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未完成のパン

「そこの旅の方、パンはいかがですか」

 サナエの右手に刻印された紋章を探す旅をしている2人に、男が声をかけた。男は、エプロン姿の中年オヤジ。とても人の良い笑顔をしている。

「へっ、パン?」

 声をかけられた2人が足を止めた。

 そういえば今日は何も食べていなく空腹を感じていた。そんな状態でパンはどうだと言われたのだ足を止めないわけがない。

「こんなところでパンが売っているなんてな。ご主人、こんなところで商売が成り立つのか、見たところ、このへんは人通りが少ないだろうに?」

 確かにこの辺りは、山で囲まれていて、人通りは少ない。よっぽどの目的がない限りこの場所を通ることはないだろう。そんな場所でパンを売っているのである、マルが驚くのも無理はない。

「いえ、私は、ずっとここで売っているわけではなく、この車で各地を回ってパンを売っているんです。それで今日は、気分でこの場所にしようかなと思いまして、どうですか、1つ。私の人生で1番おいしかったパンを模して作ったものです。かなりのおすすめですよ」

 1つ補足しておこう。この世界は地域ごとで文明の発達や文化が全く違う。そして、車は、かなり高度の文明をもった地域にだけしか存在していない。かなりの高級品である。

「どうですか、このパン保温機に入れているのでほかほかですよ」

 店主の男が取りだしたパンは美しい光沢をしているコッペパンであった。表面に光が反射して、景色が映っている。

「これは、このまま食べてもおいしいんですが、この特製バターを塗ればさらにおいしくなるんですよ」

 そう言って、店主の男は、パンとは別に保冷室からキンキンに冷えたバターを取り出した。このバターをホカホカのパンに載せるととろりと溶け、さぞおいしいだろう。

「このバターはね、ある地域にしかいない、バター牛(バターを作ることにしか使えない牛乳を出す牛)の牛乳から作ったバターですよ。これが、このパンに合うんですよ。いかがですか?」

「ごくっ・・・マル、買って」

「うむ。俺も食いたい、ご主人そのパンを2つくれないか」

「はい、ありがとうございます」

 店主はパンが売れたことに喜び、2つのパンを紙に包み2人に渡した。

「めっちゃ、ええ匂い」

 サナエは、コッペパンを半分に千切る。ちぎられた面からは、パンの香ばしい臭いがあふれ出る、それにつられ、サナエの口内に唾液があふれ出る。そして、喉が鳴った。

「いっいただきます。あーん・・・んっ!?」

 サナエは大きな1口でコッペパンにかぶりつく。

「んっ・・・んまーーい。なんちゅう、うまさや。もう、不純な味なんか一切なく、パンの味しかないんやけど、そのパンの味が、今まで食べたパンよりもはるかに強くてめっちゃうまい。幸せ、毎日でもこのパン食べていたいわ。そんで、このバター。これも、味が濃くておいしいんやけど、パンの味をつぶすことなく、2つの味がそれぞれを助けあっていて、めっちゃうますぎる」

 あまりのパンの美味しさに、興奮が収まらないサナエは、あっという間に、付属のバターを使いコッペパンを胃の中に収めた。

「うむ。これはすごいな、ご主人」

 マルも感動しているようだ。

「そうですか、喜んでもらえてよかったです」

「うん、ほんまにうまかった。これはパンの頂点に立つパンやわ、完璧なパンや。ハッキリ言って軽く中毒や」

「・・・本当に完璧なパンだと思いますか?」

 店主が、怪しい笑顔を作った。

「どういうこと?」

「実はですね、それはまだ完全な味を再現したわけじゃないんですよ。実は、ある材料が欠けているんです」

「なっなんやて、こんなに美味しいパンが未完成品!?」

「なにっ、店主、その材料とは、どういったものなのだ」

「山塩です。ここから、少し行った所にソルト山という山があります。そして、そこの山頂にある、岩から取れる塩です。それが、あればこのパンは完成します。しかし、ソルト山はとても険しく、私のようなろくに運動もしていないオヤジにはとてもとても登れるようなものではないのです。」

