第二話
「ラファエル様、お友達がお見えですよ」
午前の勉強が終わり、今日は経済学でも少しばかり読んでみようかと思っていたラファエルは侍女の来客という言葉に片眉をピクリと動かした。
「誰だい?アレンなら帰って貰っていいよ」
1人の男友達を連想して、静かに本を読みたい気分のラファエルは彼は煩いから彼なら帰ってもらうように侍女に頼んだ。
しかし、その彼はもうラファエルの部屋の前…細かくいうと、侍女のすぐ後ろに控えていた。
「なんだよー!折角シャルルドネ別邸にまで遊びに来たのにさ」
侍女の後ろから飛び出した燃える炎のような紅い髪を揺らし、迷いなしにその身軽なアレン少年はラファエルに飛び付いた。
ラファエルは盛大に溜息を吐くと、ぶら下がってこちらを見ているアレンの瞳に釘付けになる。
まるで猫のように鋭い黄色の瞳は捉えられたら逸らせないと本人いわく。
外で遊ぶときは行動力があるコイツが1番楽しいんだけど、読書とかしたい時に現れると碌な事がない。
ラファエルはぶつぶつと思い至って、経済学を読むのはまた今度にしようと降参ポーズをとった。
これ見よがしにアレンは高らかに拳を上に突き上げる。
アレンのその純粋で活発な性格は、どうも嫌いになれない。
ラファエルはアレンに負けたよ、とクスリとした笑みをして外出用の服に着替えることにした。
髪も赤ければ服も赤いのか…アレンの格好は赤い膝丈のズボンに黒のシャツは上の二つボタンが開いて、だらしなく赤のリボンも緩んでいる。 ストライプのベストを羽織って早く行こう!と急かす姿は6歳児独特でホッとした。
ラファエルは青の膝丈ズボンにセーラー服という動きやすい服をチョイス。 ボタンは一つも開けず、リボンもしっかりと結ぶところを見ても真面目である。
「それじゃあ、行ってきます」
侍女に外で遊ぶ節を伝え、アレンに続いて駆け出す。
前世の記憶を取り戻してからは、自分が走り回る姿を想像して疑問を抱かないこともないが、前世と比べ眼鏡を掛けなくても見える世界は楽しいもので、身軽な体も楽しいものだった。
「アレン、どこだいここは」
と、楽しい気分は一気にどん底へと落ちたラファエルがアレンに問いかける。
アレンとラファエルは少し邸近くの森で遊んでいただけだ。 なのに、今は鬱蒼とした深い森の中にいる。
「まさかとは思うけど、お前方向音痴忘れて走ってたんじゃないよな」
怪訝な表情で責めるラファエルにアレンは汗をだくだくと掻く。 アレンは方向音痴なのだ。 いつもは弁えて、本当に分かるところしか行かないのだが、楽しく走ってそんなこと考えなかったのだろう。
「わっるい!迷った!」
たはーとした笑いを浮かべるアレンにラファエルは心の中で、尋常じゃないヘタレさを発動していた。
…どどどどどどうする!獣とか出てこないように鈴でも付けたら少しは大丈夫か?ってその鈴がない!!あぁ帰りたい帰りたい帰りたい。
「ラファ!道は何処かに絶対繋がってるんだぜ?」
そんなキザな台詞も似合うアレンの背後には、ラファエルが恐れていたものがドスン!と立っていた。
剛毛な灰色の毛は所々血がこびり付いていて6足ある足には太くて硬そうな爪がびっしりと伸びている。
目は流血して大きな口には長い舌が2本唾液と一緒に出て来た。
それを見たラファエルは卒倒。 美少年らしくふらりと倒れ、アレンは、あちゃーとした顔をしてデカイ影を落とした獣を振り返る。
猫のように鋭い黄色の双眼が獣を映し、子どもの小さな口が弧を描く。
「さあて、ラファエル気絶したし……遊ぶか? バケモン!」
バケモン!と呼ばれた獣は怒り狂ったように威嚇をアレンに見せた。
アレンは威嚇だけの物凄い風圧に若干眉を寄せたが、隠し持っていた剣の梢を抜き獣の右目目掛けて飛ばす。
この動作1秒ほどだ。
その剣はアレンの意思通りに獣の目に突き刺さり、獣は苦しそうな声をあげる。
「ギャギャギャァアアアアアア!!!」
地響きのように煩い騒音がアレンの耳を抜け、アレンは身軽に自分より遥かにデカイ獣の体を伝って右目に刺さっている剣に向かう。
ぐさりと抜き取るときに返り血が頬についたアレンは6歳の少年が醸し出してはいけない色気を出して、頬についた血を指で掬いペロリと舐めとる。
「鳴くんなら可愛らしく鳴けよ」
それを言うや否や、楽しそうに獣を切り刻んでいくアレンに残酷さが見ているものに印象づくだろう。
しかし、ここは森の深い奥なのでアレンとラファエル以外、人はいないのだ。
あと何回かの攻撃で死ぬだろう獣は最後の力を振り絞って黒く気味悪い邪気を体に纏わせた。 アレンはこんな獣を初めて見たようで、少しラファエルがいる方向と反対側に距離を置く。 ラファエルに危害を加えないようにだ。
黒い邪気に身を包んだ6足は急に伸びてアレンを襲ってくる。 アレンは5足避けて、残りの1足の攻撃を受けてしまった。
防御のために構えた右腕がピシリとヒビが入る。
「やべっ!!」
焦りが混じった声と共に、なんだか黒い渦が巻き起こって、アレンへその黒い渦が襲ってきたときーーー。
アレンでも死を覚悟した。
どこかあどけなさの残る柔らかい声を聞くまでは。
「光魔法!燃え尽きよ!!」
獣の真下に陣が張られ、その陣が紅蓮の炎と眩い光を放つ。 その光を受けた獣は、一寸の声を出すこともないまま跡形もなく散った。
獣の後ろで倒れているはずのラファエルが苦しそうな顔で右手を伸ばしているのを最後に、邸へと転移させられていた。 その直ぐ近くに意識を失っているラファエルを捉え、僅かな可能性に冷や汗を感じるアレンであったのだった。