第36話 ひらめいたその先に、絶望が待っていた【セラ視点】
ノクスとは、卒業してからも付き合っていた。
でも、彼は“あの計画”に関わって、死んだの。
国家が秘密裏に進めていたらしいけど、誰も公には語らない。何人も命を落としてるのに。
ノクスも、その一人。
……あんなもの……壊さなきゃいけない。私が、この手で。
それだけの話よ。
……白い学舎の記憶が、ふっと霧のようにほどけた。
気づけば、目の前には石の壁。埃のにおい。どんよりとした空気。
──私は、もう、あの頃にはいない。
ノクスも──いない。
けれど。
「私は……もう、迷わない」
禁術のページに、無造作に挟まれていた紙の“あの人の文字”を見つめながら、私はゆっくりと笑った。
手段なんてどうでもいい。
勝てば、それでいい。
……ここは“秩序の院”。
私は、過去を懐かしむためにここにいるんじゃない。
長机の上に、乱雑に開かれた魔道書と資料の山を見渡す。
セラは魔導理論なんて興味もないし、理解もできなかった。
でも、あの二人と過ごした時間で──少なくとも“術式の形”くらいは、覚えてしまっていた。
深く息を吐き、頭を抱える。
もう一度、ノクスの書き残した術式に視線を落とす。
魔力の干渉と相互作用に関する仮説。
……なぜこれをエルディスが持っているのかは、わからない。
(……待って)
指先がふと止まる。
それは、どこかで見たことのある術式の“形”だった。
胸の奥がざわつく。
まるで、バラバラだった線が──不意に一枚の絵に重なったような、そんな感覚。
私はすぐさま、エルディスがまとめた禁術の研究記録に手を伸ばし、ページをめくる。
(……あった。これと、さっきのノクスの術式……)
意味なんてわからない。
けれど、直感でわかる。“繋がった気がした”。
ぞくり、と背筋に戦慄が走る。
──でも、実際に行うには専門的な知識が必要だ。
(……エルディス、まだ地下にいるかしら)
「この部屋にもいない……。上にいると、厄介ね」
苛立ちが募り、私は小さく吐き捨てる。
地下の出入口に立つ見張りへ、小声で声をかけた。
「エルディスは?」
「今は、新しい信者の方の面会に出ております」
(やっぱり……地下にいないとなると、面倒なのよね)
爪を噛む。
私と彼の関係は、公にはされていない。
上層部や一部のメンバーしか知らないし、“秩序の院”で実質的なトップである彼に、地下以外で気軽に接触しようものなら──関係を知らない取り巻きに止められるのがオチだ。
(どうしよう……)
「急ぎなら、お呼びしてきましょうか?」
「……いいの? 悪いわね」
それから間もなく。
仮面をつけたエルディスが、足早に姿を現した。
「いい加減にしてくれ! 君が俺を追い出したんだろう!」
その声に自分でも驚いたのか、彼は周囲を見渡し、声のトーンを落として囁いた。
「地下では構わないが……上では節度ある対応をしてくれと、何度も言ってるじゃないか……」
「──例のものが、完成したのよ。……あなたにも見てほしくて」
エルディスは目を見開いたが、すぐに真顔に戻った。
「……わかった。もうすぐ終わるから、俺の研究室で待っててくれ」
──そして。
「セラ。これをやるとなると……膨大な魔力が必要になるんだ」
「……申し訳ないが、実現は不可能だ」
静かに告げられた言葉に、私の瞳がかすかに揺れた。
堪えていたものが、じわじわと溢れてくる。
「……そんな……せっかく……ここまで来たのに……!」
声が震えた。
視界が、ぐらりと揺れる。
資料が指先から滑り落ち、ばさりと床に散らばる。
ポタリ──
一滴の涙が、古い羊皮紙に落ち、文字を滲ませた。
「……っ」
エルディスは黙ったまま、床にしゃがみ、資料を拾い上げた。
ぐしゃぐしゃになった紙を、不器用な手つきで揃えていく。
それを私に差し出すと、彼は息を吸い込み、かすれた声で言った。
「……もう、無理するな。
お前が壊れるのは……俺は、嫌だ」
そういって彼の腕が、私を抱き締めた。
その体温が、遠くに感じる。
優しさも、何もかも。
今の私には、届かない。
「……もういい」
掠れた声で、ただそう呟いた。
それが何に向けられた言葉なのか──もう、自分でもわからなかった。




