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雪の街のユーリ

霧の街のユーリ

作者: Robin

「 雪の街のユーリ 」の続編になります。

少しでも楽しんで頂けたなら幸です。

*5/22 後半の一部を変更しました

 ミストの街の朝は霧が濃い。

 街を挟むようにある山から霧が降りてくるせいだ。

 視界はミルク色に染まって、腕を伸ばせば指先すら見えない。春が近づき雪が減ったとはいえ、まだまだ冷え込むこの時期に、霧に巻かれ道に迷えば凍死しかねない。


 そんな冷たい霧の中、ミストの街から少し離れた山中に人影が浮かび上がった。人影は霧に惑う様子もなく、森閑の中をくすいすいと泳ぐように進んで行く。

 朝とはいっても日が顔を出しきらず薄暗いこの時間に出歩くとは、どんな酔狂か、それともこの世の者ならざる幽鬼の類いだろうか。


 霧のなかから姿を現したのは、一人の青年だった。

 長めの黒髪と羽織った灰色のコートは霧を含んで重たく濡れている。前髪から覗く涼しげな目元は、長い睫毛に霧の滴をのせて、煙るようなグレーの瞳をより神秘的にみせていた。細身の身体に纏う色は地味であるのに、不思議と目を惹かれる雰囲気がある。


 青年は大きな荷物を幾つか引きずって歩いていた。

 両手にぶら下げる様に掴んでいるのは、彼自身と同じくらいの大きさで、それを両手に二つづつ。見た目通りの重さであるなら、どちらかといえば非力そうな青年に運べる物とは思えない。

 今も歩を進めるたびに荷物が半ば凍った雪道をざりざりと削る音が辺りに響いていた。


 木々がまばらになった場所まで来ると、不意に青年は立ち止まり、音もやんで静寂が戻った。

 両手の荷物を下ろした青年は何やらコートの中をごそごそと探って、取り出したのは一つのランタンだった。


 火の点いていないランタンの扉を開けると顔を近づけフッと中に息を吹き込む。

 すると不思議なことに、ポッと音をたててロウソクの先に火が灯った。火はポッポッと跳ねると瞬く間にランタンの中を飛び回り、しまいには目を開けていられない程の光が溢れだした。

 青年の魔法か、ランタンが魔道具なのか、どちらにしても普通の火でないのは明らかだ。


 青年は満足げに頷くと眩しく輝くランタンを掲げて二、三度と振ってみせた。

 少し間をおいて、またランタンを振る。

 しばらくすると青年の向かい側で同じように光が揺れた。

 何かの合図なのか。

 それを確認した青年は、今度はランタンの傘の縁を指先でするりと撫でた。すると光はしぼむように小さくなり、指が離れた時にはロウソクの先がチロチロと燃える程度の小さな火になっていた。


 青年は普通に戻ったランタンを腰に提げると、また荷物を引きずって歩き出す。

 目指すは応えのあった場所だった。





*******





 今日は真夜中から大忙しだった。

 ミストの付近の山中に張った罠から反応があったからだ。

 罠はミストラビットを狙う密猟者達を捕まえる為にはったもので、獲物がかかれば何処にいても知らせが届く様になっている。

 おかげでユーリは、暖かい布団に名残惜しく別れを告げて、しぶしぶ寒風吹き荒ぶ山へとやって来たのだった。


 夜間に密猟者が来ることは稀である。いくら春が近づいたとはいへ、まだまだ雪深い山は、夜に歩き回れるほど易しい場所ではない。

 しかし今年は密猟者のことごとくをユーリが捕まえてしまった。それに焦りを覚えたのか、先週頃から増えはじめた密猟者たちも、今日になって夜中に団体さんでやって来た。

 しかしどんなに人数を増やしてバラバラに動いても、ミスト周辺の山に一歩踏み込めば、すべてはユーリに筒抜けだ。

 今日も密猟者たちは、何も判らぬまま眠りの世界に落とされた事だろう。


 あとは彼等が凍死する前に関所まで運べば、ユーリの仕事はおしまい。何時もに比べて人数が多いが、今日もそうなるはずだった。


「 騎士には近づきたくなかったのになぁ。だからって、こいつらこのまま外に放置するわけにもいかないし 」


 ユーリがいつものように、捕らえた密猟者を連れて関所に顔を出すと、顔見知りの兵士が困った顔をして出迎えた。

 どうしたのかと思えば、関所の牢屋が密猟者で一杯になってしまったので、騎士団の砦で預かって貰うことになったという。

 王都に送るにしても、もう少し雪が減らなければ送っていく兵まで雪にのみ込まれてしまう。それまで勾留するしか無いのだが、すでに関所の牢屋はユーリの捕まえた密猟者で満杯状態。しかも今回捕まえた密猟者は団体さんだ。とてもじゃないが、そんな余裕はなという。

