりどもってしまった。
直前に柔らかそうな二つの果実を見たせいで、配慮も何もなしに死を告げてしまった。
言ってしまってから自己嫌悪に陥りながらチラッと、彼女を盗み見る。
「……そう、ですか。アランが」
思っていたよりもショックは少ないらしい。
少女は目を閉じ、手を合わせ、天に祈りを捧げた。
「アラン、どうか天国で」
「……意外だ」
「どうされました?」
「てっきり取り乱すかと思っていた」
かなり意識が回復してきたのだろう。先程よりも表情が凛としている。言葉使いもどこか上品さを感じさせた。
霧島の言葉をどう受け取ったのか、クスと微笑むと笑みを浮かべたまま彼に向き合った。
「……ショックではない、というと嘘になります。彼は私が幼い頃から一緒にいてくれましたから。ですが彼は、アランは騎士としてはあまりに才能がありませんでした。今回、私の護衛を引き受けてくれたのも、彼以外の騎士が断ったからです。彼には悪いと思っていますが、この旅は半分、死ぬことを受け入れたものだったので、彼が死んだことも受け入れます」
「そう、か。まあここに来るまでに何があったのかはどうでもいいさ」
霧島はようやく顔を出した太陽に目をやりながらそう答えた。てっきり根掘り葉掘り事情を聞かれると思っていた少女は思わず、ポカンとはしたない顔を見せてしまった。
慌てて姿勢を正す彼女をよそに、霧島は言葉を続けた。
「俺は……お前の事情は知らない、アランに聞いていないし、お前から聞くつもりもない。だけど、俺はアランから護衛の任を引き継いだ。だから、何をするつもりなのかは教えてくれ」
「……よろしいのですか? 私は、その、家と絶縁状態にあります。残念ながら報酬をお支払いすることができません」
「報酬ならもらっている。これだ」
「これは……」
少女の目の前に提示したのは、右腕にはめられた腕輪。アイテムボックスの魔法が付与されているマジックアイデムだ。これ一つで別荘が立つほどの値段をする。その上中身まで自由にしていいと言われているのだ。報酬としては十分だった。
腕輪の価値を十分に理解していてた少女は納得の言ったように頷いた。
「それでは、契約期限ですが」
「無期限。契約の破棄は相者の合意のみ」
「え、ええ?!」
今度ばかりは声を荒らげてしまった。
霧島は全て本気で言っている。しかし、それをほかの人間に理解しろというのは無理な話だ。
少女は顔をしかめた。そして、目には疑惑の色が浮かんでいる。当然、霧島の言葉を信用できないからだ。
「……余りにも虫のいい話ではありませんか? 内容があまりに私に有利すぎます。アイテムボックスの腕輪の値段を鑑みても、護衛任務は二年が限界です」
先程よりも声に凄みを感じる。
これは貴族の可能性が大きくなったな、と苦笑しながら霧島は思った。そして、自分の頭が馬鹿でないことに喜んだ。
「いや、俺にとっては願ってもない話だ」
顔を少女に向け、ようやく二人は正面から向き合った。
「俺はやりたいことがないんだ。夢はないし、今の生活にも特別に困っていることはない。だから、お前の話は願ったり叶ったりなんだ。報酬が払えないだったか? なら、俺への報酬は面白い日常でどうだ?」
少女は呆気に取られてしまった。どうやら霧島という人物は、今まで自分があってきたどの人とも違うらしい。
顔は面白そうに笑っているのに、その実、目には暗闇が広がっていた。追求したい気持ちに駆られるが、今はぐっとこらえる。
少女はほんの少し躊躇するような仕草を見せたが、悩んだ末、考えをまとめた。
「分かりました。これから私の護衛として付いてきてください」
「了解。まあ、これからよろしく頼む。えっと?」
「ああ、忘れていました。私たち、まだ自己紹介していませんでしたね」
そういえばそうだったと、二人して笑った。
「霧島だ。霧島純也、歳は十六歳」
「アイリーン・ヒィーストリラ。十五歳です」