 見ると店主の体は、よく見かけるメタボの中年体型をしている。50メートルも走れば、もう起き上がることができないだろう。

「だから、このパンを完成することは一生ないのです」

 店主が悲しそうに俯く。本当に残念そうな顔をしている。

「・・・おじさん。大丈夫、私らが行って取ってきてあげるわ」

「へっ?」

 店主が驚く前にマルが先に驚いた。この後、それは無念ですねと言ってこの場を去ろうと思っていたマルには予期できない言葉であった。

「こんな美味しいパンが未完成品なんやろ、これよりさらにおいしいパンが食べられるんやったら、どこへ行ったるわ」

「おお、ありがとうありがとう。よし、ここから、ソルト山までかなりかかるので、私の車で送っていきます。もし、山塩を取ってきてくれたら、完成版のパンを大量に御馳走しますよ」

「いよっしゃあああ、テンションあがってきた。善は急げ。さあ行こう、塩取りに行こう。あれっ、どうしたんマル」

 肩を落としうなだれているマル。

「いいか、お前は、自分を召還した召喚者を探して、元の世界に帰るんだろ。こんなところで道草食っていていいのか」

「うっさいな、道草は食うてへんわ、天然酵母のパン食うてんねん」

 今のは道草とパン、天然とてんねんがかかっている二重ボケである。今の自分のボケの出来に満足したサナエはなぜか誇らしげにマルを見る。俗に言うドヤ顔だ。

「・・・はぁ、それの腹の立つ表情につっこむのが面倒くさいから無視するが、どうせここで俺が制止しても、力づくで行くんだろ。分かった。その代り店主大量にパンを御馳走してくれよ」 

 そう言って車にマルは車に乗り込んだ。その後サナエも乗り込み、車はソルト山に向かって走り出した。


 1時間ほど走り、車はソルト山に到着した。

「ここかぁ、なんか塩の香りがするなぁ」

 車を降り、3人はソルト山を見上げた。

 ソルト山は、標高500メートル程の山である。そして、名前の通り山頂で岩塩が多く取れる山なのだ。吹く風は塩を含んでいて海で吹く風のように、風に当たるだけで身体がべとべとになる。また、その風のせいで、植物はほとんどない岩だらけの山なのだ。

「早く行きましょう。山塩が私を待っています」

 遂に念願の夢が叶うかもしれない店主はすっかり、興奮している。

「まぁまぁ、ご主人落ち着いて」

「早く早く、行こ、山塩を使ったパンが私を待ってんねん」

 どうやら、サナエも興奮しているようだ。彼女の眼はすっかり中毒者のそれと同じようになっている。すっかりパンの虜だ。

「そうだそうだ塩が待っているんだ。早く行きましょうマルさん」

「そうそう、落ち着いていられっかい、おじさん楽しみやね」

「ええ、山塩が手に入ったら、さらに料理の幅が広がりますからね」

 舞い上がっている2人は手をつなぎスキップしながら、山に向かって行った。

「いかん。俺だけでもしっかりしないと」

 これから先の苦難、主に2人の世話を考えげっそりとするマルであった。


 山は、店主の言うほど険しいものではなかった。確かに狼等の獣がいるのだが、何もしなければ、こちらに襲いかかってくる様子はない。

 しかし、トラブルはあった。店主が持ってきていたパンをサナエがむさぼり食い出し、それを止めようとしたマルが蹴りを食らい、その殺気を感じた狼が襲いかかってきて、その狼にパンを奪われ、怒り狂ったサナエが狼に襲いかかったり、その大暴れの衝撃で岩が転げ落ちてきたりと、もうほとんど自分たちが起こしたようなものばかりだ。


