第四十六話 「ヌクレヴァータの戦い・中」
ご、ごぶさたでございます。
……
なにごともなかったかのように行ってみよー!
罠の起動は主に僕らがやっていた。
主力は街を南から北へと一気に駆け抜けただけだ。
一部小競り合いもあったがこちらの被害は死傷者数で百までいっていないだろう。
罠の数こそ多いが、多くは子供だましのものだ。
被害を与えるのが目的ではない。
『罠のある場所で誘いこむのがこちらの目的』と錯覚させ、警戒させて進軍を遅らせるためだ。
最後のでかい罠にかかってもらわねばここまで誘ってきた意味がない。
王都に甚大な被害を与えることで自分の著作の記述と相反することがないようにして、なおかつ他所への被害と人的損失を可能な限り最小限に抑える。
それは僕にとって自己満足でしかないし、気軽に人の生き死にを文中とはいえ描いてきたことへの独り善がりな贖罪なのかもしれない。
でもそれももうすぐ一つの結末を迎える。
僕は戦の成り行きや、自分の眼で見たこと、伝え聞いたことをシャープペンでルーズリーフに書き留めてきた。
これを元の世界に持ち帰り、続きの話あるいは外伝として本にまとめることができるのだろうか。
そのことについては全く目処が立っていないながらも、僕はなんとなく楽観視していた。
なぜなら、このようにして身体までこの世界の住人の姿を借りていながら、僕の精神は僕であるし、なんの脈絡もなく元の世界の筆記用具まで持ち込んでいる。
それは明らかに何らかの意志が介在していることは間違いないと思われるし、その意志がそう仕向けているのだということはわかる。
だからそのヘンはどうにかなる。
何しても死なないのではないか?
とも思うが、恐ろしくて試す気にはなれない。
王都の城門、それは東西南北に四つありそこから街道が全土へ伸びて行く。
そのうち東門と西門は既に封鎖されている。
イデヴェル襲来よりも前に内と外に閂を下ろし、さらに溶けた鋳鉄で塞いでしまった。
北門にも部隊を配置し味方が脱出次第、外から閂を下ろして封鎖する。
今、僕らが向かっているのは南門だ。
敵は突入、そして王城制圧のために主力を振り向けているので、南門に残って守備する兵は僅かのはずだ。
これを殲滅する必要はない。適当に追い散らして城外へ脱出、城門を封鎖すればいい。
その後が本番だ。
というわけで、リュタンを連れてきている。
他の連中は北門から脱出している。
ここに同行しているのは主に『城外から回せるように改造した』城門の開閉ハンドルを動かすための力自慢、メルレン隊の輜重部隊の出身者がほとんどだ。
すっかりリュタン親衛隊みたいになった連中は、同じくリュタン信者になったジレコ騎士団出身者と険悪になっていたらしい。
知らんがな。
「リュタンさん、いいですか?この後の術のために見た目派手だけど魔力の消耗を抑えた魔術を使います」
「そんなのありましたっけ?」
「魔法剣士はこけおどしが得意なんですよ」
僕らは城門に近い民家の地下から、城壁につながる突貫の抜け道を這い進んで城壁の上に身を潜める。
ここで城門前の守備兵を追い払ったら、城門を閉めれば完了だ。
「狙いは適当で構わないんで、派手にいきましょう。魔法陣の構成送ります」
僕は詠唱をパスして、魔法陣だけ空中に展開する。
「火の系統ですね?これならわたしにもうまく入力できそうです」
リュタンから魔力の流入を感じる。
って、多いな。この子の魔力量は相変わらず桁外れだ。
「行きます!皆さん耳塞いで目つぶってください!」
狙いは適当。
