水の街の水産者
「ねえ、サナエ喉渇いたぁ。まだ着かないのぉ?」
アイコは水筒の底に残ったわずかな水を飲もうと何度も逆さにして、底を叩いた。雀の涙ほどの水滴がわずかに垂れるほどで、それを舌先で受け止めるがアイコの渇きを潤すことはなかった。
「あげたいところやけど、私のもすっかり空っぽやからなぁ。もう3日経つもんなぁ」
サナエが水筒を逆さにすると、砂が出てきた。マルはどうかと見ると、マルも同じように水筒を逆さにして首を振った。
「はぁあ、まったくどっかの誰かさんが、2日くらいで次の街に着くからそんなに補給しなくていいだろうって言って、あんま補給せんかったからなぁ。まあ、誰とは言わんけどなぁ。なあマル。本当にいい迷惑やなぁ!」
「・・・はっきり言えよ。そうだよ。俺が言ったんですよ。だってお前ら自分の水筒しか持たないだろ。そのほかの水を運ぶのは俺だぞ。そりゃ言うよ補給減らそうって」
マルのリュックサックの口から空のポリタンクが見えている。
「だって、私らかよわい女の子やし(キャピッ)」
「アイコも(キャピッ)」
両拳を口元に付けかわい子ぶる2人。アイコは確かにかわいらしいのだが、サナエは中身を知っているせいかその拳が自分に向って放たれそうな恐怖をマルは感じた。
「はいはい俺が悪いんですよ俺が。どうする?今から腕でも切って血を出そうか?それを蒸留させて水を作ろうか?」
追い詰められたためか何かえげつないことを言い出した。
「おうおう、してもらおか。するなら腕と言わずに大量に血が出そうな手首とか首とかしたらどうや?」
「おう、いいよやってやるよ。今ここで手首を切ってこのポリタンクいっぱいの水を作ってやるよ」
「やれさあやれ、大量出血して苦しんでいるお前を一切無視してやるわ。そんで溜まった血をそこで枯れそうになっている雑草にくれてやるわ」
「じゃあ、俺はなんのために切る必要があるんだよ」
「あっ」
いつもの言い合いを無視していたアイコが口を開いた。
一緒に旅を始めて1週間、最初のころは毎回喧嘩の仲裁に入っていたが、今ではこれが日常茶飯事だということを悟り、スルーするという技術を身につけていた。
「どうしたアイコ、漏らしたか?」
とマル。ストライクゾーンから大きく外れる女性には簡単にデリカシーのない言葉を放つことができるエセ紳士なのである。
「違う!おねしょは去年からしてないの」
「去年までしてたんかい」
「うるさいなぁ。違うよ、あれ見てよほらぁ」
一本の木材に一枚の木の板をつけた看板が一行の目に入った。そこには『この先、水の町アクアガーデン』と書かれている。3人は顔を見合せて頷いた。
現在欲しいものはなんですかと聞かれたら、サナエは高級食べ放題店の年間フリーパス、マルはモテ力、アイコは身長と答えるのだが、現在、緊急事態である ため一同は声を揃えて水と答えるであろう。そんな面々が水の町この先という看板を見たのだ。例えそこが目的の街でなくても、そこが目的の街とは逆方向であろうと3人の足は自然とその街へと向いた。
水、水、水、至る所に水があった。滝に噴水に湖。街の面積の半分以上が水で占められていた。そのため、空気は水分を多量に含んでおり常に涼しい状態である。先ほどまで暑かったのでとても快適であった。特に毛皮があるアイコにとっては喜ばしいことであった。
「ひゃっはぁー水だ水だぁぁ」
世紀末に出てきそうなモヒカン男が水源地を見つけた時のごとくマルは大喜びで、水を飲もうとした。サナエとアイコもそれに続く。
「ちょっと待った」
突然制止の声がかかった。
「誰だ。俺の邪魔をするやつは!?」
今にも噴水の池に頭をつけようとしているマルが振り返った。今にもサンタフェを抜こうとしている。ここでこの生きるための行動を邪魔しようとするやつは 殺そうとする殺意を孕んだ瞳をしている。それに続くようにサナエも拳を固めた。渾身の一撃を顔面に叩き込んでやろうと考えているようだ。
「その水は、汚くて飲めたもんじゃないよ」
眼鏡をかけたインテリ風の男が1人立っていた。年はマルほどで、中々の肉付きをしている。医者に見せれば厳しい注意が入る程の太り方である。山でよく見かける動物の仲間かとアイコは錯覚した。
「なんだあんたは?俺達はもう喉がカラカラなんだ。邪魔するならこのサンタフェで切るぞ」
初対面の人間に中々物騒な挨拶である。人によってはマジギレされる可能性がある。
「その水は飲み水じゃないから駄目だよ。ちゃんと飲み水を飲んだほうがいいよ。汚い水だから噴水用になっているわけだし」
噴水から飛び出てくる水は透き通っておりどこが汚いのかさっぱり分からない。なんだったらサナエ達が道中で調達している水よりも綺麗である。
「汚い水、どこが?きれいな水じゃないか」
「だめだめ。汚い水だよ。それにその水飲んだら逮捕されるよ」
「マジか。まさか、生きるための行為が法律違反とは。どうすればいいんだ?」
「この街では、飲み水は買わないといけないんだ」
「ケチだな。まあいい背に腹は代えられんどこで売っているんだ。飲み水たる綺麗な水は」
「僕が売っているよ」
「へっ?」
男はそう言うが身体のどこを見ても水が入っていそうな容器など見当たらない。というか荷物など何も持っていなかった。
「どういうことだ?そんな物どこにも無いじゃないか」
「買ってくれたらからくりを教えるけど」
「しょうがない、はい」
「まいど。それじゃあ。何か水を入れられる容器とかある?」
受け取った金を懐に直し、男はマルからポリタンクを受け取った。
「何をするつもりだ?」
「いいから、見ていたら分かるよ」
男はポリタンクの口に掌を載せた。そして、目を瞑り、力を入れた。
すると、手の平に黒い球体が生まれ、球体から勢いよく水が放出し、あっという間にポリタンクが満たされた。
「へぇ、魔術か。そんな魔術もあるんだな」
「そう。ほらこれ、これでもこの街で売れっ子水産者の水だからね。味は保証済みだよ」
男から受け取ったポリタンクは噴水の水よりもさらに透き通った水で満たされていた。
「この街は始めてみたいだね。買ってくれたお礼に教えてあげるよ。この街ではね、水は水産者に作ってもらうしかないんだ。しかも水は用途によって使い分け られているんだ。例えば僕の水は飲み水のためだけに使われて、あそこに居る水産者は植物のために使われる水を作っているんだ。見分け方はね、水産者の腕に ある腕章の色で分かるんだ。僕は緑だから飲み水、あの水産者は青だから植物用ってね。それ以外の用途で買っちゃったら捕まっちゃうから注意してね・・・っ て聞いてる?」
長々と話す小太り男を余所に、3人は水を取りあい、水をなんとか体に注ぎ込んでいった。
「んっ・・・ああ聞いてる聞いてる。つまり、いちいち水を買わないといけないんだろ?おい、サナエとアイコお前ら飲み過ぎだ。俺の分も残しとけよ」
「・・・とにかくこの街で生きるには腕章の色を覚えないといけないからね。なんだったら役所に一覧表があるからそれをもらうといいよ」
新しい客に呼ばれたので男はそちらへ移動していった。
「あっ・・・お前ら」
マルが小太り男を見送り、振り返ると空のポリタンクが転がっていた。