 すでに話は通してあるので、捕まえた密猟者を、騎士団の砦に連れて行くように頼まれたのだった。 


 この道を密猟者を引きずって歩くのも、今日はすでに三度目になる。最初は怪しまれないように、二人づつ運んでいたが、どうにもめんどくさくなって、今回は四人も連れてきてしまった。それでもまだ山の中に六人も残っているのだから、本当にうんざりしてしまう。

 捕らえた密猟者の扱いが、多少雑になったとしても許されるだろう。


 長い間冷たい外に居続けたせいで、冷えた体は痺れたように感覚が無くなりつつある。寝不足の頭は周りの霧を吸い込んだようにボンヤリ霞がかかっていた。

 最近は疲れを感じることもそう無かったのに、今日はいやに体が重い。行きたくない場所に向かうストレスが、ユーリにそう思わせているだけかも知れないが。


「 あーもう、最悪。早く帰って暖かい布団で寝たいなぁ 」


 ユーリのついたため息は、白く凍って霧に融けていった。





 ユーリは、目の前に聳える巨大な石造りの壁を見上げた。

 辺りはまだ薄暗く、ようやく差し始めた朝の光も高い壁に阻まれ、夜の気配を色濃く残していた。


 霧が濃いせいで視界が白く煙り、まるで夢の中を漂っている様だった。

 目の前の壁も天辺が霧に隠されていて、どこまでも高く続いているように見える。ここが世界の果てだと言われたら、信じてしまいそうな威厳があった。


 もしもここが本当に世界の果てだとしたら、壁の向こうはどうなっているのだろう。

 何も存在しない真っ暗闇だろうか。それとも宇宙に繋がっているのだろうか。もしかしたらマンションの隣り合う部屋のように、こことは違う世界が壁の向こう側に広がっているのかも知れない。


 例えばユーリの生まれた世界が、この壁の向こう側に広がっているとしたら。


 機械仕掛けの箱が道路や線路を走り、灰色の建物が連立するもう戻ることのない世界。電気信号が飛び交い、0と1に感情をのせて、あるいは隠して生活を送る不思議な人々。空には機械の鳥が雲を引きずって飛んでいく。


 瞼を閉じると、飛行機の飛び立つときのエンジン音が、木々のざわめきに重なって聞こえた気がした。電車のならす高い警告音。車のクラクション。オフィスに響く電話の音。次々と懐かしい音を想像するうちに、だんだんここが何処だか分からなくなってくる。


 堪えきれずに瞼を開くと、そこには相変わらず霧に白く包まれた石造りの重厚な壁があった。冷たくなった体も、その視線の高さも、前よりだいぶ短くなって額に張り付く濡れた髪も、着なれた灰色のコートも、全てそのままだった。


 深く息をつくと、冷たい霧を吸い込んだ鼻がつんと冷えて、ユーリは小さなくしゃみをした。


 こんなに感傷的になるのも、全てこの霧のせいだ。

 白く煙った視界がまるで催眠術のように、心の奥にしまい込んだ記憶や感情を引き出していく。

 

 ユーリは頭を乱暴に振ると、明かりの灯った入り口を探して再び歩き出した。



 

 

