第11話 いよいよ本丸に殴り込む
数日後。
僕らは、一ノ瀬雫さんと一緒に、再び彼女の家を訪れていた。
今回は、雫さんの友人も付き添っている。
あの時、僕らに雫さんを紹介してくれた女子高生だ。
「本当に、大丈夫なんですか……?」
雫さんが、不安そうに聞く。
「大丈夫です。任せてください、必ず解決します!」
獅堂が営業モードで力強く言った。
「さあ、入りましょう」
僕らは、一ノ瀬邸に入った。
「祐介、これを」
獅堂が、お札の束を僕に渡した。
「いいか、祐介。お札は家の四隅と、特に霊道になりやすい窓際、それから家の中心に貼る。正確にな」
家の中に入るなり、獅童は僕に指示を飛ばした。箱の中から取り出したのは、朱墨で複雑な文様が描かれた何枚ものお札だ。
「わかった」
僕は、お札を持って家の中を回る。
獅堂の指示通り、目立たない場所に貼っていく。
壁の隅、家具の裏、天井の端。
これみよがしにならないように、だが確実に。
お札を貼りながら、僕は数日前の会話を思い出していた。
◇
「原因がわかったなら、やっぱり引っ越すしかないんじゃないか?」
僕が言うと、獅堂は首を横に振った。
「それじゃダメだ」
「どうして?」
「霊がいる、呪われていると本気で信じている人間に対して、「いや、実はそれ、霊じゃなくて低周波っていう音波が原因なんですよ。科学的な現象なんです」って説明して心の底から納得すると思うか」
獅堂は、真剣な表情で言った。
「それは……確かに」
「その場では頭で理解しようとするだろう。
だが心は納得しない。長年苦しめられてきた恐怖や不安は、科学的な理屈一つで消え去るほど単純じゃない。
むしろ「そんなはずはない」「この人たちは何もわかっていない」って、余計に心を閉ざしてしまう可能性すらある」
彼はドリンクバーのアイスコーヒーを一口飲むと、続けた。
「そうなるとどうなる?
仮に引っ越したとしても、心理的な要因でまた別の怪奇現を自分で引き起こしかねない。
あるいは俺たちに見切りをつけて、また別の……それこそスピの介みたいなインチキ心霊ゴロに大金を払って頼ることになる。
それじゃ、根本的な解決にはならない」
「……」
「だから、相手が低周波だとしても、俺たちは霊の土俵で戦う」
「土俵……?」
「ああ。霊が原因だと認めて、その上で代々的に祓う。心の問題は、心で解決するんだ」
「でも、実際には低周波が……」
「もちろん、物理的な対策も行う」
獅堂は、リフォーム業者のパンフレットを取り出した。
「昨日、専門の業者に連絡して、すでに見積もりも手配も済ませてある」
「え、業者って……まさか!」
「ああ。一ノ瀬の家の壁紙を張り替える。全部じゃねえが外側の壁をまるっとな」
獅童はスマホで一枚の画像を見せた。それは、スポンジのような、あるいは目の細かいフェルトのような、特殊な素材のシートだった。
「音波吸収材。主に音楽スタジオとか、無響室で使われるもんだ。
これを壁紙の下に仕込む。もともと可聴領域外のかすかな低周波だ。これだけ広範囲に施工すりゃ、人体に影響が出ないレベルまで、ほぼ完璧に減衰させられる」
あまりにも大胆な除霊計画だった。馬鹿げているといってもいい。しかし、完璧に筋は通っている。
「つまり……除霊の儀式は一ノ瀬さんの心を救うためのパフォーマンス。
そして壁の中の音波吸収材が、現象そのものを解決する本当の除霊……ってこと?」
「そういう事だ。
お札を貼って儀式を行い、ありがたい霊験で霊を鎮めたと信じ込ませる。
その心理的な安心感。そして実際に、もう怪奇現象は起きなくなるという物理的な事実。
この二つが揃って初めて、本当の意味での救いになる。これが俺たちの除霊だ」
