水の街の水産者(3)
サナエが跳んだ。あらん限りの脚力を使い高く。そして、体を捻る。何度か横回転をし、引力に引っ張られ落下。
「もふぅっ」
着地した先はフカフカのベッドであった。落下の衝撃を吸収しサナエの体にかかる力を和らげる。
「サナエすごーい。ファイトガールアサミみたい」
どうやらアイコも月刊少年ダンシングを読んでいるようだ。しかし、絶対にこのようなシーンは麻美にはないはずである。
どう考えても宿に迷惑がかかるアクロバティックなベッドインをまだ幼いアイコはキラキラした瞳で感動している。このままではこの娘に悪い影響を与えそうである。
「ほらアイコもおいでおいで」
自分の胸に飛び込むように手招きをする。
「うん・・・とうっ」
軽く助走をつけてアイコはサナエの胸へと飛び込んだ。アイコの突撃の衝撃を減らすために、アイコが飛び込んできた瞬間に少しだけ、重心を後ろにずらした。
「うしゃしゃよしよし」
「にゅーぅ」
恍惚の表情でアイコは、サナエの胸で抱かれていた。サナエに耳を触られ、頭を撫でられ、サナエの胸の感触を頬で感じ、まんざらでもない様子だ。
「うるさい!お前ら、この前みたいにまた追い出されるぞ」
ドアを乱暴に開けマルが乗り込んできた。過去にも、同じように暴れて追い出されたことがあったのだ。しかし、その時はサナエの悪口を言ったマルが追いかけまわされたのが原因なのだが。
「うおっなんじゃ不審者。凶器持って入ってくんなや」
見るとマルの右手にはもしかしたら意思を持っているんじゃないか妖刀なんじゃないかといわれているサンタフェが握られていた。
「違う。これはサンタフェの手入れをしていたんだ」
「じゃあ、置いてこればいいじゃん」
「パクられたらいやだから」
「安心し、そんなナマクラ誰も一生を棒に振ってまで盗ろうと思わんて、この前質屋持っていったら、買い取りはできないってしかも引取ってもええけど処分費とるって言われたもん」
「なにをしとんじゃおのれは」
ナマクラと言われたサンタフェでこのアマを斬ってやろうとマルが歩を進める。
「あああののののおおお客様」
刃物を持った男がいると通報を聞き店員がなんとか対抗しようと震えた手で包丁を持って後ろに立っていた。素人のはずなのだが右手を包丁の柄頭に備え、肋骨の隙間を縫い深く突けるように包丁は横に構えられている。
「いいいやちっち違うんですこれは・・・」
急いで、殺気立っている店員にこの不審なモテナイ男を身内だということを告げ退室してもらい、一安心したマルを部屋に入れた。
「まったくお前らはほらそこに座れ」
どうやら今からマルは説教を始めようとしているようだ。しかし、自分がしてもらうのが先だと思うが。
「いいか、仮にも俺たちはラムダの援助を受けてこの宿に格安で泊まることができているんだ。それなのに俺たちが問題を起こしたらラムダに迷惑がかかるだろ」
「マルおっさんくさーい。くちゃいくちゃい」
アイコが鼻を押さえた。
「なぁっ!?」
「怒ってばっかだもん。なんかおじさんみたい」
「・・・・・・」
思い返してみるとどうも団長の説教の仕方に似てきているように思える。そういえば、最近1週間が早いような気がする。そんなことを考えていると不思議なことになぜか体が熱くなってきた。恥ずかしいからなのだろうか、ベッドに寝そべっているサナエが艶やかに感じるからだろうか、更年期障害。いやそういった内面的なものではなく外的要因から来るものであった。
「火事だー」
火事だ。
一階から出火し、木製の宿を燃やし続け火は少しずつ巨大になっていく。サナエたちが泊まる部屋にもう少しで届きそうなほど成長している。ものすごいスピードである。ボロい木造建築のためよく燃えるようだ。
