ようやく物語は動き出す
薄暗い森の中を歩く。
「なぁ、亜鶴沙。お前一体どこに行くつもりなんだ?」
伸一君の問いかけに僕は歩みを止めた。
自然、伸一君も止まる。
「探してるのです」
僕は前方見つめ答える。
「何を?」
尋ねる伸一君の言葉に、僕は振り返る。
「桜の木です」
僕の答えを聞いて伸一君は訝しげな顔をする。
「桜の木なんてそこらにあるじゃねぇか。まあ、もう花は咲いてないけど」
伸一君は周囲を、見上げて言う。
僕は首を振り、伸一君を置いて歩きだす。
「おい、待てよ。つか猫の死体探すんじゃなかったのかよ」
「違います」
僕は歩きながら話す。
影になっている為なのか、地面は少し湿っぽい。
「桜の都市伝説を実証するのに必要なのは猫の死体じゃありません」
そう言うと伸一君は少し不機嫌そうな顔をします。
「死体が必要ってお前が言ったんだろ」
僕は首を振った。
「僕はそんなこと一言も言ってません。それに死体を探しに森に来たとも言ってません」
「否定しなかっただろ」
僕の言葉に伸一君はそう反論する。
まだ、充分に日が照っている時間だというのに、木々に遮られ薄暗い森の中は、少し不気味さがあった。
「否定しない、イコール肯定ではありません」
僕がそう返すと、伸一君は溜め息をつきました。
溜め息をつかせるようなことを僕は言ったのでしょうか?
「分かったよ。俺の負け、じゃあ一体何が必要なんだよ」
勝ち負けを競った覚えはありませんと思ったけれど、それは言わない僕です。
「きっと、見れば分かります。見ても分からないなら、それは知らないほうがいいということです」
僕はただがむしゃらに前へと進みます。
こうして話している間も実は何も考えていない僕です。
何も考えずにひたすら歩き続ける。
そうしていないと、先生を裏切る罪悪感に押し潰されて、今すぐにでも引き返してしまいそうなんです。
「意味わかんねぇーな。おい、俺が必要な本当の理由って何なんだ」
僕はその言葉に歩みを止めた。
「まさか、本当に宇宙人に拐われない為とかじゃないんだろ」
僕は伸一君の言葉に答えるべきか悩む。
伸一君は知らないほうがいい。
というより、僕が知られたくない。
でも側にいてほしいなんて、そんなのはとんだ我が儘だ。
分かってる。
それくらい自分が一番分かってる。
「おい、どーした?」
伸一君が僕に問いかける。
僕はほんの少しだけ覚悟をして振り返る。
伸一君は僕がいきなり振り向いたので驚いたようだった。
「これから、もしかしたら伸一君の想像もつかないような出来事が起こるかもしれません。もしかしたらそれは、僕達に不利な状況かもしれません。その時にその状況を打破するキーマンに伸一君にはなってほしいのです」
僕は嘆願した。
但し、心の中で。
表面上は淡々と話し、心の内では彼に嘆願する。
どうか、僕が僕じゃなくなった時に君が僕を取り戻して欲しい。
そう願っていることは一切見せずに。
「……ああ。分かったよ」
そんな僕の気持ちが通じたのか、伸一君はあっさりと頷いた。
僕はそれに安心して前を向く。
「さあ、早く行きましょう。早くしないと日が暮れてしまいます」
そして、僕は再び歩き出す。
その時だった。
ふわりと香る、甘い匂い。
甘ったるいと言っても過言ではない、香水とはまた違った匂い。
けれど、花畑でもない森から漂ってくる匂いではない。
一体どこから、香ってるんだ?
まるで、全身花に包まれているみたいな気分だ。
ーーおいでーー
?
今、何か聞こえた?
気のせい?
でも、
確かに聞こえた。
ーーこちらにおいでーー
ほら。
やっぱり。
ーーこちらへおいでーー
誰?
一体どこから語りかけてるの?
ーーさあ、私の元へーー