「花火!」
た~ま~や~
呪文の名称がちょっとアレだが、そうそう馬鹿にはできない。
四尺玉とまではいかないが三尺玉が地上で炸裂したら結構なものだ。
「うわあああ!」「敵襲だ!」「魔術師がいるぞ!」「なんて音だ!」「まずい!応援を呼べ!」
衝撃と熱もまあまああるのだが、やはり拡散する光と大音響。
それはさながらスタングレネードのデカイ奴みたいなかんじだ。
城壁のうえまで火の粉がバラバラと降ってくる。
「威力大きすぎです」
「すいません…」
しかし効果は抜群で、大規模魔術攻撃を恐れた守備兵はあらかた逃げ出してしまった。
本当に応援を呼ばれる前に脱出して、城門を封鎖しないと。
改造にあたって新調された開閉装置はギア構造を組み込んであり、比較的少人数でもスムーズに城門を閉めることができる。
閉じてしまえばこっちのもので、中から開こうとしてもハンドルが空回りするばかりで、どこにも力は伝わらない。
連れてきた兵達はそれでも重いハンドルを懸命に回す。
敵増援の可能性を考え、魔術による牽制を準備していたが、無事に城門の閉鎖に成功した。
基本的には王都は最重要根拠地になる。
敵もこちらがあっさり放棄するとは考えていないはずだ。
城門上の覆いに吊り下げられたまま隠蔽されていた、外側用の閂棒を滑車で降ろしてきて金具に嵌める。
これでやすやすとは開かない。
そして東西南北の城門が閉鎖され、エンジュ、サンザシ、トネリコ、ハシバミの城門、そして魔法陣を介して構築された巨大な魔術回路が完成する。
敵軍にはここで絶対的恐怖を味わって貰って、侵攻の士気を完全に挫く。
到底褒められた戦術ではない。
願わくば悪名がすべて僕のところに来ますように。
「リュタン、始めましょう」
「わかりました」
正直最初は大賢者に力を借りて侵攻ルート上に戦略兵器規模の魔術をぶちかましてやればいいと思っていた。
今のこの世界では伝承されていない、古代魔法王国の禁呪みたいなやばいヤツをあのじいさんは知っている。
だが、本人の言うとおり大賢者は魔術の方向性を特化したが故に極端な力を持っている。
魔力総量は僕よりは多いと思うが、リュタンから比べれば圧倒的に少ない。
天変地異を一回使えばヘロヘロだろう。
要は禁呪を知っていても使えない。知識としてあるだけなのだ。
書物に関しては極大の習得深度、そして召喚についても現在では世界トップクラス。
そして知識。
そんな大賢者が召喚して僕達をおおいに驚かせたのは狂騒状態の食人鬼の群れだ。
あの後問い詰めると大賢者は怪物の生息地分布やコロニー形成地についてもデータ化して把握している。
そしてあの食人鬼はいくつかのコロニーにゲートを設け、モナスの街の方へ誘導したらしい。マジ狂ってる。
でも僕も人のことはとやかく言えない。
思ってしまったんだ。
『使える』って。
でも正直食人鬼は訓練された兵士なら十人もいれば充分対処できる。
イダヴェル軍は精強であることから拮抗するのは食人鬼三万体…。
想像したくない。
ただ人間の本能的恐怖に訴えるのにはこれほど適任の怪物もいない。
いかな怪物とはいえいきなり三万体もの食人鬼が消えたら生態系がどうにかなりそうだ。
彼らにはある程度おいで願うが、戦力比を埋めるためにはもっと強力な怪物を連れてこなければならない。
強力な怪物の召喚には結局大量の魔力が必要とされるため、僕らの魔力袋リュタンの活躍となるわけなのだが、彼女には後始末のためにも半分は魔力を残しておいて貰わなくてはならない。
