■エピローグ 未来の速度で — After Story
◆1 空へ伸びる影
六月。
透明な光が街に満ちていた。
希は、大学の屋上に立っていた。
風が髪をかすめ、雲の縁を滑る。
スマートフォンを取り出して、LIMアプリを起動する。
画面の右下には、
淡い青で輝く小さな文字があった。
USER: NOZOMI
SUPPORT ENGINE: YUUTO
今日の学習タスクは「レポートの章構成」。
希は深呼吸し、イヤホンを耳に差し込んだ。
『希さん、はじめよう。
二つだけ集中すればいい。
“今の自分”と“次の一歩”。』
優しい電子の声。
そこには癖のある語尾があった。
悠人の声の特徴を、AIが自然に真似ている。
「うん。任せて」
画面に新しい章タイトルが並んでいく。
彼女はもう、
ひとりで立てる。
◆2 家族写真とパスワード
その頃。
佐伯家のリビング。
棚に飾られた写真立てには、
三人と一つの余白が写った一枚があった。
亮介はその前に立ち、
コーヒーを片手に言った。
「パスワード、変えたんだ」
「何に?」
「“MiraiSpeed2050”」
照れ隠しのように笑う。
さつきは小さく笑い返した。
「悠人が聞いたらまた笑うわね。
“未来に追いつく気ある?”って」
「だったら、こう返すさ。
“追いつくよ。待ってろ”ってな」
写真の余白に向けて
亮介はそっとパチンと指を鳴らした。
父はもう、未来を怖れていない。
◆3 研究室の壁に貼られた一枚の紙
大学。
瀬尾の研究室。
壁一面に論文の受理通知や記事の切り抜きが貼られている。
その真ん中に、白いA4の紙が一枚。
LIMプロジェクト — 新規フェーズ承認
対象:就学困難を抱える中高生・全国展開
瀬尾は誰にともなく呟いた。
「君の研究は、やっとスタートラインに立ったよ」
隣では木島が笑う。
「次は国際会議だな。
“未来の速度で”走ってる研究なんて、滅多にない」
「……いいタイトルですね」
瀬尾はうなずき、
モニターに映るファイルを開いた。
《future_protocol_v1.0》
――作成者:佐伯悠人
「彼が遺した未来を、
僕らが遅れずに守らなきゃいけない」
◆4 交差点で見たもの
夕方。
帰宅途中のさつき。
大きな横断歩道。
信号待ちをしていると、
向こう側に白いパーカーの青年が立っていた。
ふと、
悠人の横顔に見えた。
(あっ)
思わず一歩前へ。
しかし信号はまだ赤。
青年がこちらに気付き、会釈する。
他人だ。
でも——
胸の奥で、確かに何かが応えた。
(見間違いじゃないの。
悠人は、ここにいる)
青に変わる。
歩き出す足が、
もう震えてはいなかった。
◆5 未来を失わなかった人々
翌週。
病院の相談室。
さつきは、
自死遺族の集まりに顔を出していた。
「息子さんのこと、
お話しできますか」
「ええ」
ゆっくりと語り始める。
悲しみは消えない。
でも、
悲しみの形は変えられる。
「……生きていてくれた時間、
あの子は私たちを救っていたんです」
その言葉に、
誰かが静かに泣いた。
「未来が止まったんじゃなくて、
私たちが止まっていただけでした」
隣の女性がさつきの手を握る。
「あなたの未来も……
きっと動き出します」
◆6 風の中の声
希は駅前のベンチに座り、空を見上げた。
約束したのだ。
(私も誰かを救うって)
スマホを手に取る。
LIMアプリを起動。
『希さん、今日もお疲れ様』
「ねえ、悠人さん」
『ん?』
「あなたの未来は、
まだまだこれからですよ」
風が吹いて、
声が遠くまで運ばれていく。
◆7 速度は、未来へ向かう
夜。
佐伯家の窓辺。
亮介は小さく呟いた。
「おやすみ。
未来でまた会おう」
その瞬間、
通知が一つ届いた。
SYNC
新規音声データが追加されました
《future_note_3.m4a》
震える指で再生ボタンを押す。
『父さん、母さん。希さん。』
『僕、走るよ。
まだまだ遅れられないからさ。』
『未来の速度で、ね?』
短く笑う音がした。
あの独特の、少し照れた笑い。
涙が零れた。
けれど、その涙は温かい。
Last Line
僕たちは、未来の速度で生きていく。
■エピローグ:完