「なにぃ!?」
「いいいい急いでこちらへ」
駆けつけてきた先ほどの店員が手招きした。しかしその手には包丁が握られている。突くことを狙わず、相手の肉を斬り裂くため、逆手に握られている。この店員包丁を使うことを手慣れているようだ。
「なんで包丁!?」
「ああああなたたちが犯人かと思いまして。それより早く逃げてください」
「言い訳も聞かず、殺す気だったのか」
部屋で散らばっていた荷物をアイコがかき集めマルに投げる。そして、投げたアイコをサナエが抱きかかえる。完全なコンビネーションである。
部屋を出て煙を吸わないように身を低くして走り出す。
非常口に着くと何人か宿泊客が辿り着いているようで列ができていた。幸いここにはまだ火が届いていないので楽に脱出することができるようだ。非常階段から階下を見下ろすと野次馬が集ミリー、黒色腕章をつけた水産者たちが協力し、汚い水で鎮火に当たっている。
「一体何が原因やったん?」
「周りの話を聞いていると放火らしいな、なんでもここ最近この辺でよく放火が起こっているようだ。おそらく同一犯なんだろうな。もう少し詳しいことを聞いてくる」
そう言ってマルは、事件の状況を調べていたラムダの団員に話を聞きに行った。野次馬根性なのかラムダ団員としての正義の心に火がついたのか。
「・・・怖かったよぉ」
涙を拭い火事の恐怖も冷めやらぬアイコ。それを静かに撫でるサナエがただ茫然と宿の前に立っていた。燃え盛る宿の中に駆け出そうとする女性、命からがら逃げだせたことを喜び抱き合う親子。それらの光景を見てサナエは空いている方の手を強く握りしめた。
「それじゃあ、店長さん。鎮火に当たった際に作った水の量、それと危険手当合わせてこれだけ頂こうか」
先ほど鎮火に当たった黒色腕章の水産者たちが店長に請求書を渡していた。
「こっこんなに!?ちょっと待ってくださいよ。相場よりはるかに高いじゃないですか。それに宿もなくなってしまって、すいませんが今はこんな額払えません」
「相場って、俺たちがどれだけ作ったかあんた細かく言えるのかい?無理だろ。これは俺たちがちゃんと図った量に相場を当てた額だ。不正なんか一切ないぜ。それに、宿も半焼で済んでいるんだ。あんたラムダの宿舎連盟に入ってるんだろ、なら保険金が出るじゃないか。そこから払ってもらおうか。払わないとどうなっても知らないぜ。もしかしたらまた火事になるかもな」
そう言って男たちは店長をぐるっと囲んだ。柄が悪い水産者である。ボランティアで鎮火をしていたのならいい話でメディアに取り上げられそうなのだが。
「ひっ、わっ分かりましたよ」
店長は泣く泣く燃えることのなかった金庫にビッシリ詰まった札束から数束取り出した。
「へへへまいど」
金額を確かめ黒色腕章水産者たちは去って行った。
「・・・あれっ?」
「どうしたんアイコ?」
「あの水産者の一番右の人。さっきエイモンって人襲ったグループにいなかったけ」
「・・・あっほんまや」
エイモンを襲った黒色水産者がグループにいた。
「なんか怪しいよね」
「かなり・・・尾行してみよか。犯人やったら半殺し、犯人やなかってもぶん殴ってやろう」
「犯人じゃなかったら無罪にしなよ」
野次馬の隙間を掻い潜り2人は男たちの後を追った。
「ありがとう。それじゃあ、この事件は放火ってことか」
「ええ。そうなりますね。これで今年に入って18件目です。被害者が出なくて幸いです」
眼鏡をかけた女性ラムダ団員が調査書を見つつ話した。その表情は事件を起こした者たちに怒りを覚えているようで、眉間にしわが寄っている。美人が台無しである。
