一話
1
ハンデス大陸の南方に位置する城塞都市『キムルン』。
そこからさらに南下したところにある大湖『ミスリー』。そこで黒髪黒眼の一般的な日本男児が、一人釣り竿を手に釣りに勤しんでいた。彼の名前は『霧島純也』、十六歳の少年である。
彼の生活はこの釣りで成り立っている。
毎朝太陽が登る前に城塞都市キムルンを出発し二時間、このミスリーにやってきて日が落ちるまでの時間を釣りに費やす。そうして釣り上げた魚をキムルンで売却。魚は持ち運びできる生け簀に放り込み、新鮮さを保つことで通常よりも高値で買い取ってもらうことができる。そのあとは料金を先払いしている宿屋で夕食を食べて寝る。こんな生活をかれこれ半年続けている。そのさらに一ヶ月前は宿代すらも無く、街の外で野宿をしていた。
湖で取れる魚が重宝されているという情報を入手したとき、これしかないと行動を開始した。適当に作成した釣り竿から始まり、だんだんと収入を増やし最近ようやく上等な竿と生け簀を購入した。
「ふわぁ~、ああ、今日はもうダメかな」
あくびを噛み締め、気の抜けた言葉が代わりに口から漏れる。日が傾きもう何時間もしないうちに太陽は地平線の向こうに沈むだろう。半年も同じ場所で釣りを続けていればそれくらいはわかるようになった。
糸を水面から引き上げ、収穫ゼロの生け簀から水を湖に戻してさっさと撤収する。
キムルンとミスリーを行き来する道は二つ存在する。一つは街を湖を隔てる森を真直ぐ抜ける道。もう一つは森を避けて大きく迂回する道。ミスリーからキムルンに向かって右側に森は続いていて、左は大きく開けている。一般的に街から湖への道はこっちを指す。森には魔物が多く出現するからだ。好き好んで魔窟に飛び込む者はいない。
霧島もその例に漏れることなく森を迂回する。
「今日の収入ゼロ。一応宿は二三日とってるけど、安心できないしな~」
ひびの暮らしに不安を感じ愚痴がこぼれ落ちていく。
キムルンへの道も半ばまで差し掛かると、真っ赤な夕日が霧島を横から照りつける。いつもは釣りをしながらゆっくりと地平線に沈んいく様を観察していた。地元では絶対に見られない景色に当時は感動していた。しかし、半年も同じ光景を見ていれば飽きてくるもの。最近は太陽にお疲れ様ですと声を掛けるようになった。大した意味はないが、一日中一人でいるからコミュニケーションに飢えているのかもしれない。
「……悲鳴が聞こえる」
それ自体は珍しいことではなかった。迂回していても森との距離はそう離れてはいない、たまに調子に乗った冒険者が森に入り返り討ちに合う、その時に聞こえてくる悲鳴を半年で何度か耳にした、今では慣れてしまって心も揺れない。初めて聞いたときは見えないところから聴こえてくる悲鳴にビビりまくっていた。
霧島はいつもと同じように無視しようとして気づいた、目と鼻の先で馬車が盗賊に襲われていることに。
注意して聞いてみれば確かに声の発生源はその馬車からだった。
「最悪だ、よりによって盗賊かよ」
まだ森からはぐれた魔物の方が良かった。奴らは食べ物の匂いにつられて森の外に出てくることが稀にある。そのときは食べのもを囮にさっさと逃げてしまえばいい。
盗賊を相手にする場合、緑レベルの強さが必要になると聞いている。どう考えても一般人に勝てる相手ではない。
「はあ、冒険者ギルドへの報告、奪った装備品の鑑定と売却、助けた人のケア? 見捨てて逃げたい」
しかし、霧島はただの一般人ではない。あの程度の盗賊ならば倒せないこともないのが、本人からやる気を感じられなかった。「積極性に欠ける」と九年連続で一、二、三学期全ての通知簿に書かれた実績は伊達ではなかった。しかし、そんな彼の心情など知ったことかと神は仰せられた。
こんな見晴らしの良いところで見逃されるはずもなく、十数名いる盗賊のうち三人ほどが霧島のもとにやってきた。遠くからではわからなかったが、何が面白いのか三人とも残忍な笑みを浮かべていた。この様子だど馬車の方にいる連中も同じような顔をしているに違いない。
「悪いね~兄ちゃん。いつもなら身ぐるみ剥いで殺しはしねぇけど、今日は運が悪かったね」
「お頭からの命令でな、お前さんの命が欲しいらしい」
「自分の運のなさを恨むんだな」
