覚醒
迫り来る木の根が酷くゆっくりとして見えた。
けれど、僕の体は動かずただそれを見ることしか出来なかった。
根が僕の体を貫こうとした、その時ーー。
僕の体は急に後方へと引っ張られる。
その勢いで僕は後ろへと倒れこんだ。
根が僕を貫き損ねて勢いが止まる。
「何やってんだ!!」
僕はその声にハッとする。
「信一君……」
信一君は根と少女のほうを見ながら後方に下がる。
「おい。立て、亜鶴沙。また、来るぞ」
僕はその言葉に頷きつつ、立ち上がる。
少女を見ると彼女は再び俯いて、その顔を手で覆い隠していた。
「いや。いやぁ。違う。違うの」
少女は意味のわからない言葉を繰り返す。
その間にも根は次々と地面を突き破り、僕らを襲う。
「亜鶴沙! こっちだ!」
僕は信一君に手を引かれて逃げる。
桜から距離をとろうとするが、根に阻まれここから逃げられない。
「くそっ!」
信一君が毒づく。
どうしよう……。
このままではまずい。
「あの人はどこにいるの? 私、覚えてるわ。忘れてなんかない」
少女は首を振る。
彼女を落ち着かせないと。
でも、どうやって?
考えている間にも根は僕らを襲ってーー。
「亜鶴沙!!」
突如信一君に突き飛ばされる。
「うっ。痛っ」
尻餅をつき、手を擦りむく。
ぐちゅっ。
今
凄い嫌な音がした。
僕が顔をあげると、目に飛び込んできたのはーー。
根が信一君から離れ、本体であろう桜の木の側へと戻っていくところだった。
その先端に、真っ赤な血をつけて。
「うっ」
信一君が脇腹を押さえて、その場に倒れ込む。
その手が真っ赤に染まっていく。
「ーー!」
* * * * *
亜鶴沙と知り合ったのは高校生になってからだ。
亜鶴沙は俺と出会う頃にはもう、学校では不思議ちゃんと呼ばれていて、近寄りがたい存在とされていた。
こいつはいつも何を考えているのか分からないやつで、周囲からは薄気味悪がられていた。
俺もそんな奴の一人で、でもある時気付いた。
亜鶴沙は他人よりも少しだけ、感情表現が苦手なだけで、決して何も感じていないわけではないのだとーー。
亜鶴沙はいつもぼんやりとしていて、危なっかしい。
だから、俺が側で守ってやらなきゃって思ってた。
ここについてきたのもそう。
亜鶴沙は俺に隠し事をしている。
亜鶴沙はいつも俺には関係ないっていう。
でも、俺に側にいてほしいと言う。
全く。
我が儘な奴だ。
根が亜鶴沙を襲った時、俺は迷わなかった。
体が勝手に動いていた。
亜鶴沙をほっとけない。
こいつはほっといたら、どんどん誰の手も届かない場所にいってしまいそうなんだ。
全く。
世話のかかる奴だ。
亜鶴沙は両目に溢れそうなほど涙を溜めている。
泣くなよ。
そんな泣きそうな顔するなよ。
俺は平気だから。
こんなのかすり傷だぜ?
亜鶴沙……。
亜鶴沙……?
お前、
目が……。
* * * * *
どうしよう……。
どうしよう!
信一君が死んじゃう。
血が……。
血が、どんどん出て。
どうしよう……。
どうしよう。
どうしたらいい?
信一君の手が真っ赤に染まる。
信一君の顔が苦痛に歪んでーー。
どうしよう?
どうしたらーー。
また……。
失うーー。
それは駄目だ。
絶対に!!
嫌だ!!
やめて……。
死なないで。
失いたくない……。
もう二度と……!
* * * * *
我々が物陰から見ていると、突如桜の根が地面から飛び出し、少年達を襲う。
桜の根が少年の一人を貫こうとした、その時もう一人の少年が彼を突き飛ばした。
突き飛ばしたほうの彼は知らないが、突き飛ばされたほうの少年の名は確かーー。
「相馬亜鶴沙よ」
隣で相方の少女が無愛想に言った。
「もう一人は知らないわ。恐らく一般人ね」
そう彼女が言った彼は根に腹部を貫かれ、瀕死状態だ。
「助けなくていいのか?」
あのままでは、恐らく確実に死ぬ。
遠目なので詳しくは分からないが、腹部じゃあ止血は難しいし、出血も酷いだろう。
仮に止血出来たとして、今の状態の相馬亜鶴沙にそれが出来たかは怪しいものだ。
友人が刺され、酷く混乱しているようだ。
錯乱していると言ってもいいかもしれない。
正確には刺されたのではなく、貫かれたわけだがーー。
まぁ、細かいことはいいだろう。
さて、この後一体どうなることやら。
隣の少女は何を考えているのか、無表情で現状を観察している。
……!?
相馬亜鶴沙の後ろから根が彼を襲おうとしている。
彼はそれに気付いていない。
これは……。
まずいのでは……?
そう思った次の瞬間ーー。
パァン!!
……!?
突如響いた破裂音。
それと共に彼を襲おうとしていた根が、破裂した。
* * * * *
?
亜鶴沙。
お前の目……。
青い?
俺の見間違いか?
!?
亜鶴沙!!
後ろに根が!!
危ない。
逃げろ。
亜鶴沙は気付いてない。
言わなきゃ。
なのに、口が、声が。
くそっ!
「あっ……う……」
呻くような声しか出ない。
逃げろ。
逃げろ。
亜鶴沙!!
「信一君」
パァン!!
乾いた音がした。
亜鶴沙の後ろで根が弾けた。
一気に。
塵と化した。
やっぱり。
見間違いなんかじゃないーー。
亜鶴沙の目が、
深い深い、
青色に染まっていたーー。
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