 ユーリは木製の扉に取り付けられたノッカーを、コンコンと軽く打ち鳴らした。

 この扉を鳴らすのも、今日はすでに三度目だ。少なくともあと二回は、またここに来なければならないだろう。ユーリは浮かんだあくびを噛み殺しながら、心底げんなりした。

 すると覗き窓が開き、暖まった空気と共に明かりが漏れ出した。


「 おはようございます、冒険者のユーリです。密猟者を連れてきたので、確認をお願いします 」 


 ユーリが覗き窓に声をかけると、先程来たときとは違う声が返って来た。


「 ご苦労様。一応決まりだからギルドカードを見せてくれるかな?………うん、ありがとう。今開けるから少し待っていて 」


 ユーリはひどく嫌な予感がした。

 扉から聞こえる穏やかな話し方も、低く優しい声も、ユーリのよく知る人物を連想させる。

 心が発する危険信号に従って、ここから逃げ出してしまおうか。

 密猟者さえ届ければ、後はどうとでもなるはずだ。

 

 しかし、ユーリが踵を返すよりも早く、重い音をたてながら分厚い扉が持ち上がり、中から槍を構えた騎士が二人出てきた。厚手のコートを羽織った騎士は、周囲を確認すると槍を下ろしてユーリの方へやって来た。


 逃げそびれたユーリは、その間ランタンを顔の横に掲げて立つ他なかった。こうなってしまえば、許しが出るまで動くことはできない。


「 ご苦労さん。寒いなか大変だったな 」

「 騎士さまも、朝早くからお疲れ様です。……あの、さっきの声って 」

「 ああ、騎士団長殿だ。さすがに今回ので、この冬十組目だろう?直接お前と少し話がしたいそうだ。中に入って、ついでに暖まってこい。お前、びしょ濡れじゃないか。そのままじゃ体を壊すぞ?…おい、何か拭くものを持ってきてくれ! 」

「 いや、待って下さい。まだ六人ほど山に残ってるんですよ。一応眠らせてはいるんですけど、このままだと凍死してしまいますから 」


 相手が犯罪者とはいえ、さすがに死なれては寝覚めが悪い。自分や仲間の命が掛かっていない状況で、人の生き死にを背負うのは真っ平御免だ。

 それに、その騎士団長殿とやらに会うのからも、逃げ出すことができる。


 声の主がユーリの予想通りなら、会うのは絶対にまずい。

 いくら女神の封印が効いているとはいえ、直接会えばユーリのことを思い出す可能性もある。今の姿が彼の知っているユーリとは変わっていたとしても、それでも分かる人には分かってしまうだろう。


 今の姿を昔の仲間たちに知られるのが、ユーリは何よりも怖かった。


「 なので、話は密猟者を全員連れてきてからにして… 」

「 ユーリ君、いいから来なさい。我々にとっては密猟者などより、君の方がよっぽど大事だよ。ほら、これでよく頭を拭きなさい 」


 しかし、そんなユーリの逃げ口も、その穏やかな声の主によって完全に塞がれてしまった。

 騎士団長自ら凍える外に出て、ユーリの霧を含んで濡れた髪を乾かすように、大きな布で包みこんだ。


「 ……まったくこんなに冷たくなって。君はいつも、自分自身のことに無頓着すぎる。少しは周りに頼ることを覚えなさいと、何度も言っただろう? 」


 被せられた布越しに呆然と見上げるユーリの顔に、大きな手がそっと触れた。ユーリの冷たい頬の輪郭を指先で撫でたあと、暖める様に柔らかく包み込む。


 久しぶりに見た彼の人の顔は、以前と変わらず優しく整っていた。淡い金色の睫毛に縁取られた瞳は冬の空の様に澄んでいて、その瞳の透明さにユーりは迷子の子供みたいに途方にくれた気持ちになった。

 

「 ……セヴェリスさん 」


 助けを求める様に名前を呼ぶと、彼はその優しい目元をくしゃりと泣き出しそうに歪めて答えた。


「 ……お帰り、ユーリ君 」






「 暖炉の側に座って暖まりなさい。そのままでは、本当に体を壊してしまう 」


 セヴェリスに促されたユーリは、おずおずと暖炉の側に置かれた揺り椅子に腰かけた。暖かな火に照らされると、すっかり冷えきった体が、痛いくらいにびりびりと痺れだした。

 温度の変化についていけず悲鳴をあげる体は、まるで今のユーリの心境を表しているようだった。

 

 騎士の砦の中でも上階にあるこの部屋に連れてこられたユーリは、呆然としているうちに濡れたコートを剥ぎ取られ、ブーツを脱がされ、おそらくセヴェリスのものだろう、ユーリには少し大きめのローブを羽織らされた。