どうやら思っていたほど残忍ではないようだ。身ぐるみを剥ぐ時点でどうかと思うが、命までは取らないという。しかし、口封じが目的となるど、今日は特別見られたら困る案件ということになる。
「……まあ、どうでもいいけど」
盗賊には聞こえない程度の独り言だ。持っていた釣り道具を地面に置く、心底どうでもいいと、だんだん霧島から表情が抜け落ちていく。
雰囲気の変化に気づいた盗賊に緊張が走った。へらへらとした笑みを引っ込め、真剣な表情を浮かべる。どうやら快楽主義者ではないらしい。
完全に表情が抜け落ちて無表情になったところで、盗賊が動いた。
霧島から一番近く、左側に居た男は手に持ったナイフで切りつける。盗賊としての経験があるのだろう、素人にはできない素早い動きだった。
迫ってきた刃物に臆することなく霧島も動いた。ナイフをかわしてスッと懐に入り込むと、伸びた腕をつかんで一本背負い。動けなくなっている間にナイフを奪って喉元を切り裂いた。喉から血しぶきが上がり顔を濡らすが気にせず残りの二人に接近する。
一瞬で仲間が殺されたことに動揺したのか動かないのでこれ幸いと近くにいた男の膝を一突き、痛みでうめき声をあげる暇も与えず顔を蹴り上げる。
ようやく動き出した三人目が横から襲いかかってくるも、冷静に対処し頚動脈を正確に切った。最後に呻いている二人目の心臓めがけて一刺し。これで三人を屠った。視線を馬車に向けると護衛がいたのか剣を持った男が盗賊相手に大立ち回りを演じていた。しかし数の有利の前ではそれも時間の問題だ。
亡骸からナイフを奪うと馬車まで駆け寄る。二百メートルもあった距離を十秒足らずで走り抜けると背中を晒している男を背後から襲って切り殺した。
男が崩れ落ちる音でその場にいた全員が霧島の存在に気づいた。
「テメェ、一体どこから現れやがった!」
「このヤロウ、良くも仲間を!!」
「コイツ、さっきパウロたちが始末しにいったやつじゃ?」
ごちゃごちゃ喚いて状況を瞬時に判断できない奴から死んでいった。一人、また一人と首を切り裂かれて地面に倒れ込んいく。残りが半分になったところでようやく盗賊たちの間に恐怖が伝染し始めた。怯えたように足を震わせ、一歩一歩後退する。そのまま帰れという気持ちと、ここで逃がしたら報復が面倒だという矛盾した感情を心に抱くが、結論が出る前に護衛の剣士のところに到着した。
「利害は一致していると思う。状況を教えてくれ」
「……今は時間が惜しい、君を信用するとしよう。連中は馬車の中におれらるある御人を狙っている」
彼の話では馬車でキムルンの隣町『アバール』からやってきたらしい。彼は馬車の中の人物の護衛として付いてきた。もう少しでキムルンに到着するという気が緩んだところを襲われた。話を聞きながらチラッ、と馬車の方を見ると馬車が地面に沈んでいる。あらかじめ落とし穴のようなものを用意していたのだろう、馬が馬車の下敷きになり足を失ったところで盗賊が森から現れた。
盗賊が森に隠れていたことには驚きだが、一連の騒動に気付かなかった自分にも驚いた。思っていたい以上に夕日に見入っていたらしい。
「相談は終わったか?」
律儀に会話が終わるのを待っていた盗賊の中から一人、身なりのいい男が出てきた。おそらくは彼が盗賊の首領なのだろう。
「抵抗をやめれば、苦しまずにあの世に行けるぜ?」
「誰が貴様らなんぞに降伏するものか! この命をかけて御方をお守りすることが我が使命!」
ある御人とやらが貴族か、最悪王族の可能性が出てきてしまった。彼の発言を鑑みるに、彼は冒険者に扮した騎士の可能性もある。ようやく安定してきた日常に火種が出来そうになり、霧島は心の中で嘆いた。
「そうかい、だったら苦しみながら死んでいきな!!」
首領らしき男が叫ぶと盗賊たちの士気が回復したのか再び襲いかかってくる。
霧島は勢いよく飛び出すと盗賊たちの間を縫うように動き、動きの悪い奴から仕留めていく。
「バケモンが!」
「能面やろう、くたばれ!!」
一人ではダメだと判断したのか、二人ががりで挟み撃ちを狙う。しかし、霧島は冷静に片割れの懐に飛び込むと首を切り裂いて振り返りざまにもう一人の首も切った。
「連携もろくに取れないくせに、挟み撃ちとか片腹痛い」
完全に棒読みで大きめに言ってやれば、簡単に挑発に乗って斬りかかってきた。
「死ねやぁ!」
