胡蝶と桜の夢
あれはいつのことだったろう?
確か僕が中学に上がる前のこと。
先生が珍しく僕に自分から話しかけてくれた日があった。
「亜鶴沙。昔、中国に夢を見た男がいた」
* * * * *
それはちょうど実力テストが終わって僕がホッとした日の夜のことだった。
僕は夜早く寝る。
当然のように朝は遅く起きる。
伸一君曰く、ただの馬鹿。
そんなことはないと思うのだけれど。
僕はその日も当然のように9時前にはベッドに入って眠りについた。
僕は基本的に夢を見ない。
けれど、その夜は珍しく夢を見た。
それも、酷くリアルな夢をーー。
* * * * *
松明の火がゆらゆらと踊る。
頭上には、満月には微妙に足りない欠けた月が輝いている。
火は遠く、灯りも遠い。
辺りには深い闇が漂う。
月灯りだけが私を照らす。
けれど、あの美しい月ですら私にまとわりつく闇を払うことは出来ない。
そんな中で私はあの人を、待っているーー。
あの人が、私を殺しにくると知っていてーー。
手足を縛られた私は逃げられない。
けれど、縛られてなくたって私は待っていただろう。
あの人の為にも、私は死ななくてならないーー。
そこで場面は切り替わるーー。
男の人の顔が見えた。
着物を着て、まげがある。
昔の人だ。
それも戦国時代とかそれくらい昔。
全然知らない人なのに何故か無性にいとおしく感じられた。
ああ。
今こうして思い出すのはあなたのことばかりーー。
あなたと初めて出会った日のこと、昨日のことのように覚えているのにーー。
「すまない。ーー」
彼が私の名を呼び、謝る。
謝らないで。
私はいいの。
あなたの為に死ねるなら、幸せだわ。
どんどんと景色が切り替わっていく。
運ばれていっている。
坂道を登り、川を渡り。
ここは山の中か?
私は大きな桜の木を見上げていた。
美しく咲き誇る桜の木をーー。
その下に掘られた穴の中からーー。
彼が穴の中に降りてきて私の目と口をふさぐ。
ああ。
月が輝いているーー。
最後の光景は今まで見た中で、最も美しい光景だった。
土が被せられどんどん重みを増していく。
ああ。
あなたと出会えて良かった。
息が出来ないーー。
ああ。
あなたと出会わなければ良かった。
重みに押し潰されてしまいそうーー。
ああ。
苦しいーー。
愛しいーー。
苦しいーー。
愛しいーー。
苦しいーー。
ーー。
会いたいーー。
* * * * *
目を開けると涙が頬を伝う。
言葉では言い表せないほどの悲しみと切なさと愛しさーー。
この夢は一体何なのだろう?
ずっと昔に桜の下に埋められた女性。
やけにリアルな夢だった。
まるで自分自身が彼女となっているかのようにーー。
彼をいとおしく思う気持ち。
愛している彼に殺される悲しみ。
愛している彼に殺させる罪の意識。
愛している彼と共にいられないこの世を恨む気持ち。
愛している彼の為には死ななくてはいけないという義務感。
そして、
死の恐怖ーー。
それらがリアルに伝わってきた。
まるで自分が感じたことのようにーー。
こんな夢は初めてだった。
いや。
違う。
初めてじゃない。
以前にも見ている。
でも、あの時よりももっとリアルで現実味を帯びている。
カーテンのかかった窓を見ると、外はまだ暗かった。
僕の部屋に時計はない。
明るさからまだ夜なのだろうと推測する。
桜の都市伝説。
桜の木の下には死体が埋まっている。
先生はこの世に存在すると言っていた。
死体の栄養を吸い上げて美しく咲く桜がーー。
先生が僕に約束させたのは、近くに血桜が存在するからなのだろうか。
僕が今見たのは、桜の霊の記憶?
分からないよ。
先生ーー。
僕はあなたの期待に応えられなかった。
僕は役立たずだ。
この夢に一体どんな意味があるのだろう?