 肩からずり落ちそうになるローブを押さえて、暖かいお茶を差し出す男を見つめる。その煙るようなグレーの瞳は、懐かしさよりも戸惑いを多く含んでいた。


「 飲みなさい。少しお酒が入っているけど大丈夫だろう?飲んで少しでも早く体を暖めなさい 」


 しかしユーリは、差し出されたお茶には手を伸ばさずに、ただじっとセヴェリスを見つめていた。


「 …どうして僕が分かったんですか?いつ記憶を思い出したんですか? 」

「 君のことを思い出したのは、君がいなくなって暫くしてからだよ 」

「 …そんな、なんでそんなに早くから。女神の封印はあなた達にもしっかりと効いていたはずだ 」


 セヴェリスの言葉に、ユーリは信じられない気持ちで言葉を溢した。

 闇の王との戦いの最後、ユーリだけが闇の王と二人で女神の前へ呼び出された。残された仲間達はその後眠らされて、世界中の人間と同じように、女神によってユーリに関する記憶を封じられたはずだった。

 この世界を創造した女神による封印が、そんなにあっさりと解けるなんてあり得るだろうか?


 お茶をテーブルに置いて、向かいの椅子に腰かけたセヴェリスは、驚きを顕にするユーリを静かに見つめ返して言った。


「 最初に君のことを思い出したのは、アルバだよ。彼は君が居なくなった事に気づいて、すぐにまたあの場所へ引き返した。でも、あそこにもう君はいなかった 」

「 ………アルバ …なんで… 」

 

 アルバ。

 それは女神によって連れ去られたユーリが、この世界で初めて会った人間だった。 

 灰銀色の髪と瞳に、狼の耳と尻尾をもつ寡黙な獣人の青年は、森のなかで魔獣に襲われて死にかけたユーリを助け、その後、闇の王を倒すための旅にもずっとついて来てくれた。

 この世界の事を殆ど分からないユーリは、随分と言動の怪しい存在であったはずだ。それなのに彼は何も聞かずに、兄の様に師の様にユーリを教え導いてくれた。

 彼がいなければ、ユーリは女神の願いを叶えることはできなかっただろう。


「 ……君が私達のもとへ帰って来なかったのは、その姿のせいなんだね 」

「 …………… 」

 

 セヴェリスの言葉に、ユーリは唇を噛み締めた。

 ユーリの今の姿は、仲間と共に戦った闇の王とよく似ていた。

 それもそうだろう。ユーリは闇の王を身の内に取り込んで、新たな闇の王となったのだから。


 ユーリはこの世界の生まれではない。

 ユーリは女神の作った、この世界に似せたゲームを通してこの世界に連れて来られた。

 女神の願いは、闇の王からこの世界を守ること。

 光の女神によって創造されたこの世界には、もともと闇の王などいなかった。しかし、強い光はその分濃い影を産み出す。生まれた影は、光によって疎まれて、世界の隅に追いやられた。その影はだんだんと集まり大きくなって、やがて闇の王が生まれた。


 闇の王は、自分を受け入れない世界を憎んで、この世界を闇で覆い尽くそうとした。

 獣を闇に染めて力を与え、魔獣を産み出した。その魔獣に人を襲わせて、人間に恐怖と憎しみを植え付け、人の心を闇に染める。そうして少しずつ、闇の王は力を強めていった。

 

 世界が闇に飲まれることを危惧した女神は、この世界のなかでも強い光の親和性をもつ人間に力を与えて、闇の王を討伐させた。

 しかし闇の王を倒しても、暫くするとまた闇が生まれて、再び闇の王が現れる。倒しても倒しても、闇は無くなることはく、闇の王は何度でも姿を現す。繰り返されるそれは、次第に女神の力を削り、世界の光の力を弱めていった。 


 追いつめられた女神は、他の世界から闇の親和性の強い人間を連れてきて、新たな闇の王として闇を管理させることにした。

 そして、女神の作ったゲームによって選ばれたのがユーリだった。


 ゲームのキャラクターとなって、この世界に連れて来られたユーリは、何も分からないまま途方にくれた。

 アルバと出会った後も暫くは、男に変わってしまった体と、もとの世界と全く違う生活様式に馴れるのに精一杯だった。


 ようやく生活になれてきた頃、ユーリはゲームのストーリーを辿る様に闇の王を倒す旅を始めた。闇の王を倒せば、もとの世界に戻れるかもしれないと思ったからだ。

 