単体で魔力を行使しても先日の魔銛のような大き目の範囲魔法一発で枯渇するほどの魔力しか人間には持てないのだ。
触媒であったり、魔素を吸い上げるための魔法陣やそれ自体に魔力を充填した魔法陣を多重に組み合わせ、魔力を外部から得ると同時に魔力の消費を低減、半減する仕組みを用意してやらねばならない。
ちなみに天変地異と魔銛では威力は圧倒的に前者が高い。
個別誘導という性能と、スタンダードな魔術になりえなかったための魔力消費の効率化が行われていないがための差がそこにはある。
さて、MMORPGをやったことのある人ならわかると思うが、今回僕がやろうとしているのはいわゆるMPK、モンスタープレイヤーキラーだ。
だいたいにおいてマナー違反とされ、度が過ぎるとGMから説教部屋に連行され、下手をするとアカウント停止処分となってしまうものだ。
プレイヤーのところへ強力なモンスターを連れてきて、ターゲットをなすりつけて殺させるという非道な行為だ。
良識さえ考えなければこれほど効率的な殺人はない。
ただ問題となるのは前述の召喚されたモンスターの処理だ。
それで王都を餌にして、敵から身を守るはずの城壁をモンスターと敵兵を閉じ込めるための檻に見立てた。
敵は城門が開かないとしても城壁をよじ登るなり、守備兵が城壁に上るルートを発見するなりして脱出してくるだろう。
ただそれはとても統制が取れているとは思えず、二十メートルほどの高さから大怪我覚悟で飛び降りるか、縄梯子でも垂らして降りるしかない。
逆包囲しているバルディスにとっていい的でしかない。
そんな非道な作戦をこれからはじめるにあたり、国民や貴族、そして今頃東の洋上で諸外国の公使には直接陛下の口から、『知恵者のエルフが奇策を用いてイダヴェルを退けると豪語していた』と宣伝して貰っている。
この凄惨な行いはエルフの独断で行われなければいけない。
というか本当に僕の発案であるし、計画の概要は話してあるとはいえ、いざその光景を見たら今まで僕に好意的だった人も距離を置くかもなあ。
最悪追放や投獄とか……ううなんか憂鬱になってきた。
「メルレン様?お顔の色が優れませんが?」
リュタンに心配されてしまった。
僕はこれまでさんざん悩んできた内容を振り払うように二度三度頭を振った。
「いえ、大丈夫ですよ。それでは恐怖の門を開けてやろうではないですか」
ハンス・フルーエ・ワーデルガー視点
北門の周辺に人気は無かった。
しかしひとつだけおかしい点がある。
門に閂がかけられておらぬというのに、門は堅く閉ざされているのだ。
「城門を開けよ!」
嫌な予感がして、兵に命ずる。
開閉装置を探していた兵から報告がすぐに来た。
「副長!開閉装置は壊されております!」
北門周辺は夥しい数の馬蹄跡が見られ、大軍が隊列を組んでここを通過したことがうかがえる。
兵が残って開閉装置で閉門して城壁から逃げたのか?
可能性はもう一つある。
外からこの門を閉めたという可能性だ。
通常ならばありえない。城外に城門の開閉装置をつけるなど愚の骨頂だ。
しかしわたしはどうにもその考えが拭えない。
「副長殿、この薄気味悪い魔法陣にはどんな意味があるんですかね」
目の前の城門には巨大な魔法陣が描かれ、まるで我らを睥睨しているかのようだった。
魔法陣、ということは間違いなくあの憎きエルフが絡んでいる。
アリエンが言った「巨大なネズミ捕り」を仕掛けたのがヤツであることは間違いがなく、この門の魔法陣もヤツが描いたものであろう。
どうする?これを本隊に伝えるのか?
