第16話 試験開始です
横浜。
旧・聖ヶ丘学園の正門前に、一台のワゴン車が停まっていた。
閉鎖された学校は、荒廃していた。門には「立入禁止」の看板。フェンスは錆び、校舎の窓ガラスは割れている。
高野凛――30代半ば、黒いスーツに身を包んだ女性が、タブレットを手に立っている。
彼女の髪は短く、表情は厳しい。目元には深い皺があり、長年の審査業務の重圧を物語っている。
「おはようございます。高野さん凛です。今回の実技試験の監督官を務めます」
彼女の口調は事務的だった。そして鋼のような硬さを感じさせる。
「受験者は3名。八坂祐介、草薙獅堂、三日月吉宗。全員揃いましたね」
僕と獅堂が頷く。
その後ろで吉宗は、彼女を無視してスマホで自撮りしながらVサインを作っていた。
緊張感がないな。
「おはよーございまーす! 今日はなんと、霊智協会の試験にお邪魔して今ーす! え? 私が霊能者に?
あははないなーい、私はオマケっていうかー」
そんな彼女に高野さんが鋭い視線を向ける。
「三日月さん。配信は禁止です」
「わかってますよーう。これは録画すぜおねーさん。動画はちゃんと後で提出してお伺いもにいますってば」
「そうですか。それならば構いませんがくれぐれもコンプライアンスは死守してください。
では、依頼人を紹介します」
淡々とした高野さんの言葉。
そしてそれに合わせて、ワゴン車の後部座席から一人の女性が降りてきた。
年齢は20代後半。黒いワンピース、髪は肩まで。やつれた顔に、深い隈。
手には白いハンカチを握りしめている。
「初めまして。工藤栞と申します」
彼女の声は震えていた。
「私の妹、詩織が――『教室の13人』の一人でした」
僕は工藤栞さんを見つめた。
彼女の目には、深い悲しみと、同時に強い決意が宿っていた。
14年間、真実を求め続けてきた人の目だ。
「詩織は……私の大切な妹でした」
栞さんの声が詰まる。
「失礼します」
高野さん凛が栞さんに水を渡す。栞さんは小さく頷き、一口飲む。
「大丈夫ですか?」
獅堂が尋ねる。
「はい。すみません」
栞さんは深呼吸をして、続ける。
「詩織のことを、聞いていただけますか」
「もちろんです」
だけど、心の中で思う。
僕は――あなたの妹の死を、映像で見た。
そして、何も感じなかった。
「怖いね」と笑い合った。
その罪を、今、どう償えばいい?
◇
学園の敷地内、かつての職員室を改装した仮設事務所で、工藤栞さんは語り始めた。
部屋は簡素だった。折りたたみテーブルが二つ、椅子が六脚。壁には当時の学校の見取り図が貼られている。
窓からは、荒れ果てた校庭が見える。
「詩織は、2012年3月11日に失踪しました。あの日、震災からちょうど一年目でした」
栞さんの手が震えている。
「詩織は中学2年生でした。14歳。真面目で、優しくて、少し内気な子でした」
栞さんはバッグから、一枚の写真を取り出す。
制服を着た少女。柔らかい笑顔。髪は長く、三つ編みにしている。
「これが、詩織です」
僕は写真を受け取る。
写真の中の詩織は、幸せそうに笑っていた。
「失踪の前日、私に言ったんです。『明日、大事なことをする』って」
「大事なこと?」
「はい。でも、何をするのかは教えてくれませんでした。ただ、『お姉ちゃん、ごめんね』って謝ったんです」
栞さんの目に涙が浮かぶ。
「私、その時は気にしなかったんです。思春期の子って、よくわからないこと言うじゃないですか。でも……」
栞さんはハンカチで目を拭う。
「次の日、詩織は帰ってきませんでした」
高野さん凛が記録を取っている。
「工藤さん、まず確認させてください。あなたが協会に依頼した内容は――」
「妹の遺体を見つけてほしい。そして、なぜ妹が死ななければならなかったのか、真実を知りたいんです」
栞さんは顔を上げた。その目は決意と諦めが混ざった、哀しいまなざしをしていた。
「警察は、13人の失踪を『家出による集団自殺』として処理しました。
教室に残された睡眠薬の痕跡から、集団服毒自殺を図ったと。
でも、遺体が見つからない。だから、未解決のまま、やがて『心霊事件』として扱われるようになりました」
獅堂が質問する。
「警察の捜索は、どの程度行われたんですか?」
「最初の3ヶ月は、かなり徹底的に行われました。学校だけでなく、周辺の山林、川、海岸まで。でも、何も見つかりませんでした」
「13人分の遺体が、全く見つからないというのは不自然ですね」
「はい。だから、様々な憶測が飛び交いました。誰かが遺体を隠したんじゃないかとか、実は生きているんじゃないかとか」
栞さんは首を横に振る。
「でも、14年経った今、誰一人として姿を現していません。だから、死んだと考えるしかないんです」
吉宗が尋ねる。
「えっと質問っす。あの、他のご遺族の方々は、どう考えてるんですか?」
吉宗の言葉に栞さんの表情が曇る。
「バラバラです」
栞さんは苦しそうに答えた。
「もう真相なんて知りたくないという人もいます。そっとしておいてほしいと。中には、『詩織たちはどこかで幸せに暮らしている』と信じ続けている方もいます」
「でも、工藤さんは違うんっすよね」
「はい。私は――私は知りたいんです。妹が最後に何を考えて、何をしようとしていたのか。それを知らないまま、この先生きていくことはできません」
僕が尋ねる。
「ネットの情報だと、『いじめの傍観者が贖罪のために集団自殺した』って話になってるけど、それって本当なんですか?」
栞さんの表情が強張る。
「それが――わからないんです。警察も、学校も、何も教えてくれませんでした」
「どういうことですか?」
「学校は、事件後すぐに情報統制を敷きました。生徒や教師への取材を禁止し、『パニックを防ぐため』と言って、詳細を一切公表しませんでした」
獅堂が眉をひそめる。
「それは不自然ですね」
「私もそう思いました。でも、学校側は『遺族の心情に配慮して』の一点張りで。私たち遺族が真実を求めても、『警察の捜査の妨げになる』と言われて……」
栞さんの拳が震える。
「そうこうしているうちに、学校は閉鎖されました。教職員も散り散りになって。今では、当時のことを知っている人を探すのも困難です」
僕が尋ねる。
「でも、佐久間陽菜さんという生徒のことは知っているんですよね」
栞さんは頷いた。
「はい。詩織の同級生の一人、佐久間陽菜さんという女の子が、震災の日に校舎から転落死していたことは知っています」
「転落死?」
「はい。でも、事故として処理されました。震災のパニックの中で、屋上から誤って転落したと。ご遺族も、それ以上追及しませんでした」
獅堂が地図を広げる。
「つまり、二つの死がある。
一年の時差を挟んで。2011年3月11日に佐久間陽菜さんが転落死。
2012年3月11日に13人が失踪」
「そうです」
栞さんは頷いた。
「陽菜さんの死と、13人の失踪。この二つには関係があると、私は思っています」
「なぜそう思うんですか?」
栞さんは再びバッグを漁る。
「これを見てください」
彼女が取り出したのは、一枚の新聞記事。
「陽菜さんが亡くなった後、地元紙にこんな記事が載りました」
記事には、こう書かれていた。
「聖ヶ丘学園で中2女子が転落死。震災のパニックで事故か」
だが、記事の隅に、小さな注釈がある。
「学校関係者によると、被害者の生徒は以前から不登校気味だったという」
「不登校気味……か」
獅堂がその部分を指差す。
「これは、何かあったことを示唆していますね」
「はい。私も調べました。陽菜さんは、震災の数日前から学校を休んでいたそうです。理由は『体調不良』となっていますが……」
栞さんは言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「詩織の日記には、陽菜さんのことが書かれていました。『陽菜ちゃんに何かあった』『助けなきゃいけない』って」
僕が身を乗り出す。
「その日記、見せてもらえますか?」
「はい。実家に保管してあります。必要なら、今すぐお持ちします」
「お願いします」
栞さんが頭を下げて、立ち上がる。
高野さん凛が資料を広げる。
「工藤さん、出発する前に、念のため確認します。あなたは『真実を知りたい』とおっしゃいましたが、もしその真実が――ご遺族にとって辛いものだったとしても、公表することに同意しますか?」
栞さんは息を呑んだ。
「それ、は――」
しばらく沈黙があった。
「栞さん」
獅童が言う。
「プライバシー、プライベート、コンプライアンスを守りたいなら……依頼を取り下げた方がいい。
あなたが依頼している相手は……霊能者とは、そういうものなんです。
生者の言葉よりも、死者の想いを優先する。たとえそれがどんなに不都合で残酷なものでもあっても。
死人に口なし、といいますが――俺たちの世界は違う。
生者にこそ、口がない。
それが――霊能者です」
獅童は静かに言った。
……獅童の言葉は辛辣で残酷ですらある。しかし……これは獅童の心遣いでもあるだろう。
霊能者というものは本当にそういうものだからだ。
僕たちはそういうものは目指さない、と二人で誓っているが、それでも――霊能者と言うものは詐欺師なのだ。
栞さんの事を考えるなら、依頼を取り下げた方が心の平穏にも繋がるかもしれない――少なくとも、諦観が絶望と慟哭に塗り替わってしまう事がない、かもしれない。
……全て仮定の話だ。
どうなるかは、わからない。
風が窓を揺らす。
そして、彼女は頷いた。
「……同意します。どんなに辛くても、知りたいんです。妹が何を抱えて死んだのか」
栞さんの声は、震えながらも、確固たるものだった。
「詩織は、何かを背負って死にました。その『何か』を知らずに、私は前に進めません。たとえそれが、詩織にとって不名誉なことであっても、真実を知りたいんです」
高野さんが記録を閉じる。
「わかりました。では、工藤さん、日記を取りに行ってください。受験者の皆さんは、その間に現場を確認してください」
栞さんが部屋を出ていく。
それを見送った後、獅堂が口を開く。
「高野さん、一つ確認したいんですが」
「なんでしょう」
「この案件、スピの介が推薦したと聞いています。
ということは、何らかの妨害工作がある可能性が高い。その場合、監督官として、どう対応されますか?」
「……」
高野さんは表情を変えなかった。
「私の役割は、試験の公正性を担保することです。妨害工作があれば、それを排除します。ただし――」
彼女はタブレットを操作して、画面を見せた。
そこには、協会からの公式文書が表示されている。
東京霊智協会 審査委員会より通達
件名:Case No.0072 実技試験の実施について
本案件には協会の名誉がかかっている。受験者の行動を厳格に監視し、以下の行為があれば即座に失格とすること。
1. 遺族への配慮を欠いた言動
2. 証拠の捏造・改ざん
3. 無関係な第三者への迷惑行為
4. SNSでの無断公開
5. その他、協会の信用を損なう行為
……これはひどい。
僕は拳を握る。
「つまり、僕たちが少しでもヘマをすれば、それを理由に失格にできるってわけか」
「その通りです」
高野さんは頷いた。
「ですから、慎重に行動してください。特に――」
彼女は僕を見た。
「八坂さん。あなたの霊感は、物的証拠にはなりません。主観的な体験として扱われます。ですから、必ず客観的な証拠と併せて提示してください」
……無茶を言うな、と僕は苦笑した。
霊能者の組織の資格試験で、「霊感は証拠として扱われない」か。
言外に明らかに、自分たちが必要としているのは霊能者ではなく詐欺師です、と言っているようなものじゃないか。
だがまあ、それでも……冷静に考えると理解はできる。
「なんでですかー。霊能者の組織でしょっ」
「吉宗。霊感というものは客観的立証がしづらいものだ。個人の相談ならともかく、調査解決でそれを根拠にしても始まらないんだよ。
わわわわわ私が視たんだから正しいんです!!! キイイイイイ!!!!
って暴れるイカれた妄想家の意見を霊感なら仕方ないって全て受け入れたらどうなる」
「うっ……」
吉宗ちゃんの抗議に、獅童が答える。
その通りだ。
「わかっています」
僕の言葉を受け、高野さんが頷く。
「では、調査を開始して下さい。
――試験開始です」