 ついて来てくれたアルバと、途中で得ることのできた仲間と共に、四年もかけて世界中をまわった。

 旅はゲームのシナリオ通りにに行くこともあれば、全く違う結果になることもあり、不安で何度も挫けそうになった。しかし旅を通して沢山の人間と出会い、この世界で生きる過酷さと、世界の美しさを知った。

 戦いかたを覚えて、死ぬことに怯えて、生きる喜びを知った。

 仲間と共に笑い、時に泣いて、沢山の事を教えられたユーリは、元の世界に戻るよりも、ただ、この世界を守りたいと思うようになった。愛する人が暮らす世界を壊されたくないと思った。


 ユーリはこの世界を好きになった。

 この世界に生きる人間を好きになった。

 ユーリはアルバに恋をした。


「 アルバは今でも君を探して旅をしているよ 」


 ユーリは俯けた顔を震える両手で覆い隠した。

 泣いてしまいそうだった。


 あの寡黙な青年にそれほど思われていることを、嬉しく思う自分に嫌悪感が沸き上がる。

 心は女であっても、体は男のもので、そして自分はこの世界の憎むべき敵である闇の王となった。そんな自分が彼の側に居られるはずがない。

 だから、女神に闇の王とされたとき、ユーリは1つだけ願いを叶えて貰った。


 世界中の人間からユーリの記憶を消すこと。


 この世界にユーリがいた、という記憶を全てなくして貰うこと。

 もしもユーリの変わり果てた姿を見た彼らに、嫌悪の眼差しで見られたなら、ユーリはこの世界を憎んでしまうだろう。世界を守るために力を使い果たし、枯れた枝木のような、皺だらけの老女の姿になってしまった、哀れな女神を恨んでしまうことだろう。

 そしてユーリが闇に呑まれて狂った時、彼らに苦しい思いをさせずに済む。ユーリを忘れた彼らなら、躊躇わずにユーリを殺してくれるだろう。


 女神にに残された力では記憶を完全に消すことができずに、封印という形になったが、それでもユーリの願いは叶えられたはずだった。

 それなのに、どうして思い出してしまったのか。

 忘れたままでいれば、彼らは何の憂いもなく幸せに暮らして、ユーリはその世界を守ることで満足できた。

 アルバだって、ユーリを探して旅などせずに、幸せに暮らせていたかも知れないのに。それがユーリの幸せになるはずだったのに。


 いつしか手の震えは全身にまわって、ユーリは手を顔から肩に写し、震えを押さえるように抱き締めた。

 沸き上がる激情を堪える頭は燃えるように熱いのに、体は凍ったように寒かった。

 ガタガタと震えるユーリに、異常を感じたセヴェリスが立ち上がり側に寄る。蒼白な顔に手を伸ばせば、ユーリの顔は氷のように冷たかった。


「 ベットを整えるから、そこで寝なさい。君は今すぐ休むべきだ 」

「 ……でも、まだ山に密猟者達が 」

「 そんなことはどうでもいい!言っただろう、私達にとっては、彼らなどより君の方が余程大事なんだ。密猟者は私達で何とかする。……お願いだから、言うことを聞いてくれ 」


 ぼんやりと霞む目で見上げると、いつも優しげに微笑んでいるセヴェリスの顔が、くしゃりと泣きそうに歪んでいた。今日のセヴェリスはこんな顔ばかりさせている。


 だから会いたくなかったのに。

 ユーリはただ、みんなに笑っていて欲しかったのに。

 この国の騎士だったセヴェリスを警戒して、騎士には近づかないようにしていたのに、なんでうまくいかないんだろう。

 

 一人になってから常に緊張していた体から、糸が切れたように力が抜けていった。

 どうにもならない現実から、堪えられなかった涙が一雫だけ頬を流れた。全てを諦めるように目を閉じれば、すぐに意識は溶けていく。


 今はもう休んでしまおう。

 何だかとても疲れてしまった。


 眠りに落ちたユーリを、セヴェリスは暫く静かに見つめたあと、優しく抱き上げると寝室に向かって歩き出した。





********

 

