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助けを求める者

作者: 通りすがり
掲載日:2025/07/29

都内のデザイン事務所で働く佐々木は、通勤の不便さを解消するために一月程前に、現在住んでいる賃貸マンションへと引っ越してきた。佐々木が入居したのは12階建ての4階、角部屋の406号室だった。

入居後しばらくは何の問題もなく生活していたが、ある日の夜中、突然に目覚めた佐々木は自身の寝るベッドの傍に誰かが立っていることに気づく。

そっと目だけを動かして見てみると、それは見たこともない老いた男性だった。

「誰だ?」

佐々木は体を起こそうとするが、体はまったく動かない。これが金縛りというものだろうか。ならばこの老人は幽霊......。不思議と冷静に状況を確認している自分に佐々木は驚きつつも、その老人の幽霊の様子を伺うことにした。

老人の幽霊は佐々木に向かって必死な形相で何かを訴えかけているようだ。声は聞こえないが、口の動きから「助くてくれ」と言っているように思える。

しばらくその状態が続いていたが、ふと気がつくと体が動くようになっていて、老人の幽霊の姿は見えなくなっていた。

「これは夢か現実か...」

佐々木は今自身が見たものが何だったのか分からず困惑した。

しかし翌日もその翌日も、夜中になると佐々木の前には老人の幽霊が現れて同じように必死の形相で何かを訴えかけてくる。

これは絶対に何かがある、佐々木はそのように感じていた。もしかしたらこの部屋の以前の住人に何かがあったのかもしれない。俗に言う事故物件というものではないのだろうか。

そのように考えた佐々木はマンションの管理人に相談してみることにした。

その日、佐々木は仕事が休みだったため、朝になるとさっそく管理人室へと向かった。

マンションの管理人は60代後半くらいの男性で、マンション入り口エントランス横にある管理人室に日中は常駐している。

「こんにちは、佐々木さん。どうですか、少しは落ち着きましたか」

管理人室から出てきた管理人は、佐々木の顔を見ると、満面の笑みを浮かべてそう話しかけてくる。

「ええ、ありがとうございます。実はちょっと部屋のことについて聞きたいことがあるんですが」

佐々木が真剣な顔つきでそう訊くと、その様子にただならぬものを感じたのか、管理人の顔から笑顔が一瞬にして消えた。

「どうされました」

「僕が住む部屋に以前に住んでいた人について詳しく知りたいんですけど」

「それは、どうしてまた」

あからさまに困惑の表情を浮かべた管理人に、佐々木は自身が体験したことを包み隠さず話した。

「うーん、幽霊ね」

「本当なんですよ。毎晩出てくるんで困っているんです」

「いや、別に疑っているわけではないですよ。私は定年になるまでは教師をしていまして、学校というところでは、それなりに不思議な話を見聞きすることもありましたから。ちょっと待ってくださいよ」

