お怒りのマル様(1)
満天の星、真円の月、引き込まれそうな美しい夜空、歩けば気分良くなること間違いなしの状況で俺は1人イライラしていた。
このイライラの原因はあいつだ。あの女のせいだ。1ヶ月前に、俺の前に現れたあいつは、はぐれ召喚物らしい。そして、なし崩し的に俺は、あの女を元の世界に返すために旅に出なければならなくなってしまったのだ。
あいつ、一応名前があるのだが呼ぶのも癪なので、馬鹿女としておこう。その馬鹿女さえいなければ俺は、イリアリアで可愛い嫁さんと結婚してラブラブな新婚生活を送っていたはずなのに。まあ、今のは最高レベルの願望だが。
今、俺達が滞在している街は風俗店、いわゆる男の人が大好きなお店が名物となっている所である。だから、その中心街を歩いている俺はひっきりなしに声をかけ続けられている。金髪の化粧ばっちりの露出多めの服を着ているお姉様、黒髪を腰まで伸ばしたいかにも従順そうなメイド服を着た女の子、俺の母親といっても疑われないほどの年齢の婦人。この街はどんなニーズにも応えてくれる男の楽園だ。
普段の俺なら1人目の、気持ちいいマッサージするよー、と言ったチャイナ服の中華娘にノコノコ付いて行き。着いた部屋には強面のお兄さん方が居て、軽い脅し文句を言われ、有り金全部奪われているところだが、今はどのようにしてあの怪力女をギャフンと言わせることができるのか考えていて、女どころではないのだ。まあ若干、いや滅茶苦茶、超絶、絶対に、ごっつい行きたいところなんだが、実際のところ、財布を持ってくるのを忘れたのだ。せっかく、風俗で有名な街に来たのに、本当に残念でならない。まあいいか、その分仕返しを考えることに集中できるってもんだ。
「すいません。1部屋しか空きがないんですが、よろしいでしょうか?」
宿に着き店主に言われた第一声だ。この街は、風俗店で1夜を過ごす客が多いので、宿がこの店1件しかないのだ。
「えー、じゃあマル、ほら」
いきなり馬鹿女は俺のリュックサックから寝袋を投げよこした。言葉などいらぬ、この物体を見れば、馬鹿女が伝えたいことがよく分かる。まさに百聞は一見に如かずだ。
「おい、嫌に決まってんだろ。寝袋で野宿なんて御免だ。」
「ちゃうわ、外で寒そうにしている猫にその寝袋譲って、お前は人通りの多い通りで眠って、たくさんの人に踏まれてこいってことや」
俺の想像をはるかに超えるものだった。やはり、言葉って重要だ。
「おい、馬鹿女、冗談はもういいだろう。店主によるとベッドは2つあるから、問題ないだろう。先行くぞ」
「あっちょっ」
馬鹿女が何か言おうとしたが、少し腹が立っていたので、さっさと荷物を持ち、部屋に向かった。
うん?何か足に違和感がある。疲れているからか?いや、どうやら、この街に来る前に襲ってきた狼から逃げた時に痛めたようだ。
しかし怖かった。あとちょっとで俺の息子が食いちぎられるところだった。
よし、嫌なことはさっさと寝て忘れるとするか。何事も寝ればスッキリするものだ。
シャワーを浴び、体が温まりホカホカしている。さあ、後はベッドに潜り寝るだけだ。なんて思っていたら、これだ。
「あのさ、新技考えたから試させて」
なんの前触れもなく死刑宣告だ。こいつは悪魔か。何で少し頬を染めてるんだよ。そんなかわい子ぶって言っても。
「絶対嫌だ」
「えー、大丈夫やって」
「嫌なもんは嫌なんだよ。もう疲れてるんだから寝かせてくれ」
「大丈夫、大丈夫」
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」
「10回も言わんでええやん。大丈夫すぐ終わるから」
「数えんなよ」
「ほら、もう諦めえや」
馬鹿女は俺の返事関係なしに無理矢理技をかけようとしてくる。うつ伏せに眠る俺の上に乗っかり、足を掴んできた。
まずい、どうやら足の関節を破壊する技のようだ。これは、後々ダメージを残す技だ。ここで、痛みによる恐怖よりも、無理矢理俺に後遺症が残るであろう技をかけようとしているこの馬鹿女に対する怒りが湧いてきた。一度怒りが湧くと、今までのこいつにされた地獄の仕打ちが頭に浮かんでくる。フライングメイヤーからのギロチンドロップ。水面蹴りからのストンピングの嵐。
まあ、大体俺が悪口を言ったことが原因なのだが。それでも、何度も三途の川に行かされるほどのものでもないはずだ。なんで、悪口だけで三途の川行きの定期券を買わなきゃならんのだ。
いかん、初めてだ。今まで我慢していたものが噴き出してくる。
「もう嫌だ!やめろ触るな」
鍛え上げられた背筋を稼働させ、上に乗っていた馬鹿女を吹き飛ばす。俺の突然の行動に驚いたようで唖然とした顔をしているが、そんなもん関係ない。
「お前がやると碌なことにならないんだよ。自分の怪力を自覚しろ。さんざん我慢してきたがもう限界だ。いいか、俺は技を練習するための人形じゃない、お前のストレス発散の道具でもないんだよ。もうたくさんだ。お前の言う通り、外で寝てきてやるよ。じゃあな」
思いつく限りの思いの丈を叫び、そして、俺は1秒も一緒に居たくない女が居る部屋から男を喜ばす女がいる街に出た。