 


 

 静かな部屋に密やかなノックの音が響いた。

 セヴェリスが扉を開けると、密猟者を探しに行かせた団員が廊下に立っていた。


「 六名全員確保しました。少し凍傷をおこしていましたが、命に別状はありません 」

「 分かった、ご苦労様。寒いなか悪かったね。私は暫くこの部屋に居るから、何かあれば補佐官に話を通してくれ 」

「 了解しました。失礼します 」


 部屋に通すことなく廊下で会話を終えると、去っていく団員を見送って部屋に戻った。

 

 部屋のなかは盛大に焚かれた暖炉の火によって、汗ばむ程に暑かった。火精があちこちを飛び回り、水精が部屋全体を蒸すように熱を伝えていく。

 

 セヴェリスはこの世界でも希少な精霊術師だ。

 この力をもって、ユーリ達と闇の王を倒す旅をしてまわった。

 闇の王によって光の力が弱まった世界の旅は、とても過酷なものだった。力ある魔獣によって、潰された町など数え切れない。

 そんな魔獣達を相手に、何度も死にかけながら戦い続けて、仲間と共に少しずつ強くなっていった。


 そんな中でも、異常な成長を見せたのがユーリだ。

 初めて会った時、まだ年若い少年だったユーリは、いつもどこか不安そうな目をして、アルバの側で静かに佇んでいた。ぎこちない手で剣を握り、戦いの後は食べ物も喉を通らない様子だった。

 なぜこんな子供が闇の王を倒そうなどと思ったのか、セヴェリスは理解できなかった。魔獣を前に怯える彼は、英雄に憧れるような人間にも思えなかった。


 しかし、この国を襲った大量の魔獣を前に、一番最初に走り出したのは彼だった。恐怖に引き攣った顔で必死に剣を振り、限界まで魔力を使って魔獣達を倒していく。そしてボロボロの姿で、守れずに死んだ人々にすがって号泣する。すでに事切れた人間に、死なないで、と泣きながら治癒魔法をかける彼の姿に、胸を打たれずにいられなかった。


 一度、なぜそんなに闇の王を倒したいのかと、聞いたことがある。彼は「 バットエンドを知ってるから 」と、よく分からない事を言って、苦しそうに笑った。そして、そんなユーリを支えるように側にはいつもアルバがいた。


 セヴェリスは、部屋の中央にあるベットの、枕元の椅子に腰かけた。

 眠るユーリを見下ろす。

 そこには、細く頼りない姿の一人の女性が眠っていた。黒髪を散らし、青ざめた顔で眠る女性はユーリだった。


 ユーリは知らないだろう。今日の様に疲れ果てた時か、アルバの側で眠る時だけ、彼は彼女の姿になる。恐らく、女性の姿が本当のユーリなのだろう。男の姿は、この世界で戦うための鎧のようなものだ。


 なぜこんな事になったのかは分からない。アルバに聞けば、ユーリを保護して暫くたった頃から、このように眠る時だけ女性の姿に変わるようになったとい言う。

 寡黙な獣人の青年は、そんなユーリを守るように、いつも側で眠っていた。


「 ユーリ、君はもう少し愛されることを受け入れるべきだ 」


 この街にユーリが来たことを教えてくれたのは精霊達だった。そしてユーリが新たな闇の王となったことも。

 どうして話してくれなかったのだろう。例えユーリが闇の王となった事を知っても、アルバは変わらずに側に居るだろう。それは旅を共にした仲間の誰も皆同じだ。

 

「 この世界を守った君は、誰よりも幸せになっていい 」 


 いつも他人のことで必死になって、だけどその分自分の事には無頓着で。自信なさげに微笑んで、アルバの側で眠る時だけ本当の姿に戻るユーリ。

 

 投げ出されたユーリの手を握ると、まだ氷のように冷たいままで、セヴェリスは包み込んだ手を、祈る様に額に押した当てた。


 なぜユーリばかりが、こんな目に合わなくてはならないのだろう。こんなになるまで一人で抱え込んで、どうして仲間を信じてくれなかったのだろう。アルバも、自分も、君をこんなにも愛しているのに。


 セヴェリスの落とした涙は、ユーリの冷たい手を暖めるように静かに流れていった。


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