「やっと着いた。しっかし色々あったなぁ、こんなところおじさん1人やったら絶対に無理やったな。私らと一緒で正解やな」

「お前がいなかったらもっと簡単に来れたと思うんだがな」

 山を登り始めて5時間。ようやく3人は山塩の採れる頂上に到着していた。

「岩だらけやな。いったいどれが山塩の採れる岩石なんやろ」

 緑色に発光している岩や、虫を取り込んでいる透明な岩など、多種多様な岩があたりにあった。

 たくさんの岩を前に迷っているサナエとは正反対に、店主は、一目散に一つの岩に向かっていった。

「これだ。これが山塩の採れる岩だ」

 その岩は表面に細かい粒子を纏っていて太陽の光を反射し輝いていた。どうやら、表面の細かい粒子が山塩のようだ。

「えっほんまに、ちょい味見・・・ぬあ、これは程良いしょっぱさの影に隠れた甘さがあってうんまいなぁ。あのパンにこれが加われば・・・最強のパンが出来るな。と言うわけでおじさん早く降りて、パン作ろう」

 塩を舐めその味に感銘を受けたサナエのテンションはマックスになり、疲れもすっかりとんだようだ。 しかし、その眼は先ほどと変わらず中毒者の目になっている。よほど、完成版パンが楽しみなのだろう。

「なあ、おじさん、はよ降りよ・・・おじさん?」

 岩石の前に立ち、店主は動こうとしなかった。

「どうした、ご主人。あまりの感動に足が動かんか?」

「そりゃそうやろ、いよいよ自分の人生で最高のパンを作れるんやから。感動しても不思議じゃないで。かく言う私も、楽しみで楽しみで手が震えてんねん」

「お前、それは、禁断症状だ」

 さすがのマルもサナエの状態を心配し始めた。

「ふふ・・・ふはははははははは・・・ぐほっぶふぉ、ゲホゲホ、ふははははははは」

 突然、店主は高笑いを始めた。慣れない笑い方のせいか、一度むせている。

「ななな、どうしたん。まさか、夢が叶う嬉しさから精神異常、それとも精神破綻!?」

 危ない単語を放つサナエである。テレビなら間違いなくピーが入っている。

「こんな簡単に引っかかってくれるとはな。今までで一番簡単だったぞ。この馬鹿ども」

 店主はゆっくりと振り向いた。そこには先ほどまでの温厚な仏の様な顔をしていた店主ではなくなっていた。頭には角が生え、口元には虎のように鋭い牙が伸び、皮膚の色も緑色に変色していた。そして、一番目を引くのが、研がれたナイフのように鋭い爪である。触れるだけで肉が切られそうだ。

「なあななな、なにぃ、へっ変身したぁ!」

 店主の変貌ぶりに動揺を隠せないサナエ。

「うむ。どうやら、人間ではなく魔物のようだな」

 結構命の危機のはずなのに何故かマルは余裕があった。

「ふはははは、ぐほぉぶほぉ、ふー、ふはははははは」

「おい、無茶な笑い方はやめろ。喉を傷めるぞ。とりあえずこの水を飲め」

「おお、すまんな。やはり、悪者と言えばこのような悪意に満ちた笑い方が定番だと思ってな、無理してやっているんだが、どうかな」

「うむ。頑張ることはいいことだが、途中でむせてしまえば、威圧感もなくなるしなここは普通がいいだろう」

「そうか、なら、ふへへへへへへへへ」

「おぉ、そっちの方が悪者っぽいぞ」

「そうか、ならこれからこれでいくか、ふへへへへへへ」

「よし、では再開だ」

「おう、ふへへへへへ、よくぞまあ、のこのことついてきてくれたものだ。おかげで楽しいディナーになりそうだ。なんせ、山塩は人間の肉によく合うからなあ。考えただけでよだれが」

「なるほど、俺達をおいしくいただくためにわざわざ、パンを餌にここまで連れてきたのか。見事に引っかかってしまったな。と言うことは、山塩を持って帰ってもあのパンは完成版にならないんだな」