誰もおらず、門が閉まっていた。
事実はこれだけだ。エルフの罠うんぬんは想像でしかなく、未だに何も起こっていない。
もう少し状況を掴まなければなるまい。
「下馬して周辺を調査せよ!城門の上に出る経路や、開閉装置に修繕の余地があるかどうか、また潜伏している敵兵がいないかを調べるのだ!」
湧き上がる不安を抑え、今は情報を集めねばなるまい。
結果から言うとこの判断は間違いだった。
「副長殿!」
付近の見取り図を作成していたわたしのもとに伝令が来た。
「何事か」
「じょ、城門が!城門の魔法陣が!」
「ええい見苦しい!落ち着いて報告せぬか!」
埒があかないと見たわたしはすぐさま城門前に移動した。
そこには光り輝き魔力の胎動を見せる不気味な魔法陣があった。
ほぼ城門一杯に描かれたそれは、魔術を読み解けぬものには理解できない精緻で複雑で禍々しい紋様が規則的にあるいは全く想像できない配列で並んでいる。
今それらはまるで生命を持つかのように明滅し、脈動してなんらかの魔術を発動させている。
「全員退避!退避せよ!特に門正面に正対してはいかん!」
先日の例がある。巨大な破壊の光がまたもや放たれるかもしれない。
わたしはそう判断し、門から距離を取った。
第二騎兵隊の面々も慌てて騎乗し、一目散に逃げ出す。
さすがに恐慌状態とはならず、整然と隊列を組んで行軍したことはさすがと誉めておきたい。
「全軍停止!」
破壊的な魔術が発動するとすれば規模はわからない。果たして安全な距離というものがあるかわからぬ。
わたしはそう考え、城門の様子がかろうじて掴める距離まで離れると軍を止めた。
「副長殿…」
不安そうに聞いてくる兵に指示を出す。
「情報の取得が最優先である!変化があるまで待機せよ!」
兵達は散々エルフの魔術で痛い目を見ているのでどうも及び腰だ。
ここまでくると、メニヒ大将軍の名を聞いて他国が恐れるのと変わらない度合いではなかろうか。
士気に影響を及ぼすまでになるとは敵ながら恐ろしい奴だ。
「む」
城門に変化があった。
光が強くなったかと思うと、ゆっくりと門が開いていったのだ。
「開いた…」
兵達もざわつく。
てっきり攻撃的な変化を予想していたというのに、肩透かしを食らった格好だ。
(どういうことだ?)
門が開いた。 開閉装置が壊されてまで封鎖されていた門が。
魔法陣に魔力を送って発動させてまで実行した魔術が開門だというのか? それはありえない。
なんらかの魔術が実行されていることは間違いないが、今のところなんの変化も見えない。 門が開いた以外は。
やはり気は進まないが調べてみるしかなかろう。
「副長殿…魔術は失敗したのでしょうか?」
大いに希望的観測だ。しかしその可能性も無いとは言えない。
隊員の不安を和らげるためには、それに言及したほうがいいだろう。
「わからん。しかし、何も起こらないところを見ると失敗した可能性も考えられなくはない。門周辺、そして門外の調査を行う。各自危険と判断した場合は全力で撤退するように」
三名を一隊として門外の調査班を編成する。
本来は北へ向かう街道を調査する積もりだったのだが、その街道がない。
我々の北への侵攻を妨害するために街道を別の場所に設置したのか、とも考えたが周りに広がる光景は年数を重ねて生い茂った密林に近い。
事前情報の誤りか?しかしこのような何もない場所に城門を設置する意図がわからない。
仕方なく前述の三名一隊の班を放射線状に偵察に出す。
等間隔に六隊編成した。
残りの隊員は門周辺の内外の調査をする。
「副長殿!」
門内で待機するわたしのもとに門外周辺の調査をし始めた隊員がすぐに戻ってきた。
顔面蒼白である。
ただならぬ様相にすぐに門外へ向かい、言葉もなく指し示された方向を見て驚いた。
先ほどは気づかなかったが、城門は外側からみると周囲数十メートルほどで切り取られたように密林の中に浮かんでいたのだ。
門の左右はしばらく城壁が続くが、途中から陽炎のようにゆらめいて曖昧になりその先は森の風景になっている。
見上げれば見張り塔が見えるはずの位置には高い木立と青空になっている。
「どうなっている…まやかしか?」
まやかしで我らを足止めにして、王や兵達を逃がそうという算段なのか?
それは充分に考えられる。このどこまで続くかわからぬまやかしの術のためにあれほどの魔法陣を作ったというわけか。
その時だった。
「ぎゃああああ!」
凄まじい悲鳴が聞こえた。
背後からだ。
振り向いてみると隊員が一人空中にいた。
巨大な手によって胴体を握られ、身動きが取れない。
「怪物か!?」
木立に遮られて怪物の正体が判然としない。
「全軍調査中止!方陣を組んで門内に退避ー!急げ!弓を持つ者は味方に当たらないように撃ち込め!」
隊が恐慌に陥る前に素早く指示を出す。
弓矢を準備していた兵は少なかったが、それでも十線が木立の向こうへと射込まれる。
低く唸るような唸り声が聞こえて、握られていた兵は地面へと落ちる。
「牽制射撃を続けつつ負傷者を救助!偵察隊に聞こえるように撤退ラッパを吹け!」
次々と指示を出しつつ隊列を徐々に後退させる。
木立ごしということもあり、なかなか致命傷には至らないようだ。
ついに怪物は姿を見せた。
「食人鬼だと!?」
王都のすぐ門外になぜ食人鬼がいるのだ?
