針金ハンガーの輪に頭をつっこんだ時の痛み(4)
意識を失ったサナエの顔を何か冷たい細いものが這いずりまわっている。ナメクジかと思ったがそうじゃない。何か嗅いだ事のある匂いがする。
「なんや、天国か。にしてもえらい臭い所やな。なんかシンナーのにおいするし」
サナエはゆっくりを目を開く。そこには、かわいらしい少女の顔があった。
「これが天使か。なんか想像してたんと全然ちゃうなぁ。もっと西洋風かと思っていたけど」
テレビでよく見る昔の西洋画を思い出していた。全裸の背中に白い羽を生やし、頭に黄色い輪をつけた子供の姿を思い描く。
「あ、母様ぁ起きたよ」
横を向いた天使の首筋に赤いマークいくつか点々とあった。何か外部から刺激を受け出来た痕のようだ。母様とは神様のことなのだろうか。
「あれっ・・・あれって確か」
サナエは虚ろな状態で思い出す。17年と言う短い人生で造られた脳のアルバムを1ページずつめくっていく。幼稚園以前のページが減っていた。歳を取ることにより小さいころの記憶が薄れてきているようだ。
「あっ、あれや・・・あんときの狐にモフモフした時の私のキスマークや」
まだ写真が1つも整理されていない最近のページで天使と思われた少女の姿を発見した。
サナエが上半身を起こすと、上に乗っていた化け狐の少女は跳ね飛ばされた。少女は見事に尻もちをついた。
「いったぁ。何すんだ人間。お尻打っちゃったじゃないか」
少女が立ちあがり尻に付いた土を払う。ここ最近雨が降っていないせいか、水分を含んでいない乾いた土はいとも簡単に少女のスカートから離れていった。
「えっえっ、何どういうこと。確か、大人の狐が出てきて、そんで急に猟師が出てきて、そんで・・・私、撃たれて死んだはずやのに。記憶はあるけど傷が無い」
脳に残った胸の痛みを思い出す。確かに自分は撃たれた。それは間違いではないということは確信を持てた。しかし、現実の自分は無傷であり、むしろ眠っていたので少し体が元気になっている。
「あらあら大丈夫ですか。頭は痛くないですか?」
優しい声がサナエをいたわった。アルファ波が出ているのだろうか聞くだけで気持ちが落ち着くような気がした。
「ああ、結構痛いです。こうズキンズキンて側頭部が締め付けられるように・・・って、えっ」
猟師に撃ち殺されたはずの女性が立っていたのだ。撃たれたはずの胸はふさがっており着物も綺麗な状態であった。その外見は相変わらず美しく、女のサナエが魅入るほどであった。
「なんで生きてんの・・・撃たれたやん。私も、そちらさんも」
「ああ、まだ混乱していますか。どのように話せばいいか」
「その点は俺に任せてもらおうか。このバカ娘の扱いは慣れている」
先ほど、サナエと同じように集中砲火を浴びたはずのマルが平然と立っていた。美人の化け狐の前のせいか若干格好つけていることが窺える。
「マル!?」
「俺はお前より先に目が覚めて、そこのリツコさんから説明を受けたのだ。いいか、彼女は化け狐だ」
「・・・それはあの人が撃たれる前から分かってたわ」
「それでだ。俺達はリツコさんに化かされていたんだ。覚えているか彼女が俺達をじっと見つめた時。あの時から俺達は彼女の術にかかっていたんだ」
「でっ!?なんでぇ。だって鈴があったし、それにその前にこの子の術も効かんかったし」
横にちょこんとしゃがむ少女の襟を摘まんだ。もらわれてきた猫のように少女はおとなしかった。持たれ慣れているのだろうか。
「それはだな。そこのガキは未熟で過去に何度も人を失敗しているらしいんだ。それで、見かねたリツコさんが細工をしたんだ」
「細工?」
「それがこれだ」
マルが腰に付けられていた鈴を掲げた。持ち上げられたことにより鈴が小さく鳴った。
「鈴?」
「ああ、なんでもこの鈴は術をかき消す効果なんか持っていないらしい。むしろ、術にかかりやすくする音を出すらしい」
「・・・と言うと?」
「こういうことです」
先ほどまで和風美人であったリツコが老婆の姿に変わっていた。見覚えのあるその老婆は、2人に鈴を高値で売り付けた老婆であった。
「あっ」
「つまりだ。リツコさんは娘であるそのガキのために、山に入ろうとしていた旅人にその鈴を売りつけていたんだ。それで、最初の客が俺達だった。しかし、予想に反し、鈴の力を持ってしても娘は俺達を化かすことができなかった。それどころか返り討ちに遭ってしまった。それで、泣きついてきた娘の頼みで俺達を化かしたんだ」
