第35話 愛がなくてもいいから、私を選んで【セラ視点】
恋って、最初から綺麗なものじゃないのよ。
ちょっとした独占欲とか、傷の舐め合いとか──そんなものから始まることだってある。
今回は、そんな“始まり”の話。
返事を待たずに、私はドアを開けた。
「部屋を間違えてるだろう。エルディスは隣の部屋だ」
ノクスは振り向きもせず、淡々と告げる。
何かを書いているのか、部屋にはカリカリという筆記音だけが響いていた。
──カーン。
澄んだ鐘の音が、校舎の高窓から流れ込んでくる。
ノクスはちらりと壁際の時計に目をやった。
「……授業、始まったんじゃないのか?」
「少しでいいの。あなたの時間を、私にちょうだい」
「エルディスの部屋には……もう行けないの」
私は視線を落として、指先をそっといじる。
「私が彼を勘違いさせてしまって……襲われそうになったから」
そのとき、ノクスが初めてこちらを見た。
「それで。言いたいことは何だ?」
(この人には、普通のアプローチじゃ届かない。なら……)
すぅ、と息を吸い込む。覚悟を決めて、私は言った。
「ノクス。私と付き合いなさい」
「無理だ。……これで気が済んだか?」
「……聞いたの。あなた、昔……容姿のことで、いろいろあったって」
「私も同じ。見た目のせいで、ずっと嫌な思いをしてきたの。
今も、親戚のおじさんに結婚を迫られてて……だから、この学園に逃げてきたのよ」
「私は、悪い意味でこの学校で知られてるの。
でも、そんな私と付き合えば──変な虫も寄ってこないわ」
「……それは、面白いな」
ノクスがニヤッと笑った。
初めて、私に興味を示した瞬間だった。
「あなたが卒業するまででいいの」
「オレと付き合っても、別に面白いことなんてないぞ。恋人らしいことにも興味はないしな」
「いいの。わかってる。研究の邪魔はしないし、帰れって言われたら帰る。あなたの嫌がることは、絶対にしない!」
「……随分、必死だな」
その一言が、胸に突き刺さる。
(そうよ……自分でも、なんでこんな無愛想な人に夢中になってるのか、わからないのよ……)
胸の奥がじんわりと熱くなって、視界が滲んだ。
ノクスはしばらく考え込んだあと、ぽつりと告げた。
「……わかった。オレが卒業するまでだ。ただし、約束を破ったら──」
「わかってる。……ありがとう」
こうして、私とノクスは“形式上の恋人”になった。
そこに愛なんて、たぶんない。
でも、それでもいい。
私の気持ちは、本物だから。
いつかきっと、本気にさせてみせる。
ノクスと一度、学内を一緒に歩いただけで、噂は一気に広まった。
セラの言う通り、ノクスに近づこうとする女性は、ほとんどいなくなった。
──そして、気づいたときには。
隣のエルディスの研究室は、空になっていた。
形式上でも、偽りでも、彼の隣に立てたのは私。
噂がどう広まろうと、関係ないわ。
……ただ、気づいたときには、隣にいた“もうひとり”がいなくなってた。
でも後悔なんてしてない。
だって──
手段なんてどうでもいい。私は、勝負に勝ったのだから。