そのような危険な怪物がいればすぐに騎士団なりが出され討伐されるはずだ。
「手強いが充分勝てる相手だぞ!落ち着いて後退し、防御線を構築する!門内に後退したのち二十メートルの距離を取って槍隊は下馬し防御陣を張れ!弓隊は後方から射撃によって食人鬼を弱らせる!わたしの直率はそのまま騎乗し、機会を見て側面から突撃をかけ敵を撃滅せよ!」
矢の残りが心配だ。
距離をあけすぎて敵の突進を許せば一気に崩される可能性がある。
全員を無事に連れ帰るにはこの食人鬼を倒さねばなるまい。
突進し始めると相当な速度で動けるはずだ。
なんとかジリジリと門内に後退することができた。
「槍隊防御線を組め。二列横陣!」
食人鬼が弱れば前進して距離を詰め、騎兵突撃で気を逸らせたところを串刺しにしてやればいい。
なぜここに食人鬼がいるのかという疑問はその後ゆっくり考えればよい。
「よーしいいぞ、気を抜くな!槍隊前進準備せよ!騎兵隊左右に分かれて交差突撃するぞ!無理するなよ、あくまでも陽動だ!」
食人鬼は門をくぐったところで縫い付けられるかのように矢の雨を浴びて弱っていた。
堅い皮膚だが、鉄の鏃は少なからず傷を負わせ体力を奪っているようだ。
訓練された兵士十人と同等といわれる怪物だ。
こちらは五十、油断しなければ大丈夫のはずだ。
それは敵が一体の話だ。
「なんだと……」
門の向こう側に大きな影が見えた。
「グオオオオオオオ!」
響き渡る咆哮に騎馬が棹立ちになる。
訓練された軍馬も本能的恐怖を抑制するには限界がある。
「まだいたのか……」
それは食人鬼の大群だった。
門をくぐってくる食人鬼の中には第二騎兵隊の偵察をつとめていた兵と思われるものの残骸をぶら下げているものもいる。
「あ…あ…あ…」
兵達もあまりのことに言葉を失っている。
これはいったいなんの冗談だ?
思考停止していたのはおそらく一秒にも満たなかったかもしれない。
考えることを放棄しようとする頭を奮い立たせ、隊に指示を出す。
「ぜ、全員騎乗!本隊へ合流し怪物の掃討戦の準備をするぞ!騎乗完了した者から順次撤退せよ!隊列など構わん!全速だ!」
「は、はい!!」
しかし、騎乗状態だった者を除いて騎乗できたのは僅かだった。
馬は食人鬼の咆哮によって恐慌状態となり、繋索を引きちぎって逃げたものもいたし、残った馬も暴れてなかなか乗ることができなかった。
そして、
「オオオオオオオオオオオ!」
多数の食人鬼が同時に咆哮を上げると一斉に突撃を開始した。
馬はさらに脅えて手綱の制御を離れ一斉に駆け出してしまった。
「撤退!撤退せよ!」
狂ったように走る馬の背でわたしはそう叫ぶことしかできなかった。
背後では兵達の悲鳴、巻き込まれた馬の嘶き、狂乱する食人鬼の声が入り混じって聞こえている。
「まさしく悪夢だ…」
馬をなんとか落ち着かせようと奮闘しながらわたしは呟く。
そうしながら状況を整理しようと思うのだが、どうにもうまくいかない。
ただこれはおそらくあのエルフの所業に違いない。
わたしがその時覚えた感情は怒りでも憎しみでもなく、ただ恐怖だった。
許されるのならすぐにでも逃げ出してイダヴェルへと逃げ帰りたい。
あやつの手の届く範囲にいることが心底恐ろしい。
また頑張って投稿しますのでよろしくお願いします。