僕が見た夢だ。
単なる夢っていうことはないだろう。
もしも、桜が助けを求めているのなら。
きっと。
助けられるのは僕だけ。
* * * * *
「亜鶴沙。昔、中国に夢を見た男がいた」
先生が言った。
「先生。夢なら誰でも見るよ」
僕が言うと先生は笑った。
「亜鶴沙。お前は見ないだろう」
意地悪なことを言う先生。
「僕は特別だもの。人と違う」
「ああ。そうだ。お前は特別だ」
先生はそう言って頷く。
「亜鶴沙。男はな、蝶になる夢を見たんだ」
「蝶?」
「そう。蝶だ」
そう言って、立ち上がり窓のカーテンを閉めにいく先生。
「男は、自分が蝶になって空を舞う夢を見たんだ。その夢があまりにもリアルだった為に、今の自分は蝶が見ている夢なのではないかと思ったほどだそうだ」
先生は一体どうしてそんな話をするのだろう。
僕には先生の意図が分からなかった。
「それがどうかしたのですか。先生」
カーテンを閉め終え、振り返る先生。
「亜鶴沙。男がなったのはただ蝶じゃない。胡蝶だ」
「胡蝶?」
「そう。胡蝶だ。美しく空を舞い、人を惑わす。まるでお前の力のようだろう」
そう言われ僕は顔をしかめる。
力のことを、言われるのは苦手だ。
「お前の力は人も動物も、妖ですら惑わす。皆、お前の力に魅入られずにはいられない」
僕は俯き、手を握りしめた。
「それと何が関係あるのですか? 先生。単に胡蝶ってところが一緒ってことを話したいわけではないんでしょう?」
僕が尋ねると先生は普段と違いあっさりと答えた。
「男は胡蝶に惑わされ夢を現実と思い込んだ。お前の力は成長に伴い肥大化していくだろう。これからお前は多くの夢を見るようになる。それも、妖の夢だ。それはきっと男が見た夢のように大層現実味を帯びていることだろう。だがーー」
そこで先生はかがんで椅子に座る僕の目線と自分の目線を合わせる。
先生がこんな風にするときは決まって大事な話をするときだった。
「それは夢だ。現実などではない。いわば幻。幻想。現実とは全く異なるものだ」
先生にそう言われ僕は精一杯主張しようと、少しだけ目を合わせる。
「でも、先生。僕にはわかるんだ。皆苦しんでる。僕に助けを求めている。これは事実だよ。助けられるのは僕だけなんだ。本当なんです。信じて下さい」
すると先生は僕の顔を掴んだ。
あまりの強さに痛みを感じるほどーー。
「いいか。亜鶴沙。お前は力を制御出来ていないからその力に自身も惑わされているだけだ。お前が見たのは夢だ。現実ではない」
先生に睨まれ僕は頷く。
「先生。痛い」
すると、先生は手を放して立ち上がり、僕を見下ろす。
「思い上がるなよ。亜鶴沙。お前の力で救える者などいない」
* * * * *
掴まれた痛みよりも最後に言われた言葉のほうが余程痛かった。
確かに僕は先生の期待には応えられなかったけれど、そんな僕だって誰かを救えると思いたい。
僕にだって救えると信じたい。
僕に救いを求めている者がいるのなら、
救いたいーー。
夢の意味は分からないけどーー。
「探すだけ、探してみようかな」
薄暗い部屋の中、一人呟く。
夢を見たことは何かが起こる予兆かもしれない。
ならば起こる前に自分から動くべきだ。
僕は力を制御する術を覚えなくてはいけない。
また、
誰かをーー
例えば、
伸一君をーー。
傷付けてしまうかもしれないーー。
そんなのは絶対に嫌だ。
そんなことにならない為にも力をコントロールしなくては。
まずは手始めにーー。
「桜の木の下には死体が埋まっている?その都市伝説。僕が解き明かしてご覧にいれましょう」
手を広げると掌から無数の青い蝶が舞い出る。
蝶は青い鱗粉を撒き散らし優雅に舞う。
まずは、桜を見つけよう。
そしたら何か分かるかもしれない。
でもまずはーー。
「もう一度、一眠りしましょう」
そうして布団の中に潜り込む。
蝶たちは彼が眠りにつくのと同時にその姿を消すのであった。
* * * * *
人を惑わす力ーー。
僕は桜の力に惑わされた。
もしかしたら、桜も僕と似たような力を持っているのかもしれないーー。
川沿いを歩きながら僕は思った。
僕の後に伸一君が続く。
その伸一君に気付かれないように、僕はそーっと掌に一匹の青い蝶を生み出す。
『胡蝶。伸一君に気付かれないように後をついておいで』
蝶に語りかける。
すると胡蝶は鱗粉を撒き散らさないように注意しながら僕たちの後ろに下がり飛ぶ。
大丈夫。
ちゃんとコントロール出来てる。
さあ。
もうすぐ。
都市伝説と対面だーー。
一応言っておくと、物語上さも蝶と胡蝶は別物みたいにいってますが、実際は蝶の別名が胡蝶であるだけです。
呼び方が違うだけらしいです。
ですがここではちょっと別物という設定なのでご理解頂ければと思います。