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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード2
25/31

◆ 第4章:分断の教室




——見える人と、見えない人


1

昼下がりの講義室。

遼は、ノートを取る手を止めた。

集中しようとするほど、

黒板の文字が遠のく。


(なんで、何も入ってこない?)


鉛筆を握り直す。

手の震えが小さく、

だが確実に続いている。


「安藤くん?」


横から、みさきの声。

覗き込む瞳。


「大丈夫?」


笑ってみせた。

上手く笑えたかは自信がない。


「ちょっと寝不足で」


(違う。もっと根が深い)


だが、真実は言えない。

言ったら、離れられる気がする。


2

休み時間。

海斗が遼を通路に引っ張った。


「お前さ、顔色悪い。

 無理してねえ?」


「無理なんか——」


否定の途中で、

海斗の眉がわずかに歪む。


「前の遼なら、

 “無理してない”って

 もっと堂々と言えてた」


遼は言葉を失った。


確かに、

その自信はどこかで置いてきてしまった。


「……みさきちゃんの前で、

 頑張りすぎてない?」


心臓が掴まれたみたいに痛む。


図星。

でも認めたら、崩れてしまう。


「関係ない」


「あるよ」


海斗は真っ直ぐだった。


「好きな子に会うために頑張るのはいい。

 でも、自分を削ってまでやるな」


遼は俯いた。

靴紐の先が滲んで見えた。


3

みさきは、遼の変化に気づいていた。


講義後、

廊下で肩を叩く。


「今日、一緒に帰らない?」


「ごめん、課題が……」


言った瞬間、

みさきの目が寂しそうに揺れた。


(ああ……傷つけた)


そう思った瞬間、

罪悪感が全身を締めつける。


「……やっぱり帰る」


「え?」


「課題、後でやる」


みさきは笑った。

嬉しそうに。


だが遼の内側では、

紅い警告灯が点滅していた。


“優しさ”が自分を壊していく。


4

バス停へ向かう途中。

遼はふと立ち止まった。


目の前の人々が、

ざわめきの中で

まるで別世界の住人のように見える。


(みんな、ちゃんと生きられてる)


自分だけが、

どこか欠けている。


人の声が遠い。

色彩が少し褪せる。


みさきの声だけが、

浮き上がって響く。


「安藤くん?」


「……なんでもない」


その言葉は、

もう盾にしかなっていない。


5

帰宅後。

遼は机に向かうが、

文字列は視界をすり抜ける。


時計の秒針がうるさい。

呼吸が浅い。

心拍が速い。


(やらなきゃ。

 できない。

 なんで?)


紙の端を握る手が痛い。


スマホが震える。


みさき《今日楽しかったね。

    また一緒に帰ろう》


返す言葉が、

浮かばない。


好意を向けられると、

それだけで責められているようだった。


6

ベッドに横になる。


天井が、

ゆっくりと沈むように見える。


目を閉じると、

水が満ちてくる。


胸の奥から。

音もなく。

暗い潮が。


光を吸い込む深海。

その底に、

自分の輪郭が沈んでいく。


恋の光はまだある。

だがその光は

遼を照らすよりも、

弱さの影を濃くしていく。


明日の約束が、

苦しくなり始めていた。


第4章「分断の教室」 完


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