叫びながら突撃してくる馬鹿をさばきながら剣士の彼と盗賊の首領の戦いを盗み見る。一見互角に見える剣戟だが、剣士は首領の剣撃を上手くいなしている。それに対して首領は剣を合わせるたびに切り傷が増えていく。剣士の方が実力は上。しかし、連戦の疲労のせいか動きのキレが鈍ってきている。それでも互角に戦えているのは彼の鍛錬の賜物だろう。弱者から奪うだけの連中の実力が彼に勝るはずもない。
「さっさと終わらせて晩飯だ」
もう日が沈む、あと数分もしないうちにあたりが暗闇に包まれる。暗闇の中盗賊の死体を片づけたり、死体の匂いで森から魔物が出てきても対処に困る。
最後の一人の首を裂く。あとは剣士が首領を倒せば終わる。
「ぐあぁぁ!!」
剣士の声が闇の中で嫌に響いた。
「つえーつえー、まともに戦えば勝てねぇよ。けどなあ、まともに勝負する必要なんかねえんだよ!」
ふたりの戦場を見れば、左の二の腕から先が無くなった剣士と、血のついた黒い陽炎のような剣を持った首領。勝敗は火を見るよりも明らかだ。しかし、霧島は勝敗よりも首領の持つ剣に気を取られていた。明らかにエンチャントウェポン、それも中級以上の付与魔法がかけられている。盗賊程度が持っていていい武器ではない。
「……エンチャントウェポンだな」
「ほう! 知ってんのか小僧。こいつは青プレート冒険者のパーティーを襲撃した時に手に入れたもんでな、名を『陽炎・陰』つって、所有者の魔力を吸って闇属性が剣身にエンチャントされる。その効力は幻影、刃渡りや斬撃なんかをごまかすのさ。伸びたり縮んだり、攻撃のヒットの瞬間がずれたり」
よく見れば剣身の根元に黒い宝玉が埋め込まれている。あれがあの剣をエンチャントウェポンたらしめているのだ。
「種明かしが済んだところで坊主、次はお前だ。お前に殺された仲間の仇は打たなといかねぇからな」
「これから殺す相手に情報を渡すなんて、馬鹿なのか?」
「ハンデだよハンデ! 坊主がつえーのはわかるけどよ、俺様に勝てるわけねぇからちょっとでも勝てる可能性をプレゼント!」
「……最後の言葉はそれでいいか?」
「あ? ……ぷっ、あはははは! お前! マジかよ俺に勝てるつもりかぁ?」
完全に霧島を舐めている。自分が絶対に負けないという強い自信があるのが分かる。その根拠が武器に求められているあたりが盗賊らしい。
「確かにそのエンチャントウェポンは強力だ。だけど最強じゃない」
「ぐだぐだ言ってねぇでかかってこい! それともビビっちまったかぁ?!」
佇まいを正し、右手を真直ぐ伸ばして男を指差す。
「……フラッシュ」
呪文を詠唱すると指先から眩い閃光が辺り一帯を明るく照らした。
「なに!? テメェまほうっ?!」
「余裕ぶっ漕ぎすぎだ」
閃光で目を眩ませてその間に首を裂いた。
「子分たちと同じ方法で死ねるんだから感謝してくれ」
物言わぬ仏と化したそれを一瞥して剣士のもとに駆け寄る。
「大丈夫か? ヒール」
「……驚いた、君は魔法使いか」
「驚いているところ悪いが傷を塞いだだけだ、腕はくっつかないしないし、失くなった血は戻らない。直に気を失う、何か言い残すことはあるか?」
回復魔法の上級になれば欠損部位の復元、中級でもちぎれた部位を繋げることができる。しかし、初級しか使えない霧島では腕はくっつかないし、中級の増血魔法も使えない。本当に気休め程度なのだ。
「そうか、ならば頼みが二つある。できれば完遂して欲しいが、君にその義務はない、逃げてくれても構わないよ」
「いいから話せ、時間がない」
顔色は真っ青、右手首でとっている脈も弱くなっている。
言葉が聞けなくなる前に全て話して欲しかった。
「……一つはこの腕輪だ。これは冒険者の証で、アイデムボックスの魔法がかかっている。中身を全て君に、あげよう。譲渡の合言葉は『ジューン』。もう、一つの、願いは……どうか彼女を守ってほしい。君に、その義務はない、しかし、どうか、彼女を、頼む!」
ほとんど動かせない右手で霧島の腕を掴み、必死に婚がしてくる。
同情したわけではない。しかし、霧島も血の通った人間だ。その願いを無碍にするほど冷血ではない。真剣な表情で頷くと、霧島はその依頼を了承した。
「……わかった。どうせやりたいこともない、飽きるまではその彼女さんの相手をしてやる」
「ふっ、かたじけない」
最後に笑顔を浮かべると、最後まで使命を全うした剣士は息を引き取った。