「しかし、鈴の力のせいで私の思っていた以上にあなた達が術にかかってしまいました。本当は、ちょっとの間だけ脅かそうと思っていたんですが。予想以上にかかって、まさか気を失われると思わなかったです。ごめんなさい」
老婆から先ほどの和風美人に戻ったリツコが陳謝した。いえいえ、かかりすぎた俺達が悪いんですとマルがフォローを入れる。
「・・・ほうほう、なるほど、分かったわ」
完全に理解できているかどうか微妙な表情である。
「おうよく分かったか。だから俺達は五郎座衛門の気配に気づかなかったんだ。見事に完敗だ」
偉くあっさりしているマルである。どうやら、しょうがないこれほど完璧に化かされたのならぐうの音1つも出ないと言った諦めの境地になっているらしい。
「・・・そうやなぁ。私もやな」
サナエも同じように状態になっている。ここがリツコに食ってかかっても良かったのだが、先ほどの幻覚をもう一度見せられるのはごめんであった。おそらく、リツコにはかなわないのであろうと察したのだ。
サナエは起き上がり、少女の頭を撫でた。少女はどこか気持ちよさそうな表情をし、サナエの行為を受け入れた。猫なら今にでもゴロゴロと言いそうである。
「しかし、自分どんだけ未熟やねん。全然あかんかったやん。鈴あってんやろ?それやのにまだまだやなぁ。それになんやねんあの朦朧拳やったけ?お母さん全然そんなんせんかったで、目を合わせるだけやったで」
「うるさい。あたしだってもう少し大きくなったら。母様みたいに背が高くなって、おっぱいが大きくなって美人になるんだ。そしたら、簡単にお前を母様みたいに化かしてやるからな、このお」
少女がサナエにぐるぐるパンチで殴りかかったが、サナエに頭を押さえられた。悲しいことに一生懸命振り回される腕は空を切った。池乃めだか状態である。
「せやな、もう少し大きくなったら危ないかもなぁ」
「そうだ。だからもうちょっとここに居ろ」
攻撃をやめた少女が頭に置かれたサナエの袖を掴んだ。
わずかな間の出会いであるが、どうやら少女はサナエのことを気にいったようだ。しかし、どこに気にいる要素があったのだろうか。子供は謎である。
「なんやねん、寂しいんか?かわいいなぁお前は」
「そんなわけないだろ、バカぁ!」
「はいはい、そう言うことにしとったるわ」
少女にデコピン。少しだけ、赤くなったデコを抑え少女は少しだけ涙目になった。
「そうですね。サナエさんの頭痛が治まるまで、私たちの家で休まれませんか?騙してしまったお詫びもしたいところですし。それに、そのまま街に出てしまってはまずいと思いますし」
「まずい?」
「ええ」
「??」
サナエは笑い始めた少女を見た。正しくは少女の右手に握られたマジックインキを。
「あっ、まさか」
かばんに入れている手鏡を取り出し、自分の見慣れた顔を写した。最初に会った時に少女がしようとしていたこと、そして今少女が手にしている物。リツコのそのまま街に出るとまずい。これらを繋げる。その推測を確信へと返る答えが鏡にあった。
頬に書かれたナルトマーク、目の下には大きな隈。さらに繋がれた眉毛、ロボットのように口の端からまっすぐ下に引かれた直線、チョビヒゲ。それらすべてが黒のマジックインキで少女の手で描かれていた。
「ぶははははは。もう我慢の限界だ。大変だったんだぞ、お前の顔見て笑わないようにするのは。しかし、なかなか、絵心があるだろアイコは。」
アイコと呼ばれた少女は腹を抱えて笑っている。動かせるものは、尻尾、耳、腕、足と全て駆動させて爆笑している。
「ほほおう。なるほど起きた時なんか顔に冷たいもんが這っているなって思っていたらマジックか・・・なるほど。と言うことは、おいそこのくそマル。お前、私がやられているん黙って見てたな」
「違うよ。マルは、ここにチョビヒゲを描いたらどうだって、あたしにアドバイスくれたよ」
純真無垢な瞳でアイコが言った。当の本人はこの言葉がどういった結果をもたらすのか当然分かっていない。ただ、真実を告げただけであった。
マルは、娘ができたらこう言ったときに応用の効く子供に育てようと誓った。
「余計、質悪いっちゅうねん」
今すぐにうちの団体にほしいとスカウトが殺到するであろうと思われるほど美しい理想のフォームで繰り出された延髄切りがマルへと放たれた。