「ふへへへへへ。その通りだ、まったくこの俺がパンなぞ作れるわけないだろう。あれは、有名なパン屋で買ってきただけだ。まさに、エビで鯛を釣るとはこのことだなぁ」

 今の状況をようやく読め、冷静になってきたサナエがその言葉に反応した。

「なんやて、ってことは何かい、山塩をせっかく採っても意味ないってことかい」

「ふはははは。そうだ、山塩など意味ないんだよ。山塩はな人間の肉に使うために存在しているんだよ。さあ、もういいだろう腹が鳴って仕方がない、さっさとその肉を食わせろ」

 プチ。

 サナエの頭の中の何かが切れた。

「いただきまあああああす」

 魔物が、その凶悪な爪を構えサナエに向かった。

「おい、魔物。何故俺がこんなにも余裕なのか教えてやろう」

「ああ?」

「それはな、うちのドラ娘の堪忍袋の緒が切れたからだ。もう、俺じゃ止められん。お前も見ただろう狼に襲いかかる悪鬼羅刹ぶりを。あの時は一度食べた事あるパンを奪われただけだから大魔神レベルは10段階中5だったが。今回は、今日一日楽しみに楽しみにしたパンを奪われたんだ。どうなっても知らんぞ。俺は怖いから少し逃げさせてもらう」

 怒りゲージがMAXになり全身が赤オーラで包まれ、いつでもサナエは超必殺技を発動させることができるようになっていた。

「うおおおおおお、止まれ俺の腕。このままではヤバい気がする。止まれ止まれえええ」

 サナエに振り下ろされようとしている魔物の腕は勢いがついてしまい、もう止めることは出来ない。

 うっすらと背中に天という文字が見えるサナエは、触れれば肉を切り裂かれる爪に臆することなく、踏み込み紙一重で攻撃をかわし、魔物の懐に潜った。

「なぁっ」

 ジャブで魔物の眼を打ち、眼つぶしジャブをワンとし、ツーでストレートを魔物に撃つ。ストレートの衝撃で後ろに吹き飛ぶ魔物を同等の速さで追いかける。足を地面に着けなんとか体制を整えようとする魔物に下段弱キック、中段強パンチ、そして必殺のアッパーカット、浮き上がった魔物に向かい、溜まりに溜まった怒りゲージを使用し、波動拳コマンド×2強パンチの超必殺『自分の息が切れるか相手が事切れるまで、ひたすら目につくところを殴り続ける』と決める。

相手が普通の人間なら、確実に美しい河原でご先祖様に腕を引っ張られている幻覚を見せることができるほどの殺人コンボである。

 頭、顔、首、肩、胸、腕、手、腹、腰、尻、腿、膝、脛、足をひたすら殴る殴る殴る殴る殴る殴る。殴り続けた。

「You win」

 どこからか、サナエの勝ち名乗りをあげる声が聞こえた。それと同時にサナエは攻撃をやめた。

「うぬぬぬ」

 さすがは人間を脅かす魔物だ。あのコンボと言う名のリンチをくらい意識がまだあった。どうやら今回は事切れる前にサナエの息が切れたようだ。

「おい、元おっさん」

「いいい、如何いたしましたか、サナエ様」

 すっかりサナエに恐怖を抱いた魔物は人生で初めての尊敬語を使った。体は小刻みに震えチワワのようである。これで外見が可愛ければ某金融企業からCMのオファーがくるだろう。

「これぐらいで勘弁しといたるわ。ホンマやったらこの楽しみにしていたパンを奪われた怒りを再充電してもう一度さっきのコンボを決めるところやけど、それをやったら、元おっさんしゃべられへんようになって聞きたいことが聞けなくなるからな」

「いいいったい、なんでしょうか」

「・・・パンどこで売ってんの」

 サナエの眼は中毒者のそれになっていた。




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