そう言うと、管理人は管理人室の中へと入っていった。

「あった、あった」

管理人室からそう大きな声が聞こえてくると、管理人は開いたファイルを手に持って管理人室から出てきた。

「個人情報なんで本当は教えられないけど、困っているみたいだから特別だよ」

そして管理人は佐々木が住む部屋の過去の住人について教えてくれた。

佐々木が住む前に住んでいたのは新婚の夫婦で2年ほど住んでいたが、子供が出来て手狭になったために他所へ引っ越して退去。

その前は、女性が一人で住んでいたが、転勤となっために5年ほどで退去。

このマンションは建ってから8年ほどで、その女性が最初の住人だったので、佐々木の部屋に以前に住んでいたのはこの二組のみだった。

この部屋で誰かが亡くなったという事実は無かったことから、この部屋に因縁のある幽霊ではないようだ。

「じゃあ、あの老人は誰なんだろう」

佐々木は独り言のようにつぷやいただけだったが、管理人は自分が訊かれたと思ったのか、腕組みをして一緒に悩んでいた。

「その老人はどんな見た目なんだい」

「えーっと、どんなだったかな」

佐々木はしばらく悩んでいたが、人相をうまく言葉で説明する自信がなかった。

「うーん、口で説明するのは難しいですね。そうだ、紙と鉛筆はありますか」

佐々木は管理人が管理人室から取ってきた紙と鉛筆を受け取ると、老人の絵を描き始めた。昔から似顔絵は得意分野だった。

出来た似顔絵を管理人に見せる。

「あー、これは上田さんですよ。間違いない、よく似ている。上田さんは506号室に住んでいる方ですよ。佐々木さんのちょうど上の部屋の方ですね」

上階の住人、ならば生きている人ということになるが...。

「そういえば...、最近は見ていないですね、上田さん」

佐々木と管理人は顔を見合わせる。おそらく同じことを考えたに違いない。

「行ってみましょう」

二人は連れ立って5階までエレベーターで上がった。

506号室の前に立った佐々木は、部屋の中から今まで嗅いだことがないとんでもない悪臭が漂ってくるのに気づいた。

「うっ、この臭い...」

「これは...警察に連絡しましょう」

そう言うと、管理人は警察に連絡するために慌てて管理人室へと戻っていった。

しばらくすると警官が数人来て部屋の中を確認する。思っていたとおり部屋の中では老人の遺体が発見された。老人は死後相当の時間が経っているらしく腐乱状態は酷いものだったらしい。

警察が引き上げていったのはもう夕方近くになっていた。警察がいる間は辺りは騒然としていたが、警察がいなくなると、やっといつもの静けさを取り戻していた。

管理人室前に二人だけ残された佐々木と管理人は疲れた顔で佇んでいた。

「いやー、大変なことになりましたね」

苦笑を浮かべてそう言う管理人に佐々木も苦笑を返していた。

「幽霊の正体も理由もこれでわかりましたしね」

管理人はそう言ったが、佐々木はそれに関してはスッキリしないものを感じていた。

すでに死んでいるならば、なぜに老人は佐々木に助けを求めてきたのだろうか。

佐々木は思った疑問を口にるするが、管理人はただ早く自分の遺体を発見してほしくてそのように訴えていたのではないかと言った。



たしかに、その晩からは老人の幽霊が出ることはなくなった。管理人の言う通りだったのかと思うが、どうしても違和感が拭いきれずモヤモヤしたものがいつまでも残り続けていた。

数日後、マンションのエントランスで管理人に会った際に、あらためて管理人に上田という老人のことを詳しく聞いてみた。

亡くなった老人は天涯孤独で、遺体の引き取り手もいなかった。部屋で飼っていた猫が老人の唯一の家族だったようだ。

「猫を飼っていたのですか」

「ええ、それはもう自分の子供のように溺愛していましたね」

「で、その猫はどうなったんですか」

「たぶん警察が連れて行ったんじゃないかな」

管理人は自信なさげにそう答えた。

佐々木はその猫の引き取り手が見つからなかったら保健所に連れていかれて殺処分になるのではないかと不安な気持ちになっていた。

翌日警察に連絡して聞いてみると、やはり猫は警察が一時保護していて、昨日保健所に引き渡したとのことだった。

もしかしたら、あの老人の幽霊は残された猫を心配して、僕のところに助けを求めて幽霊となって出てきたのかもしれないと佐々木は考えていた。

もし猫が殺処分になったら老人の最後の必死の願いを無碍にすることになる。

佐々木もちょうど猫を一匹飼っている。一匹増えたとしても大した問題ではない。これも何かの縁だと思い、佐々木は警察に猫を引き取ることを提案してみた。

だが応対していた警官からは、電話越しでもわかるくらいに、戸惑ったような様子を感じた。

「あの猫はやめておいた方がいいですよ」

電話の向こうから警官がやんわりと制止するが、佐々木は納得できない。

「どうしてですか」

少しだけ強い口調で尋ねるが、警官は煮え切らない返事を繰り返すばかりだった。

何かあると感じた佐々木はさらにしつこく理由を問い詰めると、警官は不承不承と言った感じではあったが、佐々木の問いかけにやっと答えてくれた。



「上田さんが突然に亡くなったあと餌をくれる人がいなくなった部屋の中には猫が食べられるものは何もなかった。上田さんが亡くなってから一週間以上、猫は何を食べて生きていたと思いますか。上田さんは変死の扱いで解剖を行いましたが、ご遺体のあちらこちらに噛み千切られたような跡があったそうです。それがどういう意味かわかりますよね」

そのとき佐々木は自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づいた。

老人は猫を助けてほしいと佐々木に訴えていたわけではなかったのだ。猫から自分を助けて欲しいと訴えていたのだ。

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