◇
僕は最後のお札をリビングの中心の壁に貼り付けた。
振り返ると、部屋の隅で固唾を飲んで見守っていた雫さんたちが、僕の動きをじっと見つめている。
「準備、完了だ」
僕が頷くと、獅童はゆっくりと部屋の中央に進み出た。
彼は一度、目を閉じ、深く息を吸い込む。そして、再び目を開いた時、その瞳には先ほどまでの営業モードの軽薄な光はなく、神聖さすら感じさせる、鋭い輝きが宿っていた。
除霊モードとでもいうべきなのだろうか。
場の空気が、一瞬で変わる。
「……祐介の霊視によると」
獅童の低い声が、静まり返った部屋に響いた。
「この地に古くから巣食う、不成仏の霊だ。
かつてこの辺りは沼地だった。人知れず、多くの命が失われた。
その無念が、長い年月をかけて澱のように溜まり、この土地そのものを呪いの器に変えてしまった。
一ノ瀬雫。あんたは悪くない。ただ、偶然ここに住んでしまっただけだ」
大嘘である。
もっともらしい、しかし完全にデタラメの来歴。
だが、獅童の迫真の語りは、雫さんたちの心を完全に掴んでいた。彼女たちは、ゴクリと喉を鳴らし、彼の言葉に聞き入っている。
「だが、それも今日で終わりだ。我が名は草薙獅童。相棒、八坂祐介と共に、天命を以て魔を祓い、不浄を清める者なり!」
獅童は懐から数珠を取り出し、ジャラリと鳴らした。そして、まるで歌うかのように、朗々とした祝詞を唱え始めた。
「かけまくもかしこき、産土の大神たち……」
それは、どこかの神社で聞いたことがあるような、それでいてどこか違う、彼独自の祝詞だった。
……そう言うと聞こえは良いが、ようするに「っぽい」だけの祝詞だ。だが、雰囲気を作り出す効果は絶大だろう。
抑揚のついた声が、リフォームされた壁に反響し、部屋全体を荘厳な雰囲気で満たしていく。
僕も彼の隣に立ち、目を閉じて祈るふりをした。心の中で、この偽りの儀式が、一人の少女の真実の救いになることを、ただただ願っていた。
祝詞は次第に熱を帯び、クライマックスへと向かっていく。
「――悪しきものを打ち祓い、清きものを招き入れん! これなる呪詛、我が霊力にて封滅せん!」
カッと目を見開き、獅童は右手を前方に突き出した。その指先は、僕が最後にお札を貼った、リビングの中心の壁に向けられている。
一拍の間。
部屋中の空気が、極限まで圧縮されたかのような錯覚。
「――急急如律令」
獅童が力強く宣言した瞬間、張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。まるで、見えない重石が取り除かれたかのように。
静寂が訪れる。
誰もが、息をすることも忘れ、呆然と立ち尽くしていた。
やがて、おそるおそる、雫さんが口を開いた。
「……あ……」
彼女は、信じられないといった表情で、部屋の中を何度も見回している。
「あの、嫌な感じが……しない……。空気が、澄んでる……?」
「え、本当!?」
「よかった……!」
友人が、泣きながら彼女に駆け寄る。二人は抱き合って、ただただ喜びの涙を流していた。
もちろん、空気が澄んだのは単なるプラシーボ効果だ。僕には獅童の儀式の前と後で何か変わったようには全く感じない。
今日はもう最初から、ノイズは鳴り響いていなかった。
でも、彼女たちが感じている安堵は本物だ。
これで彼女はもう、あの見えない恐怖に怯えることはない。
「――あ」
ふと、彼女の後ろで、老婆が安堵した顔で頭を下げたのが、視えた。
そんな、気がした。
◇
儀式が終わり、僕らは一ノ瀬邸を後にした。
帰り道、僕は獅堂に聞いいみた。昨日からずっと気になっていた事だ。
「壁紙の張り替え、高かったんじゃないか?」
「ああ、高かったな」
獅堂は、あっさりと認めた。
「バイト代、全部吹っ飛んだ」
「それは……」
「だけど、お釣りはくる」
獅堂は静かに笑った。
「待ってろ。すぐに、わかる」
◇
「おい祐介、見ろよこれ」
占いの館瑠璃宮の待機室で、獅童がスマホの画面を僕に見せてきた。
そこには、とあるニュースサイトの記事が表示されていた。
『衝撃! 有名霊能者スピの介が匙を投げた心霊物件、謎の高校生コンビが完全解決!』
その見出しの下には、僕たちが一ノ瀬さんの家を「除霊」した一件が、ドラマチックに書き立てられている。友人たちの証言を元にしているらしく、かなり信憑性の高い記事として扱われていた。
「女子高生たちのネットワークは、どんなメディアより拡散力が高いからな。あっという間に広まって、ネットニュースにまでなったってわけだ」
獅童はニヤニヤしながら、SNSの画面に切り替える。
「#スピの介ざまぁ」「#本物の霊能者」といったハッシュタグと共に、僕たちの噂が爆発的に拡散されていた。
『スピフェスで炎上してた子、本物だったんだ!』
『スピの介がビビって逃げた案件を解決とか、マジ神』
『うちも見てほしい!』
コメント欄は称賛の書き込みで溢れかえっていた。
「あのスピの介様が手を焼いて拒否した霊障を解決したんだ。それもスピの介自身が偽物だと太鼓判を押した相手が、だ。
つまり結果としてスピの介大先生様のお墨付きだよ、お前の力は。
そりゃ客も来て儲かるし、投資分なんか余裕で戻ってくるさ」
スピの介が霊障に手をやいて拒絶した、というわけではないのだが、もうネットではそういうことになっていた。
まあスピの介も、まさか騙されてヤクザの家にお邪魔してしまったから雫さんを着拒してた、とは言えまい。プライドがある。
「最初から……この展開を考えてたの?」
僕が呆然と尋ねると、獅童は「さあな」と肩をすくめた。
「だが、使えるものは使うさ。
助けられる人は助けて、俺たちは名を売る。バカの評判もきっちり落としてくそざまぁ、だ。
一ノ瀬雫も救われ、俺たちは儲かり、スピの介は評判を落とす。三方丸く収まる、最高のハッピーエンドだろう?」
彼は小さく、悪戯っぽく笑った。
詐欺師め。
だけどその笑顔は僕にはとても頼もしく映った。
「そして、これで必要なものは揃った。
名声と実績。これを持って、いよいよ本丸に殴り込む」
「本丸って……霊智協会のこと?」
「ああ。天下のスピの介が拒否した霊障を解決した霊能者コンビ。しかも、今一番勢いのある占いの館瑠璃宮のトップ占い師だ。協会も、もう俺たちを無視することはできない」
「でも、瑠璃宮を蹴って移籍するなんて……艶華さんを裏切るってこと?」
僕がそう言うと、獅童は肩をすくめた。
「あのババアが、そんなちっぽけなことで裏切られたなんて思うタマかよ。むしろ、話はもうついてる」
「えっ!?」
「協会に潜り込んで、中からブチ破る。
瑠璃宮艶華もその計画の協力者だ。
最初に言ってたろ、師匠はスピの介が大嫌いなんだとよ。嫌われすぎだろあのオッサン」
艶華さんのあの底の知れない笑みを思い出す。
彼女がそこまで味方として動いてくれるというのならも、確かに心強くある。
「一度中に入りさえすればこっちのものだ。
俺のハッタリと、お前の目。
それを武器に獅子身中の虫となって奴らの懐から一気に食い荒らし、駆け上ってやる」
獅童は立ち上がり、窓の外に広がる繁華街の景色を見下ろした。その視線は、この街を遠く超えたどこかにある一つの白亜のビルを捉えているかのようだった。
「見ていろ、枢天城。
お前を必ずその玉座から引きずり下ろし、叩き潰す」