「それ見せてもらっていい?」
「一応極秘の書類なんですが。マルグロリアさんなら」
何故かマルの頬から涙が流れた。ああそうだ。俺マルグロリアだった。久しぶりに聞く自分の名前に感動を覚えた。初めて女性と手を繋いだとき、初めて生ハムメロンを食べた時、その時ぐらいマルは衝撃を受けた。あミリーにも言われなさ過ぎてラムダが関わっていない宿の宿帳に名前を書く際に筆が止まってしまうことが度々あった。
「どっどうしたんですか?」
「いっいやなんでもないありがとう。ちょっと心の汗が出ただけで」
あふれ出て止まらない涙をぬぐい去り、マルは一通り調査書に目を通した。何か共通点や犯人の特徴はないのかと探す。女性ラムダ団員の書いた文字は教科書のお手本通りの美しさで、とても読みやすかった。クラスに居たら優等生委員長タイプだ。
「・・・んっ?」
「どうしました?」
「これ、ほら」
マルが指差すところにはどれも水産者という文字があった。読んでみると『近くにいた水産者が鎮火の行った』と書かれていた。すべての事件に水産者が関わっている。
「・・・これは」
「うむ。実にきな臭いな。何か水産者が裏で何かあるんじゃないのか」
「・・・そうか、ありがとうございます。この話を上司に持って行ってみます」
一度頭を下げ、ラムダ女性団員は去って行った。
「さて・・・あれっ、あいつらどこ行った?」
「なあ、ミリー。なんであの男に調査書見せてんだよ。上司にばれたら懲戒免職になるぞ」
ミリーの先輩団員が、ミリーの報告を聞いている際に質問した。調査書は機密事項のため、もちろん一般人に見せることは禁じられている。
「あれ、先輩ご存じないんですか。マルグロリア・ドミニコフさんですよ」
「・・・ああ、あれか去年のラムダ総合大会の剣術部門でイリアリア代表だった奴か」
「そうですよ。あんな有名人に会えるなんて思わなかったです。格好よかったなぁ」
と嬉しそうにミリーは話していた。身内には手を出さないように教育されていたマル。ミリーが身内じゃなかったらよかったのに。
「ああ、そう言えば、お前デスクに写真置いていたな」
「写真より格好よかったです」
本当に残念である。
怪しい水産者の後をつけていたサナエ、アイコのコンビは見失わずかつ怪しまれにくい距離を保ち、噴水の陰、店先に出ているワゴンの陰、体のでかい人の陰に隠れつつ尾行を続けていた。
水産者たちは周りに気を配ることなく談笑しつつ歩いている。自分たちが殺気をぶつけられながら尾行されているなど夢にも思わないだろう。そして、人込みを離れ路地へと入って行った。もちろん2人もその後に続く。
「あれっ、どこ行った?」
目の前から水産者たちは姿を消していた。
「・・・ふぅむ。あっ」
何かないかと路地を歩いていると左手にある看板が目に入った。『サラエボの事務所Ⅱ』。ドアは閉まっていて中の様子が分からないが、耳をドアに近付けると男たちの声が聞こえるのでどうやらここに入って行ったようだ。
「ここは、確か」
ポケットに入れていた名刺を取り出す。サラエボ。あのエイモンを襲った男たちが持っていた名刺に書かれていた名前が目の前の建物に刻印されている。
「うお、まるで謎解きゲーム見たいやな。なんかトントン拍子で謎が解けていくな」
「ゲーム?」
「んああこっちの話。さて、今から乗り込んでええけど火事の件は簡単にはぐらかされそうやな」
「うんそだね。とりあえず戻ってマルにちくってみよっか」
「せやな。イベントが起きて新しいアイテムが手に入るかもしれんし」
「イベント?アイテム?」
よくわからない単語が続き困惑状態のアイコの手を引きサナエはマルが待っているであろう